本社トップ
本社トップ


1994年設立

料金・時間など
IR情報
投資家向け
パブリシティ実績
紹介記事など
PR情報
プレス向け
求人情報
募集中
土地活用
遊休地募集
旅籠屋日記
社長の独り言
プレゼントクイズ
毎月実施中



チーム旅籠屋
ランニングチーム

鈴鹿8耐参戦記
鈴鹿8耐参戦記




 


ファミリーロッジ旅籠屋バナー
当サイトは
リンクフリーです



国連UNHCR協会の
難民援助活動に
協力しています


二足四足協和国を
応援しています

 

バックナンバー

19
2015年
2015.11/5 3大うまみ成分
2015.11/12 東京モーターショー
2015.11/30 テロのニュースで感じたこと
2015.12/27 ゆく年、来る年

2015年11月5日 3大うまみ成分
先日、バイクツーリングの途中で、キノコ狩りを楽しんできた。ビニールハウスに並べられている木には、すでにたくさんのシイタケが育っており、これを根元からちぎるだけなのだが、傘が開いて胞子を放出する直前のものがグアニル酸が多く美味しいと教えられた。
ちなみに、 昆布のダシから発見されたグルタミン酸、かつお節のダシから発見されたイノシン酸、そして干しシイタケなどの煮出し汁に含まれるグアニル酸を3大うまみ成分と言うのだそうだ。さっそく採りたてのシイタケを炭火であぶって食べたのだが、驚くほど美味しかった。
「子孫を残す前がもっとも美味しい」という説明には説得力があって納得してしまったが、考えたら残酷で申し訳ない話しである。私が見逃せば、無事に胞子をばらまいて思いを遂げていたのかもしれないのだ。
そんなことを考えながらシイタケを見ていたら不思議な気分になった。
「キミは傘を広げ、胞子を放出するために生まれてきたの?」。子孫を残すことが生き物の目的なら、そうなのかもしれない。じめじめした薄暗い森の中で繰り返されるシイタケの世代交代。キミたちの一生って、それだけなの?
生命の本質がそういうことなら、リンゴの木も、犬も猫も、我々人間だって同じはずである。勉強して仕事して、楽しんで悲しんで、それって何なの。

足元には半年前に我が家に迎え入れたワンコがいて、つぶらな瞳でこちらを見ている。
難しい話しは別にして、無条件に可愛くて、一緒にいるだけで幸せ。
生きてるって、不思議だね。

1年ぶりの日記が変な話しになってしまいました。これからは、週記を目指して書き込みます。
2015年11月12日 東京モーターショー
先週末「東京モーターショー」に行ってきた。
数えて44回、会場が東京に戻って3回目。幕張メッセの頃に比べてコンパクトになってしまったような印象を受けた。
ちなみに、第1回は1954年開催だったそうで、私の人生とほぼ重なっている。
そうか、私は日本におけるモータリーゼイションの発展とともに生きてきたことになるわけだ。
「モーターショー」にも10数回は来てるかもしれない。
 
当然、2輪を中心に見て回ったのだが、展示台数が少なく残念。私には「モーターサイクルショー」の方が楽しい。
ただ「モーターショー」の見所は、時代の空気を感じられる点にある。来場者の年齢層や熱気、人気のコーナー、メーカーの力の入れ所。
今回は、話題の「自動運転」がクローズアップされていた。
数時間かけて展示をひととおり見て回った後、当社もメンバーに加わっている「自動車旅行推進機構」が主催するシンポジウムに参加してきた。
今回のテーマは「カーたびの明日〜未来のクルマは旅をどう変えるか」。
こんなことができるようになる、こんなふうに旅が変わるかもしれない・・・
断片的には面白いアイデアも聞けたが「夢がひろがる」という気分にはまったくなれなかった。

この60年間で、車も家電品も驚くほど便利になり、我々の生活を変化させてきた。みんな新製品に驚き、あこがれを抱いてきた。
でも、最近は、そんなトキメキがめっきり少なくなった。
パソコンやネットや携帯電話の分野では熱が残っているかもしれないが、何かしっくりしないものを感じている人も少なくないように思う。
人間の本能や生理に対して、モノがじゅうぶん高機能になりすぎたのかもしれない。
サービスが押し付けがましくなっているようで、「夢見る」ことを無理強いさせられているようで、頭は面白がるけど、心が躍らない。
逆に、アナログで古臭いものが「懐かしく新鮮で」しっくりきたりする。

