ホテル業界の人たちのネット上での会話を読んでいて、そこに独特の匂いがあることに気づいた。それは「ホテルマン」という言葉のニュアンスに通じるもので、ちょっと「文化的」で、オシャレで、育ちが良さそうで、インテリぽくって、そのくせ職人的で、プライドが高そうな匂いだ。
私は、正直言って、その匂いにどうも馴染めない。蝶ネクタイや奇妙な制服に対する違和感、高級レストランで感じる居心地の悪さとも共通する感覚だ。理由は簡単。私の生活感覚からするとそれらは借り物であり、私が私で居られる場所ではないからなのだ。ドアマンであれベルボーイであれ、そこで働く人たちは、端的にあの衣装を受け入れているわけだから、そういうホテル文化に同化し、あるいは積極的に肯定しているわけなのだろう。しかし、明治時代、西洋人から鹿鳴館の舞踏会を「猿真似」と冷笑されたようないたたまれない思いを、彼らは感じないのだろうか。東京ディズニーランドでブロンドの白雪姫のまわりを金髪のカツラを付けて踊るような恥ずかしさを感じないのだろうか。
日本は明治維新や太平洋戦争などを契機に上流階級なるものがほとんど実態を失っている世界でも珍しい国だと思う。なのに欧米のグランドホテルのスタイルを忠実に再現しようとするのは、どこか不自然で滑稽ではないか。召し使いや執事やお抱え運転手などにかしづかれることを当たり前の暮らしとし、いっぽうで古今東西の文化芸術への理解と高貴な義務とやらにモチベーションを感じるような人種が今の日本にどれだけいるというのだろう。どうしてあの猿真似のバカバカしさから抜けようとしないんだろう。サーバントやクラークの職業意識なんて、ありがたがって学ぶべきことなの?
ビジネス誌では「ホテルランキング」なんていう記事が定例企画になっている。田中康夫みたいな若い「文化人」が大まじめに「ホテル」の評価記事を書いてる。グルメ評論家なんてのも同類だ。ムズムズしてくる。アナクロで、ブルブルッと震えてしまう。言うまでもなく、彼らはグランドホテルのカスタマーを演じる我々のガイド役を自任しているわけだ。揃いも揃って、あーなんという猿芝居。
お叱りを受ける前にことわっておくが、私のこういう感覚を他の人に押し付けるつもりはない。一等国の仲間入りを果たそうと必死に走り続ける空気の中で育ち、タイミングよく労せずしてランナーズハイを体験させてもらった、そんな世代に特有な感受性かもしれないと思うからだ。
必死に追い掛けた人たちにとってホテルは憧れの実現だろうし、東京オリンピックや大阪万博を知らない世代には最初からそこにあった風景かもしれない。しょせん人間の感覚は時代の産物だ。
それを承知の上で、やっぱり私はチップや心づけがマナーとされるような宿に馴染めず、MOTELの没交渉にほっとする。私はそれで良い。



