嫌いなのに、半ば義務感で何十年も目を通し続けている朝日新聞、毎日毎日30分近くを費やしているので膨大な時間をとられているわけですが、
新型コロナに関する以下のようなインタビュー記事に出会うと嬉しくなります。


社会を覆う「正しさ」 〉(5月8日、磯野 真穂さん)、〈 私の人生、不要不急?〉(5月12日、養老 孟司さん)。


とても示唆に富んだ内容なのでぜひ一読いただきたいのですが、有料記事なのであえて要約させていただくと、およそ次のようなことが述べられています。


医療人類学者の磯野さんは、ゼロリスクを目指す「道徳的な正しさ」は、遠くの人にはエールを送りながら近くの人を排除する矛盾を生んでおり、
同時に 「安全な人や集団」と「危険な人や集団」を分ける「村八分」を招いていることを指摘し、リスクとの寛容な付き合い方を提言されています。


解剖学者の養老さんは、感染拡大抑止のなかで、「不要不急」かどうかということが判断基準として言われているが、人生は本来、不要不急ではないのか。
ヒトとウィルスは共生していくしかないことを含め、要は各人の問題であり一元的な価値基準で善悪が断じられることへの疑問を遠回しに述べられています。


緊急事態宣言が発出されて以降の自粛が功を奏し、ようやく感染拡大の勢いが弱まり、宣言解除や自粛要請の段階的縮小のニュースが増えてきました。
「旅籠屋」 は、手洗いの励行、マスクの着用、換気の徹底、消毒薬の常備、フロントへのスクリーンの設置など
感染防止に努めながら全店営業を継続してきましたが、4月・5月とも売上高は前年に比べて7割減、6月末の決算では、創業25年目にして初めての減収、
11年ぶりの赤字は免れない状況となっています(詳しくは、先日発表した「 第3四半期報告書 」や「 決算短信 」をご覧ください)。


休業しないことについては、「こんな時に営業を続けているのはけしからん!」という抗議の電話をいただくこともあったのですが、
その悔しさや迷いや矜持について、旅館経営者からの視点で率直な思いを述べられているエッセイに出会い、勇気づけられたりしました。
コロナで揺らぐ、宿泊施設の存在意義 〉(4月28日、永山 久徳さん)

「旅籠屋」は、帰宅困難な医療関係者などの宿泊に活用いただいたり、テレワークのためにデイユース利用を受け入れたりして喜ばれているのですが、
事の本質は目先の社会的要請に合致して世の中の役に立っているかどうかではないように思うのです。
そうでなければ、パチンコ店やライブハウスなどの施設や、仕事以外で旅に出る人は自分勝手と責められ一方的に切り捨てられることになります。
新型コロナウィルスのリスクばかりが強調されますが、身の回りに感染症はいくつもありますし、ゼロリスクを言うなら車のような人殺しの道具には乗れないし、
「得体のしれない」他人と共存したり、文化も風習も異なる知らない土地への旅行などすべて排除すべきことになってしまいます。


世の中のムードにあわせていれば無難ですし、被害者としての立場に徹していれば気楽ですが、それは違うだろうという気がしてなりません。
自らの利益だけを考えるわがままを許すつもりは微塵もありませんし、感染拡大抑止に努めることは当然ですが、
そこから先は、一定のリスクを引き受けながら、互いに寛容な姿勢で、通常通りの生活や事業を続けていく、人間の社会はそんなものだと思うのです。
言い換えれば、多様性を受け入れることによってそれぞれの自由を守り通すということです。


もう少し、考えます。