3月11日の地震発生から6日。
全店、お客様も支配人もすべて無事、建物の被害もほとんどなかったが、避難されてくる方が増えるいっぽう、さまざまな物品の入手が困難になっているとの連絡もあり、「緊急車両」の登録を受けた社有車に物資を満載し、本社スタッフ3名で3月17日の午後、茨城・東北の7店舗の巡回に出た。
まず向かったのは、「水戸大洗店」。途中、ガソリンスタンドには長蛇の列。

全館くまなくチェックしたが、建物の被害はない。
しかし、オープンから10年、壁紙や廊下などの汚れが目立つ。
福島方面から避難してこられるお客様も増えているようだが、この状況は申し訳なく、恥ずかしい。
近々、全面的に模様替えをしようと心に決める。

水戸インターから、緊急車両専用となっている常磐道に乗り、「いわき勿来店」へ。
途中の中郷SAでガソリンを満タン補充。
一般道の窮状を見ているだけに、ほんとうにありがたい。
給油ができなければ、そもそも長距離の巡回などまったく不可能なことだ。

この店舗は福島第1原発から約55km、もっとも近くに位置する店舗だ。
地震の被害はまったくないが、支配人の心身の健康を考え、前日深夜、迷いに迷った末に一時休業を決定した。
ここまで、店を守り、通常通りお客様を受け入れてきた支配人の働きに心から感謝するが、
立ち入り禁止の案内を貼り終えると、一気に悔しさがこみあげてくる。
1号店オープン以来16年、初めての決断。
支配人から、「一日も早く、再開したい」との言葉。ほんとうにありがたく頼もしい。

前夜、「いわき勿来店」を出て、東北道・秋田道を走り、深夜0時半に「秋田六郷店」に到着。
東京・神奈川から応援にかけつける警察・消防、そして自衛隊の車両に囲まれながら走る。
途中、宮城県内は雪。
路肩にキャラバンを停め、チェーンを巻く光景が続く。
被災地は真冬並みの寒さなのだ。
「秋田六郷店」も建物の被害はない。
避難してこられる方からの問い合わせが多いが、ガソリンの入手が困難でたどり着けないケースが多いようだ。
周辺のガソリンスタンドには、2kmを超える車の列。異常な光景だ。何とかならないのかといらだつ。

秋田道を戻り、「北上店」へ。
途中、東へ向かうタンクローリーを見かける。日本海側から運んでいるのだ。
「急げ〜!、頑張れ〜」と心の中で声援を送る。
「北上店」、ここも被害はないが、近くの工場復旧にこられた方を中心に満室。
途中、携行しているガソリン10リットルをお客さまに差し上げる。
びっくりしてしまうほど喜ばれる。嬉しい。

目の前の大型スーパージャスコにも食料品はないとのこと。
いつもは、あれほど食品があふれているのに信じられない状況だ。
持参したお菓子や食品をここにも置いていくが、通常の朝軽食のサービスがままならないらしい。
団体の方たちは自主的に近くの食堂にケータリングを頼み、支配人が廊下にそのスペースを提供している。
さながら、私設「避難所」の様相。
いつものようにはいかないが、こうして皆さんに宿を提供でき、活用されていることが何より嬉しい。

「北上店」を後にし、東北道を南下、山形道を経由して「寒河江店」に向かう。
応急作業が遅れているためか、山形道は、段差が多い。交通量は少ない。
いつものように「寒河江SA」のスマートインターから出ようとするが、「緊急車両」のため、あえてETCゲートを使っていないため、ゲート
を開けてもらえない。
押し問答するが、手続きに時間を要するので手前の寒河江インターから降りてもらったほうが早い、と言われる。すぐそこに建物が見えているのに数キロ戻る。
こんな時に杓子定規な対応。なんとかならないのか。
「寒河江店」もまったく無事。
ここは避難されてこられた方で満室。未だ唯一ライフラインが復旧せず待機している「仙台亘理店」の支配人とも再会。
先日、安否不明で心配したご夫婦だ。
「ほんとうに良かった、たいへんでしたね」と声を掛ける。
いつもパンフレットを置きに行くお店の人たちが津波で流され・・・と涙ぐまれる。
そうだったのか、みんな心に傷を負っているのだと思い知る。
「寒河江店」の支配人の車に途中で補充した10リットルのガソリンを注ぐ。
「これで買出しに行けます。ガソリンの一滴が血の一滴なんです。何よりありがたい」と言われる。
携行缶を持ってきて良かった!

