何度も書いてきたことですが、私は「BLUES」が好きです。
中学生の頃、ビートルズにはまってロック少年になり、そこからルーツであるブルースに出会ったという流れです。
メロディやリズムも、それまで耳にしていた西洋音楽とは何もかもが異質でショックを受けました。
大げさに言うと、それまでの常識が根底からひっくり返されたような衝撃でした。
正直言って背伸びする感覚もあったのですが、本物のリアリティがあるような気がしました。
しかし、そんな付随的なことはともかく感性に響くものがあったわけで、今も「BLUES」が聞こえてくると心が震えてきます。
そんな音楽に出会えたことは幸せなことです。
残念なことですが、あの頃から50年が経って、もはや狭い意味での「BLUES」は現役の音楽ではなくなってしまいました。
しかし、ごく一部の民俗音楽や伝統音楽を除いて、世界中の音楽のほとんどが「BLUES」の洗礼を受けているように感じます。
もちろん、「BLUES」という音楽は、アメリカの黒人たちの生活の中から生まれたものです。
アフリカから奴隷として拉致され、アメリカの田舎にバラバラに連れて来られた黒人たちが、他の色々な音楽に触れる中でなんとなく生まれてきた音階やリズムや形式が、わずか100年前後で世界中に影響を与える存在になったとは、驚くべきことです。
そんなこんなで、私は、「BLUES」を通して、アメリカの黒人たちに興味を抱き、
驚いたり、あこがれたり、尊敬したり、軽蔑したり、あきれたりしてきました。
ですから、こんな書き込みには反応してしまいます。


続・ももクロとラッツ&スターに捧ぐ:黒人であることが何を意味するか  ( 引用元

それが意味するのは……いつも目立ってしまうこと(異質だから)。
自分の価値を証明し続けなければならないこと。
個人なのに、黒人という民族全体の代表例と見なされること。
良い部分は喰い物にされ、悪い部分が少しでもあれば貶められること。
誤解されること、信用されないこと。
対等には扱われないこと。
生命が軽視されること。
この日本人ミュージシャンの意図は理解できるが、それでも無礼で無神経だ。
いかに黒人が搾取されるか、いかに他人種が黒人の功績から不当な利益を得るか、の一例に過ぎない。
かつては、白人が顔を黒塗りし、黒人を題材に笑いを取るショーをやっていた。
こうしたショーは、黒人に対する差別や先入観を助長し、ネガティブな黒人像を残した。
そのステレオタイプは、今も健在だ。
黒人文化は、いつもビュッフェのように扱われる。
まるで、気に入ったものだけアップして、残りは無視していいかのように。
黒人には、他人種が信じているようなステレオタイプ以外のあり方が許されないかのように。
件の日本人アーティストがやっていることは、我々への賞賛に見えるかもしれない。
しかし実際には黒人の人間性を奪うものだ。
商品化され、パッケージとして売られる黒人文化。それは悪である。
それによって、我々黒人の存在自体は軽んじられるのだから。

ミンストレルショーのことですね。
「黒人音楽に対する敬意を表しているのだから問題視するほうがおかしい」という意見もあるようですが、それは「差別される人たち」への想像力に欠けているというしかないと思います。
メガネをかけ、出っ歯で、ニヤニヤ笑っている小柄な人間が、カメラを提げて登場するシーンを何度も見たことがあります。
金髪のカツラをかぶり、顔を白く塗った人たちが笑いをとるシーンを見たことはありません。

さらに、率直かつ具体的に述べられているのが、以下の文章です。

在日黒人男性から日本人へのオープンレター  ( 引用元

日本人の方々へ
私達に暖かく、優しく接してくださり感謝しています。礼儀正しく、自制に重きを置く日本の文化を、私達は尊敬しています。
おバカ、無神経、ナルシスト、イヤな奴…などなど、欠点も少なくない我々外国人男性ですが、私達にも不平不満はあります。
あなた方が自分の行動の影響に無知だと知っているからこそ言わなかったり、あなた方との友情を壊したくないから言えなかったりすることです。
これは、私達黒人が経験するいらだちや不平を並べたリストです。
もちろんあなた達がわざと、悪い意図を持って行っている行為ではないと分かっていますが、極力避けてほしいことです。

