きのうの昼過ぎ、愛犬マギーが遠いところに行ってしまいました。無念です。悲しいです。
11年あまりの一生は「旅籠屋」の歴史と重なります。次から次にたくさんの思い出が浮かんできます。 両親の飼い犬ですが、半分近くは私と一緒に暮らしていました。会社設立の前後、狭いマンションの一室に預かった頃はまだトイレが覚えられず、汚物まみれになって毎日お風呂場で洗ってやりました。「鬼怒川店」がオープンして私がひとりで住み込んでいた頃はお客さんが来るたびにフロントに走っていって愛嬌を振りまいていました。東京に戻って今のビルに皆が集まって住むようになってからは各フロアーを行ったりきたりして心を癒してくれました。
いろいろと苦しかった毎日、邪気のない表情と仕草にどれほど救われたか知れません。それに比べ私はどれだけの愛情を与えてあげたのだろうか。やはり悔いが残ります。振り向けばいつもマギーがいた、そんな感じです。
8月に入ってから突然様子がおかしくなり、24時間交替でつきっきりの看病をしました。私も深夜から明け方近くまでオリンピックを見ながらそばに居ました。進行が速く、20日足らずであっという間に遠くへ行ってしまいました。
きょう、マギーはダンボールの棺に入れられ、荼毘にふされました。息をしなくなった時、冷たい骸になっていく時、焼却炉の中に消えていく時、驚くほどわずかの骨になってしまった時、何度も何度も声を上げて泣きました。どんなに愛しく思っても、もうなにひとつしてあげられません。空いてしまった穴を埋めることができません。
ペットロス、珍しいことではありません。 たかが犬のことでと笑う人もいるでしょう。でも、いつもそばにいた愛する者を失った悲しみは同じです。これからは、何を見ても何をしていても「彼女がそこにいたこと」を思い出し、胸が締め付けられるような思いに苦しめられます。時間だけが薬だと知っています。少しずつ、ほんの少しずつ、つらい思いが軽くなっていくのでしょう。
こういう時、つくづく歳をとるのはいやだなぁと思います。忘れられない悲しみが心の底にたまっていきます。そういう思い出が増え、だんだんと生きていくのがつらくなっていきます。人生とは大切な人を失っていくことだと聞いたことがあります。どうせそんな悲しみに囚われてしまうのなら、あくせく努力したり、前向きに頑張ってきたことに一体何の意味があったのだろうと空しくなります。
今、お別れを言う気には到底なれませんが、とりあえず「ありがとう」と心の底から言います。とてもとても心の優しい犬でした。 ほんとうに、ほんとうにありがとう。



