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15
2011年
2011.1/7 新春互礼会
2011.3/13 地震対応、支配人からの報告メール
2011.3/17 再び北へ、現地へ
2011.3/20 東北巡回の記録
2011.3/21 危機管理にあたって、もっとも大切ないくつかのこと
2011.3/30 営業再開
2011.4/26 「ファミリーロッジ旅籠屋」の価値
2011.8/30 初の配当、初の役員賞与
2011.9/9 旅籠屋の生命線
2011.11/19 我が家の111111
2011.12/5 小さな一歩

2011年1月7日 新春互礼会

案内状が届いたので、日本生産性本部の「新春互礼会」に行ってきた。
昨年春「ハイ・サービス日本300選」に選ばれ、下部組織であるサービス産業生産性協議会に入会したご縁によるものである。

会場はホテルニューオータニのもっとも広い宴会場「鶴の間」、参会者はおそらく2千人を下らなかったと思う。
国会議員を含め、テレビなどで見かける顔も少なくない。
一般の参会者は名札を付けていないから、旧知の間柄でなければ誰が誰かもわからず、私も誰かと挨拶を交わす機会はなかった。
規模の大小はともかく、たまにこうしたパーティーに参加することがあるが、そこから何かが始まったり生まれたりすることは稀だ。
とすれば、わざわざ出かけて行った価値は、主催者や来賓の発言から何を得るか、ということになる。

牛尾会長に続き、経済同友会の桜井代表、連合の古賀会長、仙石官房長官の挨拶が続いた。

結論から言うと、触発されることは何もなかった。
グローバル経済、地球環境対策、社会保障整備など、耳たこのテーマが総花的に語られるばかりで、心に刻まれるような言葉はない。

つくづくもったいないと思う。
政界、経済界を中心にこれだけの人間が一同に会する機会など、そうそうあるものではない。
新年のご挨拶だから、と言えばそれまでだが、わずかでも魂を揺さぶられる言葉を聞きたかった。

日本人の演説下手、すなわちそれこそリーダーシップの欠如そのものではないか。
時間の無駄、とまでは言わないが、帰路の寒さが身にしみた。

2011年3月13日 地震対応、支配人からの報告メール

本日(3/13)夕刻、「須賀川店」支配人から届いたメールです。
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現在、南相馬市の津波被害で家を無くしたM様ファミリー15名、
いわき市の会社で自宅が原発付近の方達5名(S様グループ)が宿泊。
S様グループは昨日満室のため、ラウンジにて寝ていただきました。
本日チェックインされる方は復興支援関係の方々です。

M様は着の身着のままで逃げ出したが、あちこちの避難所がいっぱいで
こちらまで来られました(こちらに住んでいる親類を頼って)。
また、透析が必要な方、インスリンの注射が必要な方、高血圧薬治療の方が
お見えになり、市内のクリニックにて治療を受けました。

衣類販売の店が営業してない為、私達の服を着替えにお渡ししましたが、
年配の方や子どもの服が手に入りません。

食料は皆さんの協力で何とか手に入れております。
昨日までお泊りのシャトレーゼのY様から、2度もお菓子や水を
いただきました。S様グループ様からは、カップ麺やジュースを。
また、M様は配給で水を貰ってきてくれました。

須賀川のスーパーはどこも品薄で食料がほとんどありませんが、
郡山まで行けば手に入れることができるようです。

断水のためにトイレの水を流すことができない為、大便対策として
浄化層の一箇所の蓋をはずし、足場用に板を置き、周りをシートで囲み、
簡易トイレを作成いたしました。

近いうちに「停電」となる話や「震度6弱の地震に警戒」といった
ことも流れているようなので、注意して運営いたします。
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3/11(金) 地震発生直後より、本社全員で手分けし、宿泊中のお客様にケガなどがないか、建物の状況はどうか、直ちに全店に連絡をとり始めた。
すぐにホームページ上に告知欄を設け、お客様や建物の状況報告を開始する。
社内で作成しているので、即刻対応できる。
コップが落ちて割れた、ラウンジの棚が倒れたなどの報告はあったが、幸い、お客様にも建物にも被害はない。
留守宅のご家族に対し、一刻も早くこの情報をお知らせすることが大切だと確認しあう。

