冬季オリンピックももう終盤だ。あちこちで審判の公平性が問題になっている。明らかに政治的な力学が働いてしまっている決着のつけ方を含め、やりきれない気持ちになる。競技者でなくて良かった。


昔勤めていた会社の同僚が亡くなったとの知らせ。とても誠実でまっすぐな男だったのに。なぜ、どうして。10年以上も会っていないし、詳しいことはわからないが、彼らしく生きられた47年間だったのか。多分、会社を辞めてよかった。
通夜には行かなかった。許せ。


鈴木宗男と田中真紀子が参考人として登場した予算委員会。たたきあげの「濁」と、評論家的な「清」。泥試合。水掛け論。政治家でなくてよかった。


NHKで田中正造の一生を紹介していた。生涯を賭けて足尾鉱毒事件を闘った人だ。彼の言葉をふたつ。


いにしえの治水は地勢による。
あたかも山水の画を見るごとし。
しかるに今の治水はこれに反し、定規をもって経(たて)の筋を引くごとし。
山にも岡にもとんちゃくなく、真直に直角につくる。
治水は造るものにあらず。
我々はただ山を愛し、川を愛するのみ。
いわんや人類をや。
これ治水の大要なり。

真の文明は山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし。


前回の日記の前段について、意見をいただいた。誤解を招かないために補足する。
私は、酒を飲んだり食事をしたりして交友を深めることを否定するつもりはない。むしろ、こうした時間を共有できることこそが友人であり、知人であることの本質であるとも思っている。ただ、酒を酌み交わすことが「つきあい」の前提であるとか、心を通わすことに必須のことであるといった「酒飲みの押し付けがましい作法」に納得しない。そういうことです。