昨日の書き込みに関して、株主の方々からのいくつかの厳しい批判を目にした。
感情的な反論はともかくとして、「会社のホームページなのだから、業務に関係のない個人的な思想信条や社会的、宗教的、政治的な話題を載せるべきではない。公私混同ではないか」という指摘については、私自身がかねてより気にしていたことでもあり、真摯に受け止め、自分の考えをまとめてみるべきだと思った。
本来言う必要のないことであることを承知で初めにことわっておくが、私は政治党派や宗教に属したことはなく、特定の政治イデオロギーを信奉しているわけでもない。あくまで、個人として日々感じ考えたことを書き連ねているだけである。昨日の書き込みも、政治的な主張をするつもりはなく、「常識」にもたれかかって「正論」を振りかざすような思考のあり方や感性に反発を感じ、この気持ちを表明したいというのが主旨だった。この日記の以前からの「読者」なら感じてもらえると思うが、私は結果としての主義主張の違いではなく、その過程で「偏見や先入観や表面的な規則や多数派の常識」にこだわって新しいもの、変わったものを排撃しようとする人たちの思考停止に逃げ込む体質に異議をとなえてきた。それは、「ロードサイドホテル」という先例のないビジネスを産み育てる中で味わってきた情けない思い、やり場のない怒りをぶつけたかったからだし、書くことで挑戦し続ける自分の思いを再確認する原動力にもしてきた。
結論が違うのはよい。ただ、感覚や感情ではなく本質的なレベルに踏み込んで議論する姿勢を共有したい、そういう思いを繰り返し言ってきたつもりだ。何か政治的な目的や魂胆があったわけではまったくない。単に私がそういうことに無性に腹の立つ人間で、黙っていられなくなる性格だった、それだけのことだ。実際、拘束された人たち自体を直接非難も擁護もしていないし、自衛隊派遣の賛否にも触れていない。とりあえず私の言いたいことはその点にはないからだ。
「旅籠屋日記」は7年前、このホームページ開設と同時にスタートさせた。当時は、たった1軒だけの小さな宿(「鬼怒川店」)のオヤジで、住み込んでいるのは私一人。「こういう事業を始めた自分という人間の心情を吐露したい。どこかの誰かと微かにでも接点を持っていたい。聞いて欲しい。」という「公開日記」というような感じだった。ところが、グリーンシートに登録して株主が増え、事業も少しずつ拡大した頃から、「個人的な思い」をこの場に載せることに、私自身迷いや懸念が生じてきた。実際、外部から批判を受けたこともある。
だが、「日記と書き、独り言としている以上、これを会社の公式見解と受け取る無粋な人はいないだろう」と深刻には考えなかったし、「自己規制せず本音を書いて欲しい」という声もあって、なんとなくこの状況を変更しないできた。
しかし、今回指摘されて考えたことだが、仮にどこかの企業の社長個人の「日記」が公開されていて、その中で「勧告を無視してイラクに行くような人間は非国民だ」というような断定的な書き込みを見たら、少なくとも私はその企業の商品を買いたくなくなるかもしれないと思った。その企業が大規模な会社で社長がたんなるサラリーマン社長と思える存在だったら、会社と所長個人は別と納得しやすいが、彼が創業社長で彼の個性がその企業のカラーを体現しているような場合、間接的にでもその社長個人を利するようなことはしたくないと感じるだろうと思った。これは、その「日記」が会社のサイトとは別の個人サイトにあったとしても、おそらく大差ない。
ひるがえって、旅籠屋の場合どうだろう。後者であることは自他ともに認めるところだ。とすれば、私の言動は会社の印象に大きな影響を与えるに違いない。理屈はともかく感情的にはそうだ。重ねて言うが、私は既成の価値観に盲従しない姿勢というものを訴えたかったのだが、具体的な社会現象や事例をあげて語らざるを得ない限り、社会性や政治性から完全に逃れることはできないし、冷静に主旨を読み取ってくれる人たちばかりとは限らない。
とすれば、「旅籠屋日記」は閉鎖してしまうしかないように思う。会社のサイトはもちろん、私が「旅籠屋」という会社と関連して見られる限り、個人サイトにおいても「個人的意見」を述べることはやめたほうが良いように思う。
思い返してみれば、私がこの事業を構想し具体化しようとした動機は、「お仕着せを受け入れるのではなく、自分なりの価値観で旅や人生を選んでいくような世の中になって欲しい。そうすれば、日本はもっと自由で生きやすい国になるに違いない」という思いだった。「シンプルで自由な、旅と暮らしをサポートする」という創業理念にこめた願いはそういうものだったし、「旅籠屋」が増えることはその物理的な基盤と感受性を醸成することになると信じてきた。それは、今でも変わらない。既存の価値観への反発は、「旅籠屋」の事業を推進するエネルギーであった。私にとって「旅籠屋日記」への書き込みは「旅籠屋」の事業そのものの理念に通じていることをあらためて自覚した。
当たり障りのないことを書けばよい、という意見もある。少し考えてみたが、きっと当たり障りのないことなど、あえて書く気は起きないと思う。個人サイトに書けばよい、という意見もある。しかし、それは上に書いたとおり、形式的には良くても、実質的には私がリタイヤしない限り、似たりよったりのことだと思う。
「とても代表取締役として信任できない」と言われ、「会社のホームページの乗っ取り」「私物化」と決め付けられる。情けない。こうして、創業者は会社の成長にあわせて口を封じられ、邪魔者扱いされていくのか。「業績に悪影響を与える」という「正論」の前で、企業は利益以外の存在価値や社会的存在を積極的に語れなくなっていくのか。こうしていつのまにか会社は無色透明になり、人畜無害になっていくのか。コンセプトを語らない「旅籠屋」って何なのか。・・・正直言って、そういう感情もある。
しかし、今や旅籠屋という会社の利害関係者は数多い。5年前、公募増資に応じた株主の人たちに報いたいとずっと考えてきた。苦々しい思いで「旅籠屋日記」を読んでいる従業員もいるはずだ。両極端を選ぶことが解決策ではないのだろう。バランスの取れる場所があるかもしれない、しばらく多くの人の意見を聞き、自分自身の心の中をのぞいて考えてみようと思う。
正直言って、迷い悩んでいます。どうぞ、率直なご意見をお聞かせください。直接、私宛のメールでお願いします。
それまでの期間、経緯を理解してもらうためにも「旅籠屋日記」はこのまま公開しておきます。



