カズ落選のニュースが流れて数日が過ぎた。私はこの決定に憤慨し、釈然としない気持ちがおさまらない。しかし、当人達はどう思っているのだろうとカズ、カズや北澤のサイトを訪ねた。無念の思いを抑えて残ったメンバーにエールを送る気丈な発言がそこにはあった。成田での帰国会見も感情を殺したものだった。サポーター達の掲示板での発言も読み漁った。岡田監督批判が多いようだが、周囲の方が動揺を隠せないでいる。
体力や技術の衰えとか、監督の戦術構想との不調和などについての分析は私にはわからない。以前、カズや北澤が岡田監督へ無礼な態度をとった(頭を蹴った?わざとぶつかった?)ことへの復讐だ、などという情報もあったが真偽のほどは不明。事実としても、子供のケンカじゃあるまいし、そんなことが決定に影響を与えているなとどとは信じがたい。要は、チーム首脳がW杯で「勝ちに行く」ことにこだわった結果の判断だったのだろう。
もともと私は読売カラーが生理的に嫌いで、ナベツネが嫌いで、巨人が大嫌いで、ベルディが嫌いな人間だ。無意識のうちに垣間見える選民意識と無神経さに一貫して腹を立てている。だから、カズが不動のレギュラーメンバーであることを前提にしたような選手起用に「政治的な匂い」や「実力者への配慮」を感じて腹立たしく思ったこともある。だから、カズのファンではもちろんない。しかし、今回の選考には納得できない。
以前、この日記で「中田を外せ」と書いたら非難のメールが殺到した!というのはウソだが、中田を選ぶことと、カズを外すということには、共通の思考基準があるように思う。すなわち、勝負にこだわるための合理性に従おうするか、儒教的なメンタリティとの調和を重んじるか、ということである。多分、前者はグローバルスタンダードの厳しさであり、後者は「日本的な甘さ」なのだろう。今回の決定の当事者である大仁強化委員長もこの点をわきまえており、「弱肉強食は世界の常識でも、日本では違う状況もある」という発言に迷いの深さが表れている。
スポーツの世界に限らず、日本人が世界の舞台で生きていかざるを得ない現在、その特殊性や未熟さを指摘されることが多い。私も日本や日本人の曖昧さや理念の欠落に苛立つことが多いのは、この日記に繰り返し書いているとおりである。しかし、ここで忘れてならないのは、グローバルスタンダードに同化すること自体を目的とするのなら、いつまで経っても亀を追うアキレスに過ぎないということである。アメリカ的な合理性が唯一の基準ではないし、ヨーロッパ的なマキャベリズムが成熟の証しでもない。我々は日本の伝統と体験をもとに独自のモデルを提示していくことが大切なのだと思う。それはもちろん、かつての矮小化された民族思想に回帰しようなどというものではない。
話しが大袈裟になったが、私個人はW杯において、勝利という結果よりも、記憶に残るパフォーマンスを日本代表に期待している。それは外国に対してだけでなく国内に対してもそうだ。カズの言葉にあった「誇りや魂」を重んじる「美学」を体言してみせて欲しいと願っている。その意味で、カズを外すなら、あえて中田を外して欲しかった。このままミニ・ブラジルやミニ・ドイツを目指してどうなるというのだ。



