昨日(3/23)、「須賀川店」支配人から、地震直後からの詳細な報告メールが届きましたので、ご紹介します。
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「須賀川店」を後にする時はとても寂しい思いでしたが、すぐに帰ることができると信じて、「寒河江店」に参りました。
体力の回復と心を鎮め、店舗再開のための準備ということで、ゆっくりさせていただいております。
記憶が新しいうちに震災時の「須賀川店」の様子をまとめてみました。支離滅裂な文章になっていると思いますが、ご了承ください。


●地震発生当日(3月11日)
3月11日午後2時頃、客室清掃も終わり昼食をとっているとテレビで地震警報のアラームが鳴り響きました。急いで外に出ようとしましたが、あっという間に大きな揺れが襲いかかり足を取られながらも駐車場まで避難しました。
とても立っていられない大きな揺れの中、二人で支え合い地面にしゃがみ込んでいました。轟音と共に次第に強くなっていく揺れ、建屋が大きく揺れ、地割れが起こり、車が大きく踊っていました。現実としてありえないようなシーンに恐怖心も隠しきれません。


須賀川市は最大の揺れでしたが、内陸の平野部であったため、津波や崖崩れも無く、市内で亡くなられた方も数名でした。しかし、家屋の全壊・半壊があちこちで起こり救急車がひっきりなしに4号線を行き来していました。
社長の旅籠屋日記でも写真が掲載されております倒壊した林精機は、夕方に火事が発生し、消防車による消化活動がありました。こちらは家が密集していないために周りに火災が広がることはありませんでした。


揺れが収まった時に、建屋が倒れなかったことに安堵感を覚えました。真っ先にガスボンベの栓を閉めに向かうと、地面の陥没と倒れたガスボンベが地震の凄さを物語っていました。ボンベは重く、立て直すことができなかったため、全てのバルブを閉めるにとどまりました。浄化槽のモーターの配管も外れていましたが、すぐに直すことができませんでした。


ラウンジに戻ってみると、無残な光景が飛び込んできました。割れたマグカップが散乱し、観葉植物が倒れ、天窓に置いてあったプランターが倒れたことで土が飛び散っていました。幸いなことに家具類で倒れたのはマグカップが置いてあった棚のみ。コーヒーメーカー、トースター、レンジは無事でした。コーヒーメーカーが設置してある組み立て家具はキャスター付きであったため、地震の揺れをうまく吸収したものと思われます。


現況から本日は通常営業ができる状態ではないので、本日ご予約のお客様に連絡を取り、状況説明と宿泊の確認を行いました。電話が繋がりにくく、21時半頃には1組を除き連絡を取ることができました。最後まで連絡が取れない1組を除き、全てキャンセルとなりました。


連絡を取りながらも、お越しになる場合に備え、ラウンジの片付けや客室の準備も進めていきました。
余震が発生するたびに外に避難していましたが、そのうち余震慣れして片付けに専念するようになりました。
ラウンジとフロント(棚のものは全て落ちましたが、PCが無傷でしたので助かりました)の片付けも終わり、客室点検に入りました。揺れの方向と垂直に置いてあって液晶テレビは全て落下し、2台が液晶部分に損傷を受け、使用不能となりました。


壁に飾ってあった額の落下、トイレの水タンクの蓋もいくつか外れ、床が水浸し、バスタブの蓋の外れ、ドライヤーの落下、カップやシャンプー類の散乱。ベッドやテーブルも大きくずれていました。電球の割れはひとつも無く、窓ガラスは無傷でしたので、ガラス破片が無かったことは幸いでした。どの部屋も多少の亀裂はありましたが、宿泊には支障がないと判断。損傷が一番ひどい15号室も宿泊には支障がないと判断しました。
客室の片付けも終わり、宿泊者を受け入れる態勢を取りました。


一度は本社とも連絡が取れたものの、その後は電話での連絡が困難な状況が続き、インターネットも使用不能となったため、携帯メールでメールを発信しました。そのメールに返信があった時は、すごく嬉しかったです。
その後も携帯メールで本社と連絡を取り合い、初日を無事に乗り切ることができました。