西日本を中心に、大半の店舗はじきに確認が取れたが、北関東から東北の店舗とは連絡がつかない。
固定電話はもちろん、支配人用の会社の携帯電話、個人の携帯電話、深夜にいたるまで必死で電話を掛け続ける。
日が暮れても茨城県から福島・宮城・岩手の数店舗の状況がわからない。
ニュースを見聞きしていると不安ばかりが大きくなり、最悪の事態が頭をよぎる。

夜10時頃 ようやく全店と連絡がとれた!
お客様も支配人も全員無事。建物も大きな被害無し。
万歳! 社内に歓声が響く。

オフィスの中心に白板を立て、情報を整理していく。 さながら、「ファミリーロッジ旅籠屋・地震対策本部」。
今夜はもちろん、徹夜態勢。
無事の第一報はそろったが、情報が断片的なため、ライフラインの詳細を整理すべく、順番に再確認していく。

電気・水・ガス・通信のライフラインに不具合の生じている店舗が10近くある。
刻々と通信状況が悪化しているらしく、2〜3店舗とは再度の連絡がとれない。

深刻な津波被害のニュースが流れる。
連絡がとれないのは太平洋に近い店舗ばかり。
何か状況の変化があるのではないかと、社内に緊張感が高まる。

明け方になって、山梨方面に出張していたスタッフがようやく帰社し、今後の対応を相談する。
ひとつふたつと連絡がとれ、「仙台亘理店」が最後に残る。
なんとしても支配人の安否確認をとりたい。

昼近くになり、2名に車で現地まで行ってもらうことを決定。
たどりつけるのかどうかもわからないが、他に方法はないし、事は緊急を要する。
さまざまな物資を積み込み、飲料水を大量に購入し、「徹夜明けの運転、くれぐれも気をつけて」と見送る。

この時点で、ライフラインに不具合はあるが、宿泊可能な店舗に対し、「行き場に困っている被災者を無償で受け入れるよう」指示する。
災害時には、シェルター=一時避難施設として社会貢献しよう、ということは以前から社内で話していたこと。

車で向かったスタッフからは、時々連絡が入る。
渋滞がひどく難渋している。
深夜1時、12時間かけてようやく「須賀川店」到着の連絡。
要請されていた給水用ポリタンクや飲料水を渡したが、館内には被災者があふれているとのこと。
会社の方針とはいえ、断水の中、必死で世話をする支配人の労苦に言葉がでない。

そこからは、比較的道路はすいていたらしい。
明け方近くに「仙台亘理店」近くに迫り、朝、6時過ぎ、「支配人無事! 津波は建物に達していないため、被害無し」との連絡。
良かった! 良かった! と大声で答える。

余震の恐怖の中、駐車場の車の中で2晩過ごし、店を守り続けた支配人に、感謝と敬意。

そして、今夕、「須賀川店」から冒頭のメールを受け取る。
読みながら、涙がにじんだ。
「旅籠屋」がこうした存在でいることを、心から誇りに思う。
さっそく全店に回覧。励ましのメッセージが届き、隣の「那須店」は救援物資を積んで、現地に向かってくれた。
「いわき勿来店」にも、福島原発周辺から避難してきた方々が滞在しているとのこと。

すべては、継続中のこと。
大きな被害がなかったとは言え、売上の減少は避けられず、正直言って、経営者としては頭が痛い。
しかし、多分、大丈夫。
利益を少し減らしても、「旅籠屋」の存在意義をまっとうし、不安なくお泊りいただけるよう最善の策を講じていくことを心に誓う。

3日目の夜。
明朝からの停電対策などに追われるが、今夜も頑張る!

