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三重県桑名市吉之丸
旧桑名城本丸跡地「さくらまつり」「つつじまつり」「花菖蒲祭り」「金魚まつり」が開催される


 史跡地に指定せられている地域は、鎮国守国神社を中心とする字吉之丸の一部13,143坪の地域であって、旧桑名城々内の約半分ということができる。
現在の市営プール、同駐車場、柿安、鎮国守国神社、九華公園グランドで、字二之丸の公園一帯は含まれていない。
指定区域に入るところには、通称御本丸という城の中心部、その東の朝日丸、北の御殿、揖斐川に面した城壁の一部があるが、本丸周囲の堀、御殿三方の堀など大部分は埋立てられて旧観はなくなり、昭和34年の伊勢湾 台風後、揖斐川沿岸に残っていた長い城壁も、高潮防波堤に改修せられて一層風情を失ってしまった。
この地に初めて城を築いたのは、伊藤武左衛門で、元亀以前のこと、当時は東城と称した。
桃山時代になると、文禄年間、一柳右近が神戸城の天守閣を移して結構なり桑名城と称した。
関ヶ原戦後、慶長6年(1601)本多忠勝が就封すると、初めて桑名を町割し、堀を作り、城普請をして天守、三之丸を定めて城下町桑名を形成した。
元和3年(1617)松平定勝就封 後には、南の方二之丸が増築、寛永12年(1635)松平定綱就封後には、川口より南の方の揖斐川沿いが修築されて、東海道の名城とうたわれたが、松平定重の元禄14年(1701)大火によって、ほとんど灰燼に帰し、その後、再築修補せられたが、天守は再び成らず、明治維新に至っては、幕軍方の旗頭であったため、開城の後に一部は焼かれ、明治4年廃藩後は城内の遺構取り払われ、城石は、四日市港防波堤資材となり、堀は改変せられて貯木場(帝室林野局熱田出張所々管)、御殿及び本丸の一 部は東洋紡績工場(現柿安他)となって現在に至った。
桑名城の総構(そうかまえ)は、揖斐川の水を利用し、赤須賀門より伊賀町、柳原、新屋敷、伝馬町(七曲り)から、鍋屋町を経て北折、一色町、三丁掛より寺町、太一丸を流れて、住吉へ注ぐクリークから成っていた。
この地形は丁度扇状をなしているので、桑名城を一名「扇城」とも言ったという。
松平定重転封当時の城廓引渡帳には「櫓数51(三重櫓3、二重櫓24、附櫓24)多門12、門46(内舟入門1、埋門2) 井戸14、水門3、武具蔵9」と記されている。
特徴は舟入門で、水城であるということである。
<注>本丸にある鎮国守国神社は藩祖松平定勝の第3子で、越中守初代城主松平定綱公(鎮国大明神と称す)と越中守9代松平定信公(守国大明神と称す)の両者を奉祀する。
摂社に旭八幡社、日吉菅原社、招魂社、稲荷社。
境内に天守台跡があって、丘上に戊辰殉難招魂碑があり、公園入口に森陳明殉難を表彰する精忠苦節碑がある。
また楽翁公百年記念に建てられた 宝物館には、定綱及び定信両公を中心に収集した遺品千数百点を公開している。
「ファミリーロッジ旅籠屋・桑名長島店」から7Km
TEL:0594-21-9932