久しぶりに「鬼怒川店」に行き、2日ほど店番を務めて帰ってきた。

いつものことだが、数日自宅を空けると、目を通していない新聞がたまってしまう。主なニュースはテレビで見ているし、そのまま古新聞入れに片付けてしまえばよさそうなものだが、几帳面というか貧乏性というか、日付を飛ばして読むのに抵抗があって、ひととおり目を通さないと「今日という日」にたどりつけない気がする。


私が定期購読している印刷媒体は、これ以外にも「日経パソコン」など3誌、Eメールで送られてくるメールマガジンが10近く、毎日巡回しているニフティサーブの会議室がこれまた10以上ある。さらにWOWWOWやCATVの番組ガイド、頼みもしないのに、クレジットカードやJAFのPR誌、通販カタログなども送られてくる。もちろん、こんなに読めるわけがない。それどころか、はっきり言ってほとんど読んでいない。新聞にこだわっているのも、せめてひとつくらいちゃんと読み通している実感が欲しいという気持ちからなのかもしれない。


そもそも、この程度の「定期購読」量は、人並みはずれて多いものなのだろうか。そんなことはないだろう。今の私の生活には通勤や昼休みなどの「なんとなく行動を制約された時間」というものがないので、意識的に努めないと雑誌を読んだりする機会がない。これがいけないのかもしれないと分析したりするが、時間や習慣というものは自分で作り出すものだ、という正論がすぐに浮かんできて、状況を正当化するわけにもいかない。


テレビだけでも地上波、BS、CATVとチャンネルは多くなるばかり。そこにEメールだ、インターネットだと、アクセスできる情報は増え続けるいっぽうだから、たいへんだ。


本来、情報はそれを自分なりに受け止め、自分なりに消化して、自分なりの判断や行動の材料にすべきものだと思うが、目の前にご馳走が並びすぎると食傷気味になって慢性的な消化不良。血にも肉にもなりゃしない。


どうしたものか。これは結構憂慮すべき事態かもしれない