2011年3月17日 再び北へ、現地へ

3/11(金)の地震発生から6日。
ラインライン途絶の店舗も、断水が続いている「仙台亘理店」だけとなった。
余震が続いており、周辺の復旧も遅れているが、営業再開の日は遠からず必ず来る。

しかし、福島原発の事故は悩ましい。
解決の見通しが立たず、不安が高まる。
東京電力や政府に対する苛立ちもあるが、現地で危険を冒しながらの懸命の作業が続けられている今、感情的な批判は慎みたい。

とは言うものの、 目に見えない恐怖にさらされている人たちのストレスは限界に近づいている。
東北や関東の店舗に避難してくる方々の数が増えている。
個人的な不安を押し殺しながら、受け入れ続けている支配人たちの気持ちを考えると、居ても立ってもいられない。

こんな時こそ、経営トップがあらゆる情報を把握し、的確な判断と迅速な指示を出すべきだと、本社オフィスを離れずにきた。
冷静に考えれば、今後もそうすべきだと信じているが、私自身が現地に赴き、現場の状況と支配人の心情を受け止めるべきだという気持ちも抑えきれなくなった。
西日本の店舗から届けられた大量の乾電池、緊急調達した各種用品を届ける必要もある。
東北6県については、宅配便の受付が停止されており、自ら車を走らせる以外に方法がないのだ。

というわけで、急遽、東北方面の7〜8店舗を回る。
「緊急車両」の指定を受け、3日間、交替で走り続ける。

2011年3月20日 東北巡回の記録

3月11日の地震発生から6日。
全店、お客様も支配人もすべて無事、建物の被害もほとんどなかったが、避難されてくる方が増えるいっぽう、さまざまな物品の入手が困難になっているとの連絡もあり、「緊急車両」の登録を受けた社有車に物資を満載し、本社スタッフ3名で3月17日の午後、茨城・東北の7店舗の巡回に出た。

まず向かったのは、 「水戸大洗店」。途中、ガソリンスタンドには長蛇の列。
「水戸大洗店」(3/17午後)
全館くまなくチェックしたが、建物の被害はない。
しかし、オープンから10年、壁紙や廊下などの汚れが目立つ。
福島方面から避難してこられるお客様も増えているようだが、この状況は申し訳なく、恥ずかしい。
近々、全面的に模様替えをしようと心に決める。
「いわき勿来店」(3/17夕方)
水戸インターから、緊急車両専用となっている常磐道に乗り、「いわき勿来店」へ。
途中の中郷SAでガソリンを満タン補充。
一般道の窮状を見ているだけに、ほんとうにありがたい。
給油ができなければ、そもそも長距離の巡回などまったく不可能なことだ。
「いわき勿来店」(3/17夕方)
この店舗は福島第1原発から約55km、もっとも近くに位置する店舗だ。
地震の被害はまったくないが、支配人の心身の健康を考え、前日深夜、迷いに迷った末に一時休業を決定した。
ここまで、店を守り、通常通りお客様を受け入れてきた支配人の働きに心から感謝するが、
立ち入り禁止の案内を貼り終えると、一気に悔しさがこみあげてくる。
1号店オープン以来16年、初めての決断。
支配人から、「一日も早く、再開したい」との言葉。ほんとうにありがたく頼もしい。
「秋田六郷店」(3/18早朝)
前夜、「いわき勿来店」を出て、東北道・秋田道を走り、深夜0時半に「秋田六郷店」に到着。
東京・神奈川から応援にかけつける警察・消防、そして自衛隊の車両に囲まれながら走る。
途中、宮城県内は雪。
路肩にキャラバンを停め、チェーンを巻く光景が続く。
被災地は真冬並みの寒さなのだ。

「秋田六郷店」も建物の被害はない。
避難してこられる方からの問い合わせが多いが、ガソリンの入手が困難でたどり着けないケースが多いようだ。
周辺のガソリンスタンドには、2kmを超える車の列。異常な光景だ。何とかならないのかといらだつ。
「北上店」(3/18午前)
秋田道を戻り、「北上店」へ。
途中、東へ向かうタンクローリーを見かける。日本海側から運んでいるのだ。
「急げ〜!、頑張れ〜」と心の中で声援を送る。