通常営業ができない中、行き場の無い人に宿の提供をとの方針に従い、無償での宿泊提供を開始しました。シングルの方には相部屋をお願いしたり、客室を提供できない方にはラウンジを提供し、ソファーやエキストラベッドで寝ていただきました。
後日、ご出発の際にお心づけを申し出る方もありましたが、丁重にお断りいたしました。


●2日目(3月12日)
翌12日、断水によりトイレに溜まった汚物を流すことが出来ないため、裏の側溝に溜まった水を汲んできてトイレ掃除を行いました。
受水層には1トン弱ほどの水が残っていましたが、断水状態がいつまで続くか不明なため、飲料用としてのみ使用することとしました。


この日は浪江町から家を流されたM様ファミリーが訪れました。人工透析が必要な方をかかえており、須賀川で受け入れてくれる病院を探すことができてよかったです。
全てを無くし今後の不安を抱える中、家族が無事であったことに生きる望みを見出されている様子でした。


郡山市や須賀川市のホテルはほとんど営業しておらず、多くの方が「旅籠屋」を訪れて来られましたが、受け入れには限界があり、全ての人を助けてあげられない自分達の無力さが悲しく、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
宿泊された方からは「暖かいところで眠れるだけでもありがたです」と言っていただき、私達にとっても大きな励みになりました。


深夜、日も変わった頃、IさんとKさんが13時間かけてポリタンクと水を運んでくれました。これでいざという時にも水の配給にも出かけることができます。本当にありがとうございました。


●3日目(3月13日)
13日、昨日「軽井沢店」の支配人から断水時の対応について連絡いただいた簡易トイレを作成しました。リネン庫にあったに組み立て家具の板を利用し足場としました。ブルーシートを屋根代わりに張り、周りを使用できないシャワーカーテンで覆いましたが、枚数が少なく全体を覆うことができませんでした。しかし、昨日訪れたM様からビニールシートの提供を受け、周囲を囲う作業もしていただき、人目を避けて用を足すことができるようになりました。これでトイレに汚物が溜まることも回避でき、トイレ掃除も楽になりました。


原発の影響でいわき方面から避難した方が多く訪れるようになりました。この日も何人もお断りしなければならず心が痛みました。
宿を求める電話もひっきりなしに鳴り響きますが、状況説明をしてお断りをするしかありませんでした。


宿泊されている方達は、食糧や水を調達してくると私達に提供してくれました。それをラウンジに置き、皆で分けあって食べるようになり、良い協力体制が自然に出来上がってきました。
少し落ち着いてきたので、現況報告を本社宛てにメールを送りました。 (※下の3/13に転載したメールです)


●4日目(3月14日)
14日、宿泊している方が固定化し始め、長期の宿泊になる傾向となってきました。
ガソリンの調達が困難なことも加わり、宿泊者の方達にも疲れが見え始めました。
M様ファミリーには「全て流され、もうこれ以上失うものは無いのだからこれ以上は悪くならない。笑顔でいると幸せが寄ってくるから
笑顔で乗り切りましょう」などと励ましていると、そんなM様一家が他の被災者を励まし始め、困窮の中、「旅籠屋」内に明るく前向きな雰囲気が生まれてきました。

夜、「那須店」の支配人からカップ麺やお菓子、水、子供服、大人用紙おむつなどの支援があり、本当に助かりました。


●5日目(3月15日)
15日、水道工事の業者が入り、水が回復しました。
ライフラインの復旧にともない本日より通常営業を再開することとなりました。
宿泊料金の支払いについては、被災者の方の状況を踏まえ、後払いでもよいとの本社指示に沿って営業しました。


K様はチェックイン時には後日振込みでお話をしましたが、チェックアウト時に現金でのお支払いを受けました。
M様には本日から料金が発生すること、また、今後のことについて後日、相談することにしました。

宿泊者の方達とお話をする時間も多くなり、今後のことについて一緒に考えていこうという雰囲気になってきました。引き受けてくれる親戚をまずあたってもらい、受け入れ先が決まった家族からチェックアウトしていただきました。
しかし、大半の方は「どうしよう、どうしよう」と迷っているばかりです。


本日、水が復旧したことでトイレの水タンク内においてフロートの外れにより水が止まらない客室が2部屋あることがわかりました。
客室チェックの盲点でした。破損ではなく、単に外れただけでしたのですぐに直しました。


