「旅籠屋日記」は、会社の公式見解ではなく、当社の創業者である 甲斐 真の 創業当時からの日々の思いをつづった 個人的な日記あるいは随想です。
したがって、書き込みの内容についての責任は会社ではなく、個人に帰します。
ただし、その信条や個性が「旅籠屋」という事業を生み出し牽引してきた
重要かつ不可欠な要素であると考え、
あえて「旅籠屋日記」という名称を用い「旅籠屋」のサイト内に置いています。
「旅籠屋」という会社やその事業が、
広く社会の中でどのような存在になることを目指してきたのか、
その理念とコンセプト、背景にある感性の源泉を汲み取っていただければ幸いです。
1月に叔母が、4月に母が亡くなりました。
ふたりとも身寄りは私だけなので、諸々の手続き、葬儀、遺品整理など、煩雑な作業に追われました。役所などから届く請求書や問合せへの対応もややこしく、つくづく人間は生きているだけで面倒くさいと叫びたくなりました。
空き室になってしまった両親の部屋に同じビルの中で移ることにしたのですが、改装や3つの住まいの整理が重なり、途方に暮れました。室内にあふれている物にはそれぞれの人生の時間が凝縮されており、その整理や処分は楽しい作業ではありませんでした。
こうした毎日が半年以上も続きましたが、今週末には父を含め3人の納骨を行い、ようやくひと段落できそうです。
会社の方は堅調に推移し、債務超過も解消して安定経営に戻ってきたと言える状況です。
これは、お客さまや社員のおかげであり、ほんとうにありがたいことだと感謝しています。
しかし止むにやまれず復帰して1年、数字以外の面では「清潔であたたかい宿、清潔であたたかい職場」という思いが伝わらないこともあり、傷つき疲れている自分がいます。
世の中を見ても、むき出しの欲やプライドがぶつかり、憂さ晴らしのような誹謗中傷がひどくなるばかりです。暗く冷たい通奏低音に精気を奪われます。
人生を振り返ると、悔いや詫びたいことがたくさんあります。
しかし、人を利用したり裏切ってよいと考えたことは一度もありません。決して世間知らずのお人好しではないのですが、間違いなく人の善意を信じたい性分なのでしょう。亡き父からの「ごまかすな」という血の刻印も鮮明なままです。
こんな中、20年来いやいや続けているジョギングと年明けに11歳になる愛犬が、今年も私を支えてくれました。
結果として、今年は自分にとっての終活につながる一年になりました。
まとまりのない話しになりましたが、来る年が、排他的な憎悪や不信や攻撃ではなく、少しでも利他的な笑顔と寛容な心に満ちた安穏な年になるよう、願い祈りたいと思います。
これが「旅籠屋の心」でもあります。
株式会社 旅籠屋の英語表記名は、Hatagoya & Company です。
株主や取引き関係者を含め、夢や志を共有する仲間たちの会社でありたいという願いを込めていますが、こういう思いを実感している社員は少ないかもしれません。
創業以来のモットーは「シンプルで自由な、旅と暮らしをサポートする」です。しかし、もっとも重要なのは、これを「利益の最大化」や「社会の多数派の常識」や「形式的なコンプラ(法令遵守)」よりも上に置こうという意志や覚悟です。
モットーそのものは一見平凡ですが、その背後に隠れている意志や覚悟は非凡です。そこに「旅籠屋らしさ」の本質があることが伝わっているか確信が持てません。
そもそも何らかの目的を実現するためには、何かを犠牲にしたり諦めたりしなければなりません。日々は判断と取捨選択の連続であり、その際の優先順位の有り様こそが個性でありアイデンティティの源泉なのだと思います。個人においても法人においても。
これはビジネスの教科書で学べることではなく、もっと奥底にある何のために存在しているのか、何をしたいのかという情念から導かれるものです。
個人であれば、答えなど無くても生きていけます。しかし、創業者にとって会社は自分が意図して生み出したものですから、目的や理由を見失っても存在していけるというのは、情けなく悔しく無責任なことです。
私がなにより嫌いなのは、断片的で小手先でその場逃れの浅薄な意見です。いわく「儲けを増やさなきゃ企業じゃない」「他の会社はこうしている、世間の流れはこうだ」「法律がこうなっているから仕方ない」。
そんな了見だったら、日本初のMOTELチェーンなど誕生しなかったし、人口の少ない地方への店舗展開など実現させなかったし、リピーター6割、直接予約8割という結果も生まなかったに違いありません。
考えてみたら、これは生みの親である創業者のこだわりであって、後継者にとっては、企業が存続し拡大するのであれば何が問題なのか、ということになるのかもしれません。こうして意志や覚悟は忘れられ、DNAは途絶えていきます。魂を伝え、共有し、そういうHatagoya & Companyを後世に残したいと思うのですが、これは不可能なことなのでしょうか?
ところで、旅籠屋に制服というものは存在しません。ただ、コーポレートカラーである山吹色にロゴマークをプリントまたは刺繍したTシャツ、ポロシャツ、フリースがあり、全社員に支給しています。
スタッフであることをお客様に示す意味を伝えているので、店舗では多くの支配人が着用しているようですが本社で常用しているは私だけです。通勤中に恥ずかしいという気持ちがあるのか、個性を損ねると感じているのか、旅籠屋の一員であることを誇らしく思っていないのか、心の中を覗いてみたい気がします。
たまに見かけるとHatagoya & Companyの思いが通じているようで、とても嬉しく感じていることを、ここで告白しておきます。
昨秋の株主総会で3年ぶりに復帰し、ちょうど1年が過ぎました。
先週開催の今年の総会は、拍子抜けするほど、平穏無事に終わりました。
年初から作業を進めていたホームページの全面更新も、先刻切り替え作業を終えました。表示速度も改善され、「旅籠屋らしい」情報発信を心がけていきたいと考えています。
どのように見えていたかはわかりませんが、命を削るような1年間でした。
20年近くもジョギングを続けていて、今も無理やりchocoZap通いを続けているのが良かったのだと思います。鉛のように重い気分を引きずって走りに行くけれど、終わった後は必ず心が軽くなるからです。
4年前にリタイアした後も悩ましいことが続き、期待に反して心穏やかな日々は訪れませんでした。自分ではどうしようもないので、ストレスは大きくなるばかり。
日本人は心配性の遺伝子を抱えている割合が高いとどこかで読んだことがありますが、間違いなく私はその一族です。問題がひとつ解決しても、すぐに次の心配事を探しているような自分がいます。この4~5年間背負ってきた重荷からようやく解放されたというのに、気持ちが晴れないことに驚いています。これではいけません。
経営者として最後の砦にならなければという責任を30年以上背負ってきましたが、後進に委ねる勇気と忍耐を身につけなければいけない時です。幸い、この1年でそうした社員の成長を感じることができているし、今がスタンスを変えるチャンスなのです。
長く暑かった夏がようやく終わり、急に秋らしくなってきました。
そんな秋空の下、昨日、1年半ぶりにバイクのライディングスクールに参加し、サーキットを走ってきました。朝早くから夜遅くまで400km以上走って疲れ果てましたが、充実した一日になりました。5月に突然エンストしてレッカー移動したバイクもバッテリー交換で調子を取り戻し、乗り手の私もまだ走りを楽しめる体力と気力を実感できて良い気分、少しずつ、またバイクで全国の「ファミリーロッジ旅籠屋」を巡りたいと思います。
とても苦手なことなのですが、これからは頑張って仕事のペースを落としていくことにします。