「北上店」、ここも被害はないが、近くの工場復旧にこられた方を中心に満室。
途中、携行しているガソリン10リットルをお客さまに差し上げる。
びっくりしてしまうほど喜ばれる。嬉しい。
「北上店」(3/18午前)
目の前の大型スーパージャスコにも食料品はないとのこと。
いつもは、あれほど食品があふれているのに信じられない状況だ。
持参したお菓子や食品をここにも置いていくが、通常の朝軽食のサービスがままならないらしい。
団体の方たちは自主的に近くの食堂にケータリングを頼み、支配人が廊下にそのスペースを提供している。
さながら、私設「避難所」の様相。
いつものようにはいかないが、こうして皆さんに宿を提供でき、活用されていることが何より嬉しい。
「寒河江店」(3/18午後)
「北上店」を後にし、東北道を南下、山形道を経由して「寒河江店」に向かう。
応急作業が遅れているためか、山形道は、段差が多い。交通量は少ない。
いつものように「寒河江SA」のスマートインターから出ようとするが、 「緊急車両」 のため、あえてETCゲートを使っていないため、ゲート
を開けてもらえない。
押し問答するが、手続きに時間を要するので手前の寒河江インターから降りてもらったほうが早い、と言われる。すぐそこに建物が見えているのに数キロ戻る。
こんな時に杓子定規な対応。なんとかならないのか。

「寒河江店」もまったく無事。
ここは避難されてこられた方で満室。未だ唯一ライフラインが復旧せず待機している「仙台亘理店」の支配人とも再会。
先日、安否不明で心配したご夫婦だ。
「ほんとうに良かった、たいへんでしたね」と声を掛ける。
いつもパンフレットを置きに行くお店の人たちが津波で流され・・・と涙ぐまれる。
そうだったのか、みんな心に傷を負っているのだと思い知る。

「寒河江店」の支配人の車に途中で補充した10リットルのガソリンを注ぐ。
「これで買出しに行けます。ガソリンの一滴が血の一滴なんです。何よりありがたい」と言われる。
携行缶を持ってきて良かった!
岩沼市、国道4号沿いの洋菓子店
「寒河江店」を出発し、山形道を東に戻るが、東北道に合流する手前で「この先の橋が通れない」と一般道に下ろされる。
日も暮れ、どこかで夕食を摂らないとならないが、食堂も小売店もすべて閉まっている。
いつもはあれほど賑やかで交通量の多い国道4号線が、薄暗い。
途中、奇跡的に営業中の洋菓子店を発見。
自家製造のケーキ屋さん、手持ちの材料でケーキを作り続けているのだ。
夕食代わりにしようとロールケーキを購入。
これがデザートになるといいね、と言っていたが、結局、他に空いている店はなく、イヤになるくらい腹いっぱいケーキを食べることになった。
「仙台亘理店」(3/19早朝)
未だに断水が続き、唯一ライフラインが復旧していない「仙台亘理店」。
電気もガスも通じており、建物には何の被害もないが、水が使えないとトイレも流せず、宿泊を受け入れることができない。
前夜、なんとか受水槽のポンプを動かそうと試みたがうまく行かない。
建築会社に連絡したが、ガソリンがなく動きがとれないとのこと。
近くの業者さんに来てもらおうとするが、電話がつながらない。携帯も電源が切られている。
被災したのか。
止むを得ず、復旧するまでもう少し待つしかない、との判断を下し、店を後にする。
休業中、2軒目。悔しい。
店を振り返る。

