なんと、今週末にはWカップが開幕する。今から、ドキドキしている。しかし、先日の日本代表のメンバー選考の結果には納得できなかった。4年前のカズ落選の驚きと失望を思い出した。少し長くなるが、その時に書いた日記の一部を再録する。
・・・中田を選ぶことと、カズを外すということには、共通の思考基準があるように思う。すなわち、勝負にこだわるための合理性に従おうするか、儒教的なメンタリティとの調和を重んじるか、ということである。多分、前者はグローバルスタンダードの厳しさであり、後者は「日本的な甘さ」なのだろう。今回の決定の当事者である大仁強化委員長もこの点をわきまえており、「弱肉強食は世界の常識でも、日本では違う状況もある」という発言に迷いの深さが表れている。
スポーツの世界に限らず、日本人が世界の舞台で生きていかざるを得ない現在、その特殊性や未熟さを指摘されることが多い。私も日本や日本人の曖昧さや理念の欠落に苛立つことが多いのは、この日記に繰り返し書いているとおりである。しかし、ここで忘れてならないのは、グローバルスタンダードに同化すること自体を目的とするのなら、いつまで経っても亀を追うアキレスに過ぎないということである。アメリカ的な合理性が唯一の基準ではないし、ヨーロッパ的なマキャベリズムが成熟の証しでもない。我々は日本の伝統と体験をもとに独自のモデルを提示していくことが大切なのだと思う。それはもちろん、かつての矮小化された民族思想に回帰しようなどというものではない。
話しが大袈裟になったが、私個人はW杯において、勝利という結果よりも、記憶に残るパフォーマンスを日本代表に期待している。それは外国に対してだけでなく国内に対してもそうだ。カズの言葉にあった「誇りや魂」を重んじる「美学」を体言してみせて欲しいと願っている。その意味で、カズを外すなら、あえて中田を外して欲しかった。このままミニ・ブラジルやミニ・ドイツを目指してどうなるというのだ・・・
読み返してみて、私の感性が4年前と変わっていないことに気がついた。今回も、俊輔や名波を、そしてカズを選んで欲しかった。「日本代表」とは、日本最強のチームである以前に、我々の多くが納得し、気持ちをひとつにして応援できるという意味で「代表」であって欲しいと思う。とはいえ、私を含め大部分の人間は、結局はマスコミの論調に引っ張られて物事を見ている。だから、トルシエは俊輔や名波やカズを選ばないことが失望を招かないように、注意深く世論誘導をしておくべきだったのだ。気持ちよく、だまして欲しかった。
私個人の毎日は、悲喜こもごもである。運命を呪いたくなることもあったりする(仕事のことじゃないですよ。為念)。しかし、それはそれとしてWカップを楽しもうと思う。幸運と善意によって、日本・ベルギー戦のチケットをゲットできたのだ。ありがとう。燃え尽きてくるぜ。



