1月に叔母が、4月に母が亡くなりました。
ふたりとも身寄りは私だけなので、諸々の手続き、葬儀、遺品整理など、煩雑な作業に追われました。役所などから届く請求書や問合せへの対応もややこしく、つくづく人間は生きているだけで面倒くさいと叫びたくなりました。
空き室になってしまった両親の部屋に同じビルの中で移ることにしたのですが、改装や3つの住まいの整理が重なり、途方に暮れました。室内にあふれている物にはそれぞれの人生の時間が凝縮されており、その整理や処分は楽しい作業ではありませんでした。
こうした毎日が半年以上も続きましたが、今週末には父を含め3人の納骨を行い、ようやくひと段落できそうです。
会社の方は堅調に推移し、債務超過も解消して安定経営に戻ってきたと言える状況です。
これは、お客さまや社員のおかげであり、ほんとうにありがたいことだと感謝しています。
しかし止むにやまれず復帰して1年、数字以外の面では「清潔であたたかい宿、清潔であたたかい職場」という思いが伝わらないこともあり、傷つき疲れている自分がいます。
世の中を見ても、むき出しの欲やプライドがぶつかり、憂さ晴らしのような誹謗中傷がひどくなるばかりです。暗く冷たい通奏低音に精気を奪われます。
人生を振り返ると、悔いや詫びたいことがたくさんあります。
しかし、人を利用したり裏切ってよいと考えたことは一度もありません。決して世間知らずのお人好しではないのですが、間違いなく人の善意を信じたい性分なのでしょう。亡き父からの「ごまかすな」という血の刻印も鮮明なままです。
こんな中、20年来いやいや続けているジョギングと年明けに11歳になる愛犬が、今年も私を支えてくれました。
結果として、今年は自分にとっての終活につながる一年になりました。
まとまりのない話しになりましたが、来る年が、排他的な憎悪や不信や攻撃ではなく、少しでも利他的な笑顔と寛容な心に満ちた安穏な年になるよう、願い祈りたいと思います。
これが「旅籠屋の心」でもあります。