1. 人と違うことや、友人とくらべて個性的でありたいがために黒人と友達になったり、恋人関係にならないこと。
2. 英語を教わるために黒人と友達になったり恋人関係にならないこと。仕事として「学校」という場所で英語を教えているプロもいるのです。
3. オバマやボビー、その他あなたが片手で数えられる位しか知らない黒人有名人に似ていると言わないこと。似ていない場合がほとんどです。
4. 黒人が大好きだと訴えてこないこと。黒人の行動や見た目が好きなだけで、黒人自身を好きな訳ではないのでしょう。
不快な気持ちになります。あなたの目の前に立っている人と、その人の性格と向き合ってください。皆それぞれ違うんだから。
5. 黒人だから良い体型だねとか、強いと言わないこと。この体を作り上げた私の甚大な努力を無碍(むげ)にしないでください。
あなたも努力したら、違う発言になるかもしれませんよ。
6. 褒めるときに「黒人/外国人だから」と付け足さないこと。説明する程のことでしょうか?
7. 私がマリファナや他の違法ドラッグを好きか、あるいは所持しているか聞かないこと。
黒人が違法ドラッグを所持していたり、他の違法行為に及んでいると決めつけるのは人種差別です。
母国でも、白人の子供や警察、セキュリティガード達に同じ質問をされますが、かなり不名誉でストレスが貯まる経験です。
何千マイルも離れたこの地で同じことを経験するとは!
8. 黒人になりたいと言わないこと。褒め言葉ではありません。
あなたは黒人ではないし、黒人には一生なれないし、しかも黒人になりたい理由がおバカで子供っぽいことが多い。
黒人は、内なるリズムやスピリチュアリティを持って生まれた特別な人間ではありません。お願いですから自分のことを愛してください。
9. 自分の人種をおとしめて黒人を褒めないこと。
10. 聞く前から私達の髪の毛をさわらないこと。私達は動物ではありません。
11. 自分の人種をけなしながら黒人男性や女性の体を褒めないこと。気持ち悪いです。自分のことを愛してください。
12. 黒人を魅了するために黒人の女性をマネしないこと。黒人の女性が好みだったら、そもそもあなたを選びません。
13. ラップできると決めつけないこと。黒人皆に同じ才能がある訳ではありません。
14. バスケットボールがうまいと決めつけないこと。理由は上記。
15. ダンスがうまいと決めつけないこと。理由は上記。
16. 黒人や黒人の体のフェチにならないこと。それはモノ扱いだし、人種差別です。黒人はモノではなく、人です。
17. あなた方が「ブラックカルチャー」や「B系」と呼ぶものは、黒人文化のごく一部です。他の名前をつけた方がいいかもしれませんね。
世界中の黒人の過半数は、それらと関わりがない生活を送っています。
18. 友達にいいよと言われても、ニガーと言わないこと。ダメなものはダメ。ある日、大変なことになりますよ。
19. 黒人の見た目や肌の色で国籍を決めつけないこと(アメリカ、ジャマイカ、アフリカしか知らないようですが)。
黒人は世界中どこにでもいます。
20. 好みのタイプが黒人は皆同じだと決めつけないこと。
21. 黒人は貧乏だと決めつけないこと。あなたが無知なだけ。テレビを消して。
22. アフリカ人は皆飢餓で苦しみ、救いを求めていると決めつけないこと。あなたが無知なだけ。
23. 黒人は全員、異性愛者だと決めつけないこと。
24. 黒人はセックス好きと決めつけないこと。テレビを消して。
25. 黒人は強姦魔と決めつけないこと。テレビを消してください。
26. 他の人とくらべて黒人はHIVや他の性感染症や病気を持っている可能性が高いと決めつけないこと。
本当にお願いだからテレビを消してくれ!
27. 公共浴場で黒人のペニスをジロジロ見ないでください。何も見るものはありません。
28. 黒人は皆ペニスが大きいと決めつけないこと。ガッカリしますよ。
29. 「試してみたい」「どんな感じか知りたい」ために黒人と付き合わないこと。
流行ファッションみたいに、飽きたらポイっと捨てて新しいモノへ走るのはわかっています。
30. アフリカを国とみなしたり、アフリカ大陸と国との対比をしないこと(例:アフリカと日本の対比など)。
アフリカ大陸には54ヵ国と2000以上の民族と言語が存在します。あなたが無知なだけ。
31. 黒人と繋がるために「Dope(ドープ)」「Swag(スワグ)」「Gangsta(ギャングスタ)」等の言葉を使わないこと。
黒人全員がその言葉を理解するわけでも、同じ言葉を喋るわけではありません。
32. 音楽の趣味を決めつけないこと。黒人全員がヒップホップ、R&Bやレゲエを好きなわけではありません。
33. 単一的な「黒人」の見た目はありません。肌の色も体の部位も多様です。
34. あなたが黒人に似せるためにブレイズをしたり、アフロやスパイラルにしたり、頭におしゃれな布を巻いたりしても、
黒人に似ているとは思いません。
35. 黒人の唇、肌の色、髪の毛やその他 黒人の体の部位をネタにして笑わないでこと。
失礼だし、究極にガキです。しかも、あなたがどれだけ世界のことに無知か知らしめているだけですよ。
36. 黒人の肌の色をチョコレートやその他の黒っぽいモノに例えないこと。 ?

