前回の書き込みのあと、十数通のメールをいただいた。批判、助言、内容はさまざまだが、率直な気持ちのこもったものばかりで、ほんとうにありがたい。他の掲示板に寄せられている意見も「旅籠屋」を気にかけていただいてるからこそのものである。心から感謝している。ネットを使ったコミュニケーションの世界に出会ってもう10年を越えたが、必ずしも愉快なことばかりではなかった。しかし、このように多くの方と気持ちよく意見交換できるのは幸せなことだ。この場を借りて深くお礼を申し上げます。
さて今回提起された問題について、あまり時間をかけずに判断し、改めるべき点は改めていかなければならない。具体的には、
●5/6の書き込みを削除するかどうか。
●この「旅籠屋日記」そのものを削除する、あるいは私個人のサイトを作ってそちらに移動させるかどうか。
●「旅籠屋日記」というタイトルを変更するかどうか。
●「旅籠屋の主人」というパソコン通信の頃からのハンドルネームをやめるかどうか。
などの点について、結論を出さなければならない。しかし、その判断を下すためには、先例や通例にこだわらず以下のような問題について考えなければならない。
●会社と経営者個人の関係
●狭い意味での経済活動を超えて会社のカラーや意思表示をすることの是非
●立場や目的を異にする利害関係者(お客様、株主、経営者、社員、取引先など)の関係
●会社の発展(グリーンシートへの登録、公開市場への上場など)によって、おのずと考え方を変えていくべきなのかどうか
寄せられた貴重な意見を参考にしながら、以上のような問題を思案している最中だが、連日の睡眠不足もあり、いま少しの時間をかけて結論を出したいと考えている。
ところで、さまざまな意見に触れながら、感じたのは、やはり私の言わんとしたことがそのとおり伝わっていないこと、ポイントのずれた指摘が少なくないことだ。
例えば、私はイラク問題を取り上げてはいるが、言いたかったことは政治的なことではなかったし、いわんやイデオロギーなどとは無縁のことだった。語弊を恐れずに言うが、多くの人の感受性の中に一種の「アレルギー」のようなものがあるのかもしれないということを強く感じた。
「国は等しく国民の生命と財産を守る義務を果たすとから国であり得るのではないか。とすれば自己責任論は大きな勘違いではないか・・・そのことの是非はともかく、感情的な好き嫌いではないそういうレベルでの本質的な議論が必要ではないか。」というのが、私の主旨だったのだが、これに正面から応えていただいたメールは1通だけだった。
高校生だった頃、世の中に対して批判的なことを言うと、父から「子供のくせに生意気言うな。国があるおかげで、生きていられるんだ。オマエはアカか!」などといきなり怒鳴りつけられて、それ以上は、何も言えなくなるような経験をよくした。その時に感じたある種の情けない気持ちを今回もかすかに感じてしまった。
多くの人の中には、社会問題について真剣な議論をすることに対する警戒心というか、嫌悪感というか、ある種の「生理的なアレルギー」というようなものがあるのかもしれない。異常に身構えて、感情を高ぶらせてしまうような感じ。天下国家を論じることは、本来、恐ろしいことでも、畏れ多いことでも、常軌を逸したことでも、やばいことでもないはずなのに、みんな何かタブーだと感じているみたい。だから、日本人は口論はできても創造的な議論ができず、論理的な思考が苦手なままで、新しい異質なものを理解して受け入れるのに消極的。私はそういうことにいらだっているわけだが、アレルギーはおそらく無意識の感覚なので、「思考停止、偽善、事なかれ主義、自己保身」などと叫んでも反発を買う結果にしかならないのかもしれないという気がしてきた。
私は、タブーなしに議論することが当然のことだった時代の洗礼を受けたが、そういう感性を持つ人間はとても少数派なのかもしれない。「国家とは何か」なんて話しは、教師はもちろん、友人ともしたことのない人が圧倒的に多いのかもしれない。そういえば、許認可をもらう役所で、「法律の目的に立ち返って話しをしましょう」なんて噛み付くと、役所中の人が驚いた顔をして静まり返る。残念ながら、そういうことなのかもしれない。
もしそうだとしたら、それはとても由々しきことだが、私の書き込みが独りよがりだという批判も理解できないではない。逆効果を招く無理押しをしていたのも言えるからだ。
こんな書き方をすると「尊大な言い方をするな!」と叱られてしまいそうだが、これはアレコレ考える中での私なりの反省のひとつ。自分の言いたいことを正直に言ったつもりでも、多くの人に誤解されてしまうのであれば、言い方を変える必要があるのかも。そういう点を含め思案中である。