仕事がら、高速道路を使って長距離ドライブをする機会が少なくない。退屈である。苦痛である。そんな時、車が「自動運転」してくれればラクだと思う。
でも、そんな未来にワクワクしているわけではない。
総称して「スマート・モビリティ」。ビッグデータの上で管理され、予定調和的な快適さをなぞる。
それは、旅の本質に逆行するものに思えてならない。

年甲斐もなく、最近バイクでサーキットを走り始めている。
革ツナギなどの装備品を含めお金がかかる。休みの日に早起きして疲れてしまう。下手くそで悔しいし、危険じゃないけど少し怖い。でも楽しい。
私の愛車にはABS(アンチロック・ブレーキ・システム)もトラコン(トラクションコントロール)もいらない。
機械任せの安全や便利さを求めるなら、そもそもバイクに乗りたいと思っていないし、旅に行きたいとも思わない。

そんな人生なんてつまんない。
2015年11月30日 テロのニュースで感じたこと
先日、パリで悲惨なテロ事件が起きた。一般市民が無差別に標的になった。ひどい話だ。

フランスへの連帯とテロを許さないという意思表示のために、facebookでは三色旗を自分のプロフィール写真に重ねる人も少なくなかったが、私は同調する気持になれなかった。
テロの犠牲者は今回に限ったことではなく、ロシアの航空機でもトルコでもレバノンでもエジプトでも各地で頻繁に起こっており、フランスだけを特別扱いをするのはおかしなことだ。
そしてもうひとつ、あのテロを実行した人たちはいたずら半分の愉快犯ではなく、命を賭した示唆活動を実行したのであって、そこには彼らなりの強い怒りがあったと考えるからだ。
似たようなことは、14年前にも感じたことだ。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件である。
あの時、世界中の人々が驚きアメリカに同情したものだが、私はアメリカがこれほどまでに憎まれ恨みを買っていることが容易に想像できた。

誤解されないように断言しておくが、私はアルカイダやISの肩を持つつもりはないし、テロを肯定するつもりもない。
しかし、19世紀以降、先進国が自国の利益のために「自由」「正義」「博愛」などというもっともらしい美名を掲げながら世界中で繰り返してきた蛮行を知っている。だから、テロの問題は、やくざの出入りのように、お互いが暴力で報復を繰り返したり、神に祈るだけで解決する問題だとは到底思えない。

ところで、数年前から、政財界のトップが「グローバル経済の中で少子高齢化の日本が生き延びていくためには、人間の鎖国を解き、海外からの労働力を広く受け入れるべきだ」発言することが増えている。私はこれに強い違和感を感じる。

海外を旅行していると、3K(きつい、汚い、危険)の仕事に移民らしき人たちが多いのに気づく。ホテルの廊下ですれ違うルームメイクの人たちも同じだ。気持ちがざらつく。申し訳ないような気がしてくる。
安い労働力を得るために、経済的に困窮する人たちを迎え入れる、そんな社会が健全だとは思えない。「平和で民主的な世界にようこそ、努力して同化すれば、すばらしい未来が待っていますよ」と言う人もいるのかもしれないが、私が感じるのは、欺瞞と偽善だ。伏目がちに働く人たちの鬱屈した感情、屈辱感や絶望に気づかないふりをするわけにはいかない。

私は個人の自由を何より大切にしたい。そのために、ひとりひとりの多様性を尊重しなければならないと考えてきた。日本社会は本質的に閉鎖的な村社会なので、「普通」から外れると生きにくい。そうした閉鎖性を緩めて、ひとりひとりが胸を張って自立して生きていけるようにしたい、旅籠屋はそうした願いの中で生まれたのだし、そのこだわりを頑なに守り、反映してきた。

しかし、あらゆる個性や違いがフラットに同居するような社会が望ましいとはけっして思ってはいない。日本人としてのアイデンティティや帰属意識を維持できないような社会に長期間暮らし、その一員になりたいとは思わない。
つまり、風俗・習慣・文化などを共有する人たちがマジョリティとして存在する世の中があり、これに属さない人々は排除されたり不当に差別されることはないけれど、そのマジョリティのルールを尊重する範囲内でマイノリティとして受け入れられている社会、それが私の暮らしたい社会である。だから、私は大量の移民受け入れには賛成できない。

付き合いの長い友人に話すと、そんな保守的な意見は私らしくないと言われる。でも、偽善的な「良識派」になりたいと思ったことはない。

フランスもドイツもイギリスも、自国の利益のために北アフリカや中近東やインドなどからたくさんの移民を受け入れてきた。短期的には経済的なメリットがあり、活力を生んできたかもしれないが、それは格差を固定させ、その割合が一定限度を超えると文化的な摩擦が噴出する。今はそんな段階なのだと思う。