これは攻撃ではなく、あなた方と私達がもっとお互いを理解し、友情を深めるための情報です。
私達が過剰に反応しているのではなく、これは、黒人がずっと否定されてきた部分を尊重してもらうためのものなのです。
私達の多くは、これらを経験して気分を害しても、これが普通だと受け入れるしかないのです。
上記の多く(そしてもっと酷い場合も多い)は、黒人が少数派である国や人種差別がはびこる国でも同じように経験されているものです。
日本の方々、この情報を黒人の知人がいる人や、「ブラックカルチャー」に没頭している友人にシェアしてください。
「アプリシエーション(感謝)」と「アプロプリエーション(私有化)」の違い、「愛」と「フェチ」の違いを理解してください。

ダイバーシティとか、多様性ということが言われます。
耳ざわりの良い言葉かもしれませんが、立ち止まって、自分の心の中をじっくりと覗いてみる必要があります。
自分と違う人に対して違和感や警戒心を抱くのは自然な反応です。誰でも、アイデンティティを保てなければ、心のバランスを失ってしまいます。
それを防いでいるのが、ある種の共通の価値観を持つ集団に帰属しているという安心感なのだと思います。
ですから、我々は排他的な感情から逃れられません。差別意識を持たない人などいない、私はそう考えています。

でも一方で、差別されるのもイヤだし、差別する人間でもいたくないと心底思います。

こうした矛盾をどう消化すれば良いのか。そんな時に出会ったのが、以下の文章です。
ある質問に対する答えとしてネット上に書き込まれたものです。心を打たれました。

弱者を抹殺する。  ( 引用元

不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思います。
自然界では弱肉強食という単語通り、弱い者が強い者に捕食される。でも人間の社会では何故それが行われないのでしょうか?
文明が開かれた頃は、種族同士の争いが行われ、弱い者は殺されて行きました。
ですが、今日の社会では弱者を税金だのなんだので、生かしてます。
優れた遺伝子が生き残るのが自然の摂理ではないのですか。今の人間社会は理に適ってないのではないでしょうか。
人権などの話を出すのは今回はお控え頂ければと思います。


え〜っと、、、よくある勘違いなんですが、自然界は「弱肉強食」ではありません。
弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません。
虎は兎より掛け値なしに強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています。

自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です。
個体レベルでは、最終的に全ての個体が「喰われ」ます。全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、必ず死にます。
個体間の寿命の違いは、自然界全体で観れば意味はありません。
ある犬が2年生き、別の犬が10年生きたとしても、それはほとんど大した違いは無く、どっちでもいいことです。

種レベルでは「適者生存」です。

この言葉は誤解されて広まってますが、決して「弱肉強食」の意味ではありません。
「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです(「残る」という意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味であることに注意)。
そして自然というものの特徴は、「無限と言っていいほどの環境適応のやり方がある」ということです。
必ずしも活発なものが残るとは限らず、ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略もあります。
多産なもの少産なもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、大きいもの小さいもの、、、、
あらゆる形態の生物が存在することは御存じの通り。「適応」してさえいれば、強かろうが弱かろうが関係無いんです。

そして「適者生存」の意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味である以上、ある特定の個体が外敵に喰われようがどうしようが関係ないんです。
10年生き延びて子を1匹しか生まなかった個体と、1年しか生きられなかったが子を10匹生んだ個体とでは、後者の方がより「適者」として「生存」したことになります。
「生存」が「子孫を残すこと」であり、「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということになります。

人間の生存戦略は、、、、「社会性」。

高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する。
個別的には長期の生存が不可能な個体(=つまり、質問主さんがおっしゃる”弱者”です)も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略です。
どれだけの個体が生き延びられるか、どの程度の”弱者”を生かすことが出来るかは、その社会の持つ力に比例します。
人類は文明を発展させることで、前時代では生かすことが出来なかった個体も生かすことができるようになりました。
生物の生存戦略としては大成功でしょう。
(生物が子孫を増やすのは本源的なものであり、そのこと自体の価値を問うてもそれは無意味です。「こんなに数を増やす必要があるのか?」という疑問は、自然界に立脚して論ずる限り意味を成しません)
「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよ。

あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です。遺伝子によって発現されるどういう”形質”が、どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です。
例えば、現代社会の人類にとって「障害」としかみなされない形質も、将来は「有効な形質」になってるかもしれません。
だから、可能であるならばできる限り多くのパターンの「障害(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」を抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるんです。
(「生まれつき目が見えないことが、どういう状況で有利になるのか?」という質問をしないでくださいね。それこそ誰にも読めないことなんです。
自然とは、無数の可能性の塊であって、全てを計算しきるのは神ならぬ人間には不可能ですから)

アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいませんね。
ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです。
その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです。
だから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、どちらがより「人間社会」の本質かといえば「協働」である、
と答えるんです。
「闘争」がどれほど活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです。

我々全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのがホモ・サピエンスの生存戦略だということです。