この周辺は津波の被害が報じられたエリアだ。
東の海側へ車を走らせてみる。
仙台東部道路に被害はないようだ。津波がこの土手で遮られたのかと考えていたが、被害はもっと海寄りなのだ。
高架をくぐり、さらに東へ進む。
と突然、風景が一変し、ニュースで見た異様な光景が目の前に広がってくる。
見渡す限りの田んぼの中に、無数の車と瓦礫が散在している。
呆然とたたずむ人たちの姿も見える。
もちろん写真を撮る気にもなれず、長居をしてはいけないと、無言で国道6号に戻る。
わずか数メートルの差で、日常と非日常が連続している。
地獄絵と普段の景色が隣り合わせになっている。言葉がない。
「須賀川店」(3/19午後)
白石インターから東北道に乗り、最後の予定地「須賀川店」に向かう。
ここは、地震直後から、被災者があふれ、一時はラウンジに多くの方が雑魚寝していた店舗だ。
停電や断水が続いており、無償で受け入れていた。
報道ではあまり名前があがらないが、じつはここも福島第1原発から60kmたらずで、「いわき勿来店」と大差ない距離。
「いわき勿来店」とあわせ、ここも一時休業すると2日前に決めていた。

おそらく、地震の揺れはこの店がもっともひどく、支配人から当時の恐怖体験を聞いた。
ものすごい地鳴りが聞こえ、駐車場に亀裂が走り、建物が大きく揺れていたとのこと。

支配人に促され、前面を走る国道4号線の向こう側にある工場を見に行く。
鉄筋コンクリート3階建ての社屋がぺしゃんこにつぶれている。
今回、東北各県を回ってきたが、地震の揺れそのものによる家屋の倒壊を見たのは初めて。
幸い、けが人が1名出ただけだったとのこと。良かった、良かった。

すぐに建物に戻り、全館をチェックしたが、たしかにアスファルトに細かい亀裂があり、裏側の地面が15cmほど陥没している。
1室だけは壁面のボードに割れが見える。
ただ、宿泊に支障があるようなことはない。
たまたまその後宿泊した建築関係の人から「旅籠屋さんの建物は丈夫ですね〜、よく出来てますよ」と褒められたとのこと。
たしかに、遮音や断熱性能を上げるため、壁の合板や柱を基準の倍ほど増やしていることや、鉄筋をとおしたベタ基礎にしていることが強度を上げる結果につながっているのだろう。
正直言って、今回のような大きな地震を想定して設計していたわけではないが、以前の宮城沖地震の時も、中越地震の時も、近くの店の建物はびくともしなかった。今回もそうだ。
しかし、ここだけは、駐車場の補修は必要だと思う。
営業再開後、すぐに対応するつもりだ。
「須賀川店」(3/19午後)
あわただしく閉館準備を済ませ、支配人とともに店を後にする。
「ほんとうにご苦労様でした。」とふたりに頭を下げる。
「すぐにでも戻ってきますよ」と明るい声。

一時休業中の張り紙。
3回目のくやしさを噛みしめる。

こうして、あわただしい巡回が終わり、昨夕、本社に戻ってきた。
普段は休みの土曜日だが、数名が詰めており、今後の対応について全員で話し合う。

地震発生から8日間。
2回の徹夜を含め、平均睡眠時間は3〜4時間で頑張ってきた。みんなそうだ。
しばし、休息をとって、週明けから、全面復旧に向けて、進んでいこうと思う。

2011年3月21日 危機管理にあたって、もっとも大切ないくつかのこと

地震発生以来、考え、悩み、迷い、決断する中で感じたこと、考え続けていることを、少しずつまとめておこうと思う。

1.会社のポリシーと個人の感覚

原発事故の影響で福島県内から避難してきた人達の宿泊を、何軒かの宿が断ったというニュースを聞いた。
体が震えるほどの怒りがこみあげてきた。同業者として情けなく、やりきれない気持ちになった。

「ファミリーロッジ旅籠屋」でもっとも大切にしていることは、予断・偏見・先入観にとらわれず、あらゆる人を等しく受け入れること、それが本当の意味で、自由で心豊かな暮らしや社会を支えることになる、という信念である。新しい社員が入るたびに社長研修で繰り返し話していることだ。
その裏には私なりの体験や信条があるのだが、そこまでは言わない。だから、何度語ってもピンとこない人も多いだろう。それに、平時はペット連れの宿泊や障がいのある人を積極的に受け入れるという程度の意味にしかならないから、問題になることもない。ほぼみんなの「常識」の範囲内におさまることだから、すんなり受け入れられてしまう。

