小錦が出ているウィスキーのCMが流れている(※)。なかなかイイ感じなのだが、前半と後半で指のならし方が逆なのが気になる。前半はオンビート、後半はオフビート。4ビートジャズっぽい曲調だから、1拍目と3拍目に指を鳴らすオンビートは明らかにおかしい。このことに気づいて、明らかに違和感を感じる人は意外と少ないかもしれない。というのも、ここ10年くらいでビート感覚に大きな変化というか、私に言わせれば退化が進んでいるように思えるからだ。
(※)5月下旬頃からCFが新バージョン(小錦は踊るだけで歌はバックで流れている)に代わっており、ここでは全編オフビート。クレームがついたのか?それにしても、ディレクターが知らずに犯したミスだったのなら、ちょっと悲しいね。CFディレクターのビート感覚がその程度?チェックも素通り?みんなビート音痴?
前にも書いたが、私のお気に入りの音楽はブルースだ。日本を含め、世界中の音楽の多くがロックの洗礼を受け、そのビート感覚をベースにするようになって久しいが、その直接の産みの親はブルースである。ブルースそのものを知らない、または誤解している人が多いからピンとこないむきもあるだろうが、ロックの基本はクラシックでいう強拍をはずした所にビートを打つオフビートと、3度と7度がフラットするブルーノート音階であり、これこそ、まぎれもなく今世紀初頭以来のアメリカの黒人音楽に由来するものだ。もちろん、ジャズやR&Bなどその後の黒人音楽のすべてもブルースの子孫である。
オフビートもブルーノートスケールもアメリカの黒人にとっては体にしみついた自然な感覚なのだろうが、白人およびその音楽世界に慣らされてきた我々の耳にはある種の「はずれた音楽」に聞こえるところがあり、そこがカウンターミュージックとしての刺激的な魅力の源泉になっている。
オフビートに話しを絞ってみると、おもしろいことに気づく。60年代から70年代にかけての欧米のTVの音楽番組を見ていると、聴衆の手拍子がオンビートからオフビートに移っていくのがわかる。日本でも年配の人だと今でも圧倒的にオンビート、わかりやすくいえば民謡の手拍子だが、さすがにロックバンドのコンサートでそんな間抜けなことをするヤツはいない。
ところが、10年くらい前からどうも様子がおかしい。タテノリという平板で機械的な乗りが蔓延するようになって以来、明らかにオンビートで手を打つ連中が増えてきた。昨年、ジェームズ・コットンというブルースハーピストが来日した際、あるライブハウスに駆けつけたのだが、聴衆の多くは20歳前後の連中で彼らのノリが1拍ごとに体を上下させるタテノリなどのオンビートであるのに愕然とした。これでは私は乗れない。ブルースのグルーブ感は感じ取れない。だからひとりオフビートで手を打っていたのだが、さすがにステージ上のブルースマンも気持ち悪かったのだろう。演奏の手を休めて手拍子を催促し始めたが、それは私と同じだった。
ブルースを多少聞いたことがある人ならシカゴ・ブルースの巨人マディ・ウォーターズの「モジョ・ワーキン」という曲を知っているだろう。先日、彼をしのんで現代のブルースマン達が集まったコンサートを放映していたが、驚いたことにプレイヤーや聴衆の過半がオンビートで手を打っていた。この曲を知っている人なら試して欲しい。ビートの打ち方でまったく違うノリになってしまうのに気づくはずだ。クリームがカバーしてヒットしたブルースの名曲「クロスロード」でも同じことが試せる。
音楽は理屈じゃない。ある曲にどう乗っていこうがひとりひとりの自由だ。だから私の感覚が正しいなんてことを言うつもりはない。ただ「正統的な」ビートをあえてはずすことによって生み出される緊張感やドライブ感が生命線であったはずのかつてのロックの本質が変質しつつあることは確かなようだ。あえて逆らおうとする意志を捨て、機械的なリズムに埋没して集団で忘我の境地に至ろうとする単純さ。時代は、カウンタービートを失ってしまったのか!なーんちて。