「寒河江店」を出発し、山形道を東に戻るが、東北道に合流する手前で「この先の橋が通れない」と一般道に下ろされる。
日も暮れ、どこかで夕食を摂らないとならないが、食堂も小売店もすべて閉まっている。
いつもはあれほど賑やかで交通量の多い国道4号線が、薄暗い。
途中、奇跡的に営業中の洋菓子店を発見。
自家製造のケーキ屋さん、手持ちの材料でケーキを作り続けているのだ。
夕食代わりにしようとロールケーキを購入。
これがデザートになるといいね、と言っていたが、結局、他に空いている店はなく、イヤになるくらい腹いっぱいケーキを食べることになった。

未だに断水が続き、唯一ライフラインが復旧していない「仙台亘理店」。
電気もガスも通じており、建物には何の被害もないが、水が使えないとトイレも流せず、宿泊を受け入れることができない。
前夜、なんとか受水槽のポンプを動かそうと試みたがうまく行かない。
建築会社に連絡したが、ガソリンがなく動きがとれないとのこと。
近くの業者さんに来てもらおうとするが、電話がつながらない。携帯も電源が切られている。
被災したのか。
止むを得ず、復旧するまでもう少し待つしかない、との判断を下し、店を後にする。
休業中、2軒目。悔しい。
店を振り返る。
この周辺は津波の被害が報じられたエリアだ。
東の海側へ車を走らせてみる。
仙台東部道路に被害はないようだ。津波がこの土手で遮られたのかと考えていたが、被害はもっと海寄りなのだ。
高架をくぐり、さらに東へ進む。
と突然、風景が一変し、ニュースで見た異様な光景が目の前に広がってくる。
見渡す限りの田んぼの中に、無数の車と瓦礫が散在している。
呆然とたたずむ人たちの姿も見える。
もちろん写真を撮る気にもなれず、長居をしてはいけないと、無言で国道6号に戻る。
わずか数メートルの差で、日常と非日常が連続している。
地獄絵と普段の景色が隣り合わせになっている。言葉がない。

白石インターから東北道に乗り、最後の予定地「須賀川店」に向かう。
ここは、地震直後から、被災者があふれ、一時はラウンジに多くの方が雑魚寝していた店舗だ。
停電や断水が続いており、無償で受け入れていた。
報道ではあまり名前があがらないが、じつはここも福島第1原発から60kmたらずで、「いわき勿来店」と大差ない距離。
「いわき勿来店」とあわせ、ここも一時休業すると2日前に決めていた。
おそらく、地震の揺れはこの店がもっともひどく、支配人から当時の恐怖体験を聞いた。
ものすごい地鳴りが聞こえ、駐車場に亀裂が走り、建物が大きく揺れていたとのこと。
支配人に促され、前面を走る国道4号線の向こう側にある工場を見に行く。
鉄筋コンクリート3階建ての社屋がぺしゃんこにつぶれている。
今回、東北各県を回ってきたが、地震の揺れそのものによる家屋の倒壊を見たのは初めて。
幸い、けが人が1名出ただけだったとのこと。良かった、良かった。
すぐに建物に戻り、全館をチェックしたが、たしかにアスファルトに細かい亀裂があり、裏側の地面が15cmほど陥没している。
1室だけは壁面のボードに割れが見える。
ただ、宿泊に支障があるようなことはない。
たまたまその後宿泊した建築関係の人から「旅籠屋さんの建物は丈夫ですね〜、よく出来てますよ」と褒められたとのこと。
たしかに、遮音や断熱性能を上げるため、壁の合板や柱を基準の倍ほど増やしていることや、鉄筋をとおしたベタ基礎にしていることが強度を上げる結果につながっているのだろう。
正直言って、今回のような大きな地震を想定して設計していたわけではないが、以前の宮城沖地震の時も、中越地震の時も、近くの店の建物はびくともしなかった。今回もそうだ。
しかし、ここだけは、駐車場の補修は必要だと思う。
営業再開後、すぐに対応するつもりだ。

あわただしく閉館準備を済ませ、支配人とともに店を後にする。
「ほんとうにご苦労様でした。」とふたりに頭を下げる。
「すぐにでも戻ってきますよ」と明るい声。
一時休業中の張り紙。
3回目のくやしさを噛みしめる。
こうして、あわただしい巡回が終わり、昨夕、本社に戻ってきた。
普段は休みの土曜日だが、数名が詰めており、今後の対応について全員で話し合う。
地震発生から8日間。
2回の徹夜を含め、平均睡眠時間は3〜4時間で頑張ってきた。みんなそうだ。
しばし、休息をとって、週明けから、全面復旧に向けて、進んでいこうと思う。