ところが、今回のような非常時になると、それぞれの「常識」や「感覚」とのズレが表面化してくる。会社のポリシーと個人の気持の差が表に噴き出してくる。
宿泊施設の場合、過去にも、同様の事例があった。いくつかの伝染病患者や街宣車によるいやがらせを受けるおそれのある団体への宿泊拒否。こういう時に、突然のように会社のポリシーが問われることになる。社員は、勤務している会社への忠誠心や理解が問われ、会社は社員に対する姿勢、不安や動揺をどこまで受け入れ、どこまで受け入れないのか、が問われる。

今回、端的に問われたのは、福島第1原発から60km以内にある「いわき勿来店」「須賀川店」を一時閉鎖するかどうかという問題であった。もちろん、迷いに迷った末に最終的に私が決断したことだが、やはり悔しくて、悔しくてならない。

2.本社と現場の関係、トップと社員の関係

今回の大震災への対応について、政府や東京電力などに対する批判がかまびすしい。現時点で評論家のようにアレコレ言うのは何の足しにもならないし、慎むべきだと思うが、情報と判断の一元化が必要という指摘については同感である。
平時は、それぞれの部署で職務分担し、一定の裁量で動けばよい。何もかもトップに情報を集め、判断を仰ぐ必要などない。

しかし、今回のような場合は、事情が全く異なる。

そもそも、非常時において、社会や組織が瓦解し機能しなくなる原因は、外部ではなく、内部にある、というのが私の理解だ。
本社に正確な情報が集まらず、的確で迅速な判断ができず、一方で現場がそれぞれ独自の判断で動き、疑心暗鬼にかられれば、相互不信ばかりが広まり、収拾がつかなくなる。

こういう時こそ、トップは良い意味でワンマンになるべきだと思う。すべての情報を社員に要求し、遅滞なく判断を下し、具体的な指示を出していく。社員は、とりあえずトップを信じ、情報を上げ、指示に従い行動する。批判は後からで良い。

今回、被災地に近い店舗の支配人に対し、他店の支配人から「いつでも逃げておいで」という誘いがあったように聞いた。その暖かい心遣いはありがたいことだし理解できることだが、それは本社に対し申し出るべきことではないかと思う。

3.トップの覚悟

「自分の本音を聞け、本性を見よ」というのが、私の座右の銘である。
この10日間、何回か自分に問うてみた。
トップに確信やある種の覚悟がなければ、的確な判断などおぼつかないからだ。

企業のトップは船の船長のようなものだ。もちろん最後までひとり残るのは私である。何の迷いもない。
中心に立って判断し、全体をコントロールするという最大の責務さえなければ、いつでも危険のある店舗に行き、支配人として店舗を守る。自分の体が複数あれば、今すぐにアチコチに行く。

自問に対する自答は、毎回同じ。なんの揺らぎもない。

先日テレビのバラエティ番組で「偉い人たちは、なんで突然わざとらしく作業服を着ているんだ。なぜ現場に行かないのか。」と批判している人がいた。
こういう一面的で感情的で「一般受けする」発言こそ、無責任で取り返しのつかない内部の瓦解を招く。謹んでもらいたい。

4.鼓舞することと、冷静さを保つこと

非常時は、状況が刻々と変わる。予期せぬことが起きる。
茫然自失の状態になりそうな人間を鼓舞し、時には大きな声を出すことも必要だろう。
しかし、テンションを上げすぎて、周囲を委縮させ、浮足立たせるのは逆効果である。不安は伝播する。
トップはもちろん、本社のスタッフはこういう時こそ冷静でなければならない。

社員の安全や心身の健康を大切に考える姿勢は、もちろん変わらない。しかし、一時の感情に流されるわけにはいかない。会社のポリシーを守ること、長い目で見て社員の暮らしを守ること、必ず一度は踏みとどまって、総合的に判断する冷静さを保ち続けなければならない。