●6日目(3月16日)
16日、宿泊者の協力もあり、食糧・水は差し入れでまかなうことができ、宿泊者が飢えに苦しむことはありませんでした。
テレビでは避難所に食糧が届いておらず、わずかな食糧を分かち合って食べる映像などが流れる中、こちらはまだ恵まれた生活をしていることに心が痛みました。


ガソリン不足は相変わらずで、毎日ガソリンスタンドに長蛇の列。販売するかしないかわからないスタンドに早朝から100台、200台と並んだり、5時間並んだすえ、手前で売り切れとなってしまったり、苦労が絶えません。
ガソリンが調達できないがために次の行き先が決まらず、こちらに留まっているという感じです。


●7日目(3月17日)
17日、社長より「支配人と宿泊者の安全を第一に考え、須賀川店の一時休止」の連絡をいただきました。「現在宿泊されている方々に状況を説明し、再び行き場をなくさないように」との指示のもと、宿泊者全員にラウンジに集合してもらい、安全なうちに避難していただくという社長の思いを伝えました。


「本日中に受け入れてもらえる親戚やアパート、避難所を探しましょう」と声をかけたところ、皆さん一斉に動き始めました。私達は不動産屋をピックアップし、必要な方に提供しました。


当時、4組の復旧作業に来ていた方と8組の避難者が宿泊していました。
復旧作業に来ていた方は帰宅、他のホテル、貸しマンションへと移動先が決まり、避難者においても親戚、アパート、警察の官舎、またM様においては埼玉アリーナの避難所へと落ち着く先が決まりました。


だた、いわきから避難中のT様だけは本日出産となりアパートを探す時間がありませんでした。


●8日目(3月18日)
18日、朝、6組の避難者が出発しました。
M様は前夜22時頃出発され、「本当に感謝しています。落ち着いたら須賀川に戻ってきて仕事を探し、必ずお金は払いますから」との言葉を残して行かれました。
他のファミリーとも抱き合い、涙を流すこととなりました。別れ際、「必ずまた遊びに来ますから」と言って手を振り出発されました。


市内で家屋が倒壊したF様からは、「旅籠屋に入ってきた時から運が向いてきた。どこのホテルも受け入れてもらえず、行き惑っている中、受け入れてもらうことができ、どんなに嬉しかったことか。旅籠屋さんの営業休止の話を不動産屋に伝えたら、アパートのリフォームに時間がかかると言っていたものが、一日で入居可能な状態にしてもらえた。助かりました。旅籠屋に縁を持てたことは、僕の一生の宝物です。」とのお言葉をいただきました。


昨日出産されたT様ですが、行き先も探す時間がないことから、いわきの家(20〜30km圏内)に戻ると申し出がありました。他の皆が出発する中、自分達だけが残っていることに引け目を感じたのでしょう。
こちらで行き場が決まるまでいていただいても構いませんと伝えましたが、私達が止めるのも聞かず出発されました。
ところが、出発後間もなくして、「考え直しました、助けてください。こちらでアパートを探します。不動産屋さんを教えてください。」との連絡があり、アパートを一緒に探すから戻って来ていただくよう伝えました。
戻ってきたTさんを車に乗せて、Fさんから教えていただいていた不動産屋に出向き、相談しました。
当初は「1ヶ月という短期での契約はしない」などとしぶっていたが、事情を察してか本日から入居可能な物件を世話してくれました。
Tさんの顔に安堵感が表れました。本当によかった。


目先の利益よりも安全を優先された社長の苦汁の決断により、宿泊者の皆様が早い段階でそれぞれの道を決断することができました。
行き場をなくして訪れた人々が、旅籠屋を閉めたことで再び行き場をなくすことなく送り出すことができました。
これで安心して店舗を閉めることができます。
今月末までの予約確認も済ませ、K部長に連絡しました。


以上が地震発生からの「須賀川店」の様子です。
この8日間、本社の方々や各店支配人、代行の皆様から暖かいお言葉やメールをいただき、何より私達の励みになりました。
本当にありがとうございました。
一日でも早く「須賀川店」に戻れる日を楽しみにしています。