昨秋スタートした「店舗利益向上プロジェクト」の影響で広報宣伝担当としての作業も増え、なにかと目先の仕事に追われて忙しい。
おかげで、日記で愚痴る余裕がなくなって久しい。
第3四半期報告書のリリースも終え一息ついたので、以前から考えていたことをひとつ書いておこうと思う。


待望のゴールデンウィーク、年末年始以来のまとまった自由時間。
貴重な休日を漫然と過ごしてはもったいないので、今回も「やるべきこと」のリストを作る。きちんと実行できた例がないのだが、多少は役に立つ。その中で毎回掲げることのひとつが「たまった新聞を読み終えること」だ。


ときどき苦笑してしまうのだが、私は、新聞にひととおり目を通さないと気持ちが落ち着かない性質だ。出張や旅行から戻ると、律儀に古いほうから見始めて数日後にようやく「今日」になる。
一日の朝夕刊を読むのに30分前後はかかるから、費やしている時間は馬鹿にならない。
時間だけでなく気力も消費しているので、結局他の事を何もできずに寝てしまうことも珍しくない。これでは、本末転倒のような気もするが、やめる気はない。


最近、新聞を読まない人が多いと聞く。若い人はとくにそうらしい。理由を尋ねるとニュースはテレビでもやってるし、知りたいことはネットで調べられるから、ということだ。


声を大にして言いたいのだが、新聞は読んだほうがいい。それも、スポーツ紙や経済紙ではなく、総合紙を。
理由はふたつ。


ひとつ、新聞は「知りたいことを知る」のではなく、「知らないことに気づき、知りたいことを見つけられる」ものだ。知らず知らずのうちに見出しが目に入ってしまう、そこが素晴らしい点だと思う。総合紙であれば、ひととおりの分野が概観できる。


ふたつ、新聞という座標を手がかりに自分の立ち位置が自覚しやすいということ。問題意識や意見なんて突然湧いてくるものだとは思わない。新聞を読んでいると、世間一般の関心事や問題がなんとなく伝わってきて、断片的かつ情緒的な反発や共感が、新聞紙面での論調や論点とぶつかりながらまとまっていく。

新聞に書かれていることは世の中のごく一部にすぎないし、大なり小なり歪んだ「正論」でしかない。
そのことを忘れると、思考停止の「常識人」になってしまう。
しかし、だからと言って、新聞の助けを借りずに、広い視野と見識と判断力が自分の中にあるなどというのは過信であり傲慢である。


新聞ときちんと付き合わない人は支離滅裂で自己チューのモンスターになりやすい、そんな気もするがどうだろう。
大げさに言うと、私は新聞のおかげで自分のアイデンティティをつくり、なんとか保てている気がする。


青少年諸君、新聞を読もう!