「非常時」と何度も言ってきたが、幸い、人間も店舗も無事であり、直接的な被害はほとんどない。会社の経営状態も安定しており、売上高や利益に一定の減少が予想される程度でのことである。新規店の工事や準備も変更なく進んでいる。

今後、原発事故の復旧状況などを見定めながら、一日も早く3店舗の営業再開を果たし、いつも通りの営業を続けていく。それこそが、最大の社会貢献だと信じている。

幸い、被害を受けなかった西日本の存在は、これからの日本の希望である。

同情や自粛は本当の意味での復興支援にはならない。

2011年3月24日 「須賀川店」、8日間の記録

昨日(3/23)、「須賀川店」支配人から、地震直後からの詳細な報告メールが届きましたので、ご紹介します。
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「須賀川店」を後にする時はとても寂しい思いでしたが、すぐに帰ることができると信じて、「寒河江店」に参りました。
体力の回復と心を鎮め、店舗再開のための準備ということで、ゆっくりさせていただいております。
記憶が新しいうちに震災時の「須賀川店」の様子をまとめてみました。支離滅裂な文章になっていると思いますが、ご了承ください。

●地震発生当日(3月11日)
3月11日午後2時頃、客室清掃も終わり昼食をとっているとテレビで地震警報のアラームが鳴り響きました。急いで外に出ようとしましたが、あっという間に大きな揺れが襲いかかり足を取られながらも駐車場まで避難しました。
とても立っていられない大きな揺れの中、二人で支え合い地面にしゃがみ込んでいました。轟音と共に次第に強くなっていく揺れ、建屋が大きく揺れ、地割れが起こり、車が大きく踊っていました。現実としてありえないようなシーンに恐怖心も隠しきれません。

須賀川市は最大の揺れでしたが、内陸の平野部であったため、津波や崖崩れも無く、市内で亡くなられた方も数名でした。しかし、家屋の全壊・半壊があちこちで起こり救急車がひっきりなしに4号線を行き来していました。
社長の旅籠屋日記でも写真が掲載されております倒壊した林精機は、夕方に火事が発生し、消防車による消化活動がありました。こちらは家が密集していないために周りに火災が広がることはありませんでした。

揺れが収まった時に、建屋が倒れなかったことに安堵感を覚えました。真っ先にガスボンベの栓を閉めに向かうと、地面の陥没と倒れたガスボンベが地震の凄さを物語っていました。ボンベは重く、立て直すことができなかったため、全てのバルブを閉めるにとどまりました。浄化槽のモーターの配管も外れていましたが、すぐに直すことができませんでした。

ラウンジに戻ってみると、無残な光景が飛び込んできました。割れたマグカップが散乱し、観葉植物が倒れ、天窓に置いてあったプランターが倒れたことで土が飛び散っていました。幸いなことに家具類で倒れたのはマグカップが置いてあった棚のみ。コーヒーメーカー、トースター、レンジは無事でした。コーヒーメーカーが設置してある組み立て家具はキャスター付きであったため、地震の揺れをうまく吸収したものと思われます。

現況から本日は通常営業ができる状態ではないので、本日ご予約のお客様に連絡を取り、状況説明と宿泊の確認を行いました。電話が繋がりにくく、21時半頃には1組を除き連絡を取ることができました。最後まで連絡が取れない1組を除き、全てキャンセルとなりました。

連絡を取りながらも、お越しになる場合に備え、ラウンジの片付けや客室の準備も進めていきました。
余震が発生するたびに外に避難していましたが、そのうち余震慣れして片付けに専念するようになりました。
ラウンジとフロント(棚のものは全て落ちましたが、PCが無傷でしたので助かりました)の片付けも終わり、客室点検に入りました。揺れの方向と垂直に置いてあって液晶テレビは全て落下し、2台が液晶部分に損傷を受け、使用不能となりました。

