先週の金曜日は、年に一度の定時株主総会だった。
コロナ禍で、どれくらいの方にご参加いただけるかと案じていたが、
例年通り、一般株主も10名近く、業績悪化に対する厳しい質問もあり、1時間以上の長時間総会となった。
もともとシャンシャン総会を良しとしているわけではないから、何時間かかっても問題ない。
過去、貴重な提案をいただいたこともあり、こうした緊張感を与えられることは、経営者に必要なことだ。
ただ、残念だったのは、ある株主から、私からすると、言いがかりのような不信感をぶつけられたことだ。
彼の主張の要点は、以下のようなことだった。
1.業績の急激な悪化により、数か月後には債務超過(負債が資産より大きくなる)になり、金融機関の奴隷のようになってしまう。
2.今回の業績悪化は、それ以前の放漫経営のつけであり、これは社長の経営のやり方に根本的な原因がある。
3.放漫経営の例としては、以下のようなことがある。
① 初期に比べ、新店舗の家賃が大きく上がっており、その支払いが収益性を損ねている。
その原因は、社長と常務だけで勘に頼って決めている、社長が大和ハウスのおべんちゃらに乗せられていること等である
② 経費の付け替えなどの粉飾決算を行っていた。
③ 私が様々な提案を行っても、不機嫌そうな顔をするばかりで、採用しようとしなかった。
そう、この株主は3年前まで、本社スタッフだった人間だ。
在職期間は約5年半。入社時は、すぐにでも役員になってもらい、次代を担ってほしいと期待した人だった。
その彼が今、「私は、会社の内情を知っている人間ですから、株主の皆さんはだまされてはいけません」と、
出席者に対し、同調を求めている。社外の株主には説得力があるに違いない。
そして、最後に、私に次のふたつの選択を提案してきた。
A. 過去の誤りを認め、即時退任する。そうすれば、新しい経営者のもとで、良い会社になる。
B. このまま職にとどまれば、株主代表訴訟により、個人財産のすべてを失うことになる。
15分くらいだったろうか、彼の演説が終わるまで、黙って聞いていたが、
主張の1については、理解できなかったので、銀行出身である監査役にその場で尋ねてみた。
監査役の答えは「たとえ債務超過の状態に陥っても即座に返済を求められることはなく、隷属することにはならない」だった。
私の理解もまったく同じだ。まったく心配していない。業績の回復に時間がかかることは、みんな承知の上のことだ。
主張3の中の粉飾決算という指摘については聞き捨てならないことで、思い当たることがないので、具体例を挙げるよう求めたが、明確な回答は得られなかった。
間違いなく彼は株主代表訴訟とやらを起こすだろうから、裁判所でひとつひとつ反論していけば良い。
しかし、自他ともに誇ってきた「公正で、隠し事をもたない透明な経営」を、このように否定されたことは、何より腹立たしく怒りを感じた。
総会には、当社を担当する監査法人や税理士法人の方も同席していたが、やましいことは何もないので、かえって好都合だ。
今気づいたことなのだが、本社には密室となっている「会議室」というものがない。
打合せテーブルは1階と3階にあるのだが、どちらにもスタッフの机があり、人払いすることはない。
無防備というか、非常識と言われるかもしれないが、隠し事があるように思われることすらイヤなのだ。
過去26年間の私の経営が、放漫経営だったのかどうか。
私は、まったくそうではなかったと自負しているのだが、考え方の違いにより、賛同する人もいるのだろう。
例えば、
・「誰もが気軽に利用できる宿を全国に整備する」という創業理念にもとづき、高い収益の見込めない地域に出店することもある。
・同様に、たとえ収益性が低い店舗でも、安易に撤退せず、営業を継続していく。
・今回のコロナ禍のように急激な業績の悪化があっても、信用を重視し、可能な限りオーナーに対して家賃の減額を求めない。
・学歴職歴などに恵まれない多様な方たちを雇用し、リスクを引き受けながら、その生活を守るため、休業も減給も行わない。
こうしたやり方を放漫経営というのだろうか。でも、これは経営方針の問題であり、会社の理念の問題である。
社員の意見を経営者が採用しなかったからといって、それを放漫経営と決めつけられても困る。
余談だが、私は、取引先からの中元歳暮の類は一切受け取っていない。
「儀礼はやめましょう」と常々お願いしているが それでも会社に届くわずかな品々は本社スタッフ全員で、じゃんけんして分配している。
同様に、取引先との飲食は、「各自の自腹で」と強くお願いしている。
逆に、こちらから儀礼の品を送ることはないし、年賀状も出していない。
とにかく、私利私欲につながる、あるいはそのように見られる役得は厳しく排除しよう、というのが、私の強い思いである。
これは、毎年、大量に届く中元歳暮に対し、ひとつひとつ同額の返礼を送り続けていた父の姿勢と、
かつて勤務した住宅メーカーで体験した苦い記憶があるからだ。
小さな接待や貸し借りがしがらみを生み、癒着となり、社内外の信頼関係を損ね、公正な判断を難しくしていくからだ。
あらためて説明する機会はほとんどないのだが、社会経験の乏しい若い社員には伝わっているだろうか。
私が、大和ハウスの方たちのおべんちゃらに乗せられて、高い家賃を受け入れている?笑うしかない。
このように見られていたなんて、びっくりしてしまった。
デリケートな面があるので、あまり触れられないことだが、
会社の経営者にとっての一番のストレスは、自分の思いを曲解し、妨げようとする一部の社員との関係ではないかと思う。
これは、信じている目的の方向に皆を引っ張っていこうとするリーダーなら避けて通れない永遠の悩みなのだと思う。
サラリーマン経営者であれば、出来上がった組織に「処理」を任せて他人事にするだろう。
皆を引っ張っていく気持ちを持たない管理者なら、「変わった人だね」と、笑って放置するだろう。
突き付けられたふたつの選択肢、もちろん私は、ここで退任するつもりはないと即座に答えた。
基本、今までの方針を変えるべきだとも考えていない。
何度も言ってきたとおり、26年前、私は個人の利益や名声に憧れてこの会社を起ち上げたわけではない。
もし、そうなら、まったく割に合わない26年間だった。
メディアに対しても、こちらから自分を売り込むことなど、性に合わないことだ。
年々つもっていくストレスから解放され、気ままに余生を楽しみたい。これが正直な願いである。
こんな、社長にあるまじきつぶやきを聞いた人は少なくないはずだ。
だから、私利私欲のために、今の立場にしがみつきたいなんて、まったく思っていない。
ただ、ずっと願い、わずかでも実現してきたと自負している「社会的企業」としての「旅籠屋」の灯を、
消えることなく、揺らぐことなく、次代に引き継いでいきたい、その思いだけで、自分に鞭を打っているだけだ。
信じてくれている人も、たくさんいると思うのだが、裸の王様になっているのなら、いつでも放り出します。



