先日、鈴鹿サーキットに8耐観戦に行ってきた。今年は25回目の記念大会ということだったが、私が初めて見に行ったのは10回大会、1987年のことだ。以来15年間、ほぼ欠かさず通っているが、はっきり言って年々つまらなくなってきているように感じる。往復の交通費や宿代やチケット代を合計して5万円前後の出費に見合うだけの満足感が得られなくなっている。ここ3年間は微力ながらサポートしている「チーム旅籠屋」が参戦しているので、まったく違う感動や落胆があったりするが、それは別の話し。あくまでレース観戦者としての感想である。


8耐は世界のトップライダーが参戦する唯一の耐久レースということで、世界的にも特別なレースである。日本は世界の2輪産業の中心を占める4大メーカーの地元、しかも市販者に近いマシンが走るレースということもあって、メーカーもライダーも真剣勝負の争いを繰り広げる。加えて特筆すべきことは、このレースがプライベーターにも門戸が開かれている点だ。そもそも耐久レースというのは予期せぬトラブルやアクシデントが起きる可能性が高いから強い者が必ず勝つとは限らない。事実、かつては世界のHONDAがヨシムラやモリワキに敗れるという番狂わせも珍しいことではなかった。1987年も、残り5分にヨシムラのマシンが転倒して優勝を逃すという最高にドラマチックなレースだった。これ以降の大会でも、残り1時間を切ってトップのマシンがリタイアしたり、夜間走行になって接近戦になるなど、劇的なシーンがいくつも演じられてきた。
ところが、ここ数年は、トップチームであるHONDAの独走優勝が続いている。プライベートチームはもちろん、他のメーカーワークスチームもかなわない。そんなこともあってか、とうとう今年はカワサキのワークスが参加を取りやめてしまった。
最高レベルの真剣勝負でなければレースとしての値打ちは低くなってしまう。だからHONDAが手を抜かず全力でマシンを開発し、トップライダーを集めてくるのは素晴らしいことだ。しかし、事前あるいは途中の段階でほとんど結果の見えてしまうレースほどつまらないものはない。
1周コンマ数秒のタイムを縮める、何時間走ってもトラブルを起こさないマシンの開発には、たいへんな資金と技術力がかかるに違いない。それはもう以前のような卓越した個人の能力や情熱では届かないレベルに達してしまっているのだろう。最近のレース結果は、偶然ではなく、必然の結果のように思える。そこが、レースとしては、大問題なのだ。


たしかに、レース観戦の環境という面では、周辺道路の整備、スタンドやトイレの増設、順位ボードの改善など、主催者サイドの努力は明らかだ。それなのに肝心のレースがつまらない。


レースには、参加する者の真剣勝負の競い合いという面と観戦する者を魅了する興行というふたつの面がある。8耐に関しては、これらの食い違いが徐々に大きくなってきているといえるのではないだろうか。ひじょうに乱暴に言えば、アメリカは後者に重点を置き、ヨーロッパや日本は前者を重視しているように感じられる。4輪のカートとF1を比較するとわかりやすい。これはモータースポーツに限ったことではなく、スポーツイベントすべてに言える。そうした中で、サッカーのWカップのように世紀を越えて続いている大会の運営者の知恵には敬服せざるを得ない。守るべき伝統と時代に合わせた手直し、貫くべき原則と臨機応変の妥協。矛盾するものを容認し、清濁を併せ呑んでまとめ上げていく手練手管には畏敬の念を抱かざるを得ない。これは、日本人には苦手なことだ。


メーカーワークスの参加台数を2台以下に制限してはどうか、改造範囲を極端に制限してはどうかなど、レースを面白くするためのアイデアはいくつか思い浮かぶけれど、結局はモグラたたきに終わるに違いない。さて、どうしたものか。