壁に飾ってあった額の落下、トイレの水タンクの蓋もいくつか外れ、床が水浸し、バスタブの蓋の外れ、ドライヤーの落下、カップやシャンプー類の散乱。ベッドやテーブルも大きくずれていました。電球の割れはひとつも無く、窓ガラスは無傷でしたので、ガラス破片が無かったことは幸いでした。どの部屋も多少の亀裂はありましたが、宿泊には支障がないと判断。損傷が一番ひどい15号室も宿泊には支障がないと判断しました。
客室の片付けも終わり、宿泊者を受け入れる態勢を取りました。

一度は本社とも連絡が取れたものの、その後は電話での連絡が困難な状況が続き、インターネットも使用不能となったため、携帯メールでメールを発信しました。そのメールに返信があった時は、すごく嬉しかったです。
その後も携帯メールで本社と連絡を取り合い、初日を無事に乗り切ることができました。

通常営業ができない中、行き場の無い人に宿の提供をとの方針に従い、無償での宿泊提供を開始しました。シングルの方には相部屋をお願いしたり、客室を提供できない方にはラウンジを提供し、ソファーやエキストラベッドで寝ていただきました。
後日、ご出発の際にお心づけを申し出る方もありましたが、丁重にお断りいたしました。

●2日目(3月12日)
翌12日、断水によりトイレに溜まった汚物を流すことが出来ないため、裏の側溝に溜まった水を汲んできてトイレ掃除を行いました。
受水層には1トン弱ほどの水が残っていましたが、断水状態がいつまで続くか不明なため、飲料用としてのみ使用することとしました。

この日は浪江町から家を流されたM様ファミリーが訪れました。人工透析が必要な方をかかえており、須賀川で受け入れてくれる病院を探すことができてよかったです。
全てを無くし今後の不安を抱える中、家族が無事であったことに生きる望みを見出されている様子でした。

郡山市や須賀川市のホテルはほとんど営業しておらず、多くの方が「旅籠屋」を訪れて来られましたが、受け入れには限界があり、全ての人を助けてあげられない自分達の無力さが悲しく、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
宿泊された方からは「暖かいところで眠れるだけでもありがたです」と言っていただき、私達にとっても大きな励みになりました。

深夜、日も変わった頃、IさんとKさんが13時間かけてポリタンクと水を運んでくれました。これでいざという時にも水の配給にも出かけることができます。本当にありがとうございました。

●3日目(3月13日)
13日、昨日「軽井沢店」の支配人から断水時の対応について連絡いただいた簡易トイレを作成しました。リネン庫にあったに組み立て家具の板を利用し足場としました。ブルーシートを屋根代わりに張り、周りを使用できないシャワーカーテンで覆いましたが、枚数が少なく全体を覆うことができませんでした。しかし、昨日訪れたM様からビニールシートの提供を受け、周囲を囲う作業もしていただき、人目を避けて用を足すことができるようになりました。これでトイレに汚物が溜まることも回避でき、トイレ掃除も楽になりました。

原発の影響でいわき方面から避難した方が多く訪れるようになりました。この日も何人もお断りしなければならず心が痛みました。
宿を求める電話もひっきりなしに鳴り響きますが、状況説明をしてお断りをするしかありませんでした。

宿泊されている方達は、食糧や水を調達してくると私達に提供してくれました。それをラウンジに置き、皆で分けあって食べるようになり、良い協力体制が自然に出来上がってきました。
少し落ち着いてきたので、現況報告を本社宛てにメールを送りました。 (※下の3/13に転載したメールです)

●4日目(3月14日)
14日、宿泊している方が固定化し始め、長期の宿泊になる傾向となってきました。
ガソリンの調達が困難なことも加わり、宿泊者の方達にも疲れが見え始めました。
M様ファミリーには「全て流され、もうこれ以上失うものは無いのだからこれ以上は悪くならない。笑顔でいると幸せが寄ってくるから
笑顔で乗り切りましょう」などと励ましていると、そんなM様一家が他の被災者を励まし始め、困窮の中、「旅籠屋」内に明るく前向きな雰囲気が生まれてきました。

夜、「那須店」の支配人からカップ麺やお菓子、水、子供服、大人用紙おむつなどの支援があり、本当に助