旅籠屋は、予断・偏見・先入観にとらわれずお客様を受け入れることを何よりも大切にしてきた。
社内においても、学歴・職歴・国籍・宗教などにとらわれず社員を雇用してきた。LGBTの人も同様である。
しかし、基本は日本人の、日本人による、日本人のための宿であり、会社であると考えており、それで良いと考えている。海外からの旅行者への集客をしないこと、海外進出を考えていないこと、その理由はここにある。

その意味で、私は、グローバリゼーションには懐疑的だし、TPPの前提にも賛成できない。他の文化に生きる人たちの社会に西欧社会や先進国の正義を振りかざして介入することには反対である。世界はまだら模様でよいではないか。正義はけっしてひとつではない。

2015年12月27日 ゆく年、来る年

日曜日のオフィスで、静かに今年1年を振り返る。

個人的には、去年の春に愛犬マギーを失った痛手が大きく、寂しい正月から1年が始まった。
迷ったあげく、人生最後のパートナードッグを迎え入れることを決め、保護犬の受け入れを検討したが、年齢的に難しく断念。結局4月に子犬2匹が新しい家族に加わった。
2kg足らずだった子犬はすくすくと育ち、もう30kg近くになったが、私が帰れば喜んで飛びついてくるし、いつもじっとこちらを見ている。
寂しがり屋でいつも無言で会話していたマギーとは違い、屈託がなく能天気なふたりだが、命とともに暮らすことが、どれだけ心を暖めてくれることか、どれだけ心を落ち着かせてくれることか。

10年来続けているランニング。未知の世界に分け入っていく好奇心や高揚感は失せてしまったが、負担にならない程度に続けることにしている。
走りたくて走ったことはないが、走り終わって後悔したことは一度もない。私の場合、走る理由は自己肯定感が得られること。
目標だった月間100kmを50kmに下げ、無理してフルマラソンに参加することはもうやめた。年明けには、ハーフマラソンの大会に出てのんびり完走したいと思っている。距離もペースも下がったが、3日空けずに走り続けようと思う。

若い頃から好きなことのひとつ、それはオートバイ。
これは、3年前に自分への還暦祝いとして久しぶりに新車を購入してから熱が復活し、1年ほど前にスポーツライディング用に買ったもう1台のバイクでサーキットランにも参加するようになった。恐怖感もあるけれど、走っていれば少しずつ上達していくのが嬉しい。春になったら、月に1度は革つなぎを着てドキドキしにいこうと思っている。もちろん、無理はしない。背伸びせず、挑戦し続けたいと思う。

若い頃からの変わらぬ趣味と言えばブルースハープ。
いろんなことがあり、練習する心の余裕を失ってしまってしまって、もう数年も前から吹かなくなっている。
でも、教室の手伝いは15年も続けていて、楽しそうな仲間たちとの世界は私にとっての貴重な財産だ。
音楽は、年齢や国籍や言葉と関係なく心を通わせられる。これこそ、足腰が弱っても味わえる最後の趣味になるのかもしれない。
年明けから、再開しようか。

さて、仕事のこと。

今年は1号店オープン、つまり創業から20周年の区切りの年だった。無我夢中の20年、毎日毎日雑用に追われるばかりで、長期的な視点に立ってグランドデザインを描く仕事に十分力を注いでいないという反省がふくらんでいる。
そんな中、周年事業として「オリジナル全国ドライブマップ」を作成したが、それは小さなことにすぎない。来年こそ、中長期的なビジョンやコンセプトを原点に返って深く問い直してみるつもり。そのためには、働く人たちの意欲を保ち高めていくための仕組みづくりや監督官庁への問題提起に正面から取り組まなければならない。
ルーチンワークに埋もれているのはある意味とても楽だが、そこから離れて未知の領域に踏み込むには大きなエネルギーが必要だ。
幸いなことに、私の怒りや願いはこの20数年間の環境の変化にも少しも動じず変わらなかった。ひそかな自負は、創業の思いにそれだけの深さと強さがあったということ。しかし、そこに安住し、過大評価するわけにはいけない。
経営者としての最大の使命は千年事業の基礎を固め、世の中に良い先例を作っていくことにある。
そして、それがおそらく私の人生最後の務めなのだ。

さぁ、犬たちを散歩させ、冬の隅田川沿いを走ってこよう。

 

2014年へ
バックナンバー(過去の日記)です

18 2014年
17 2013年
16 2012年
15
14
13
12
11
10

「旅籠屋主人のベンチャー日記」 (雑誌「戦略経営者」連載)はこちら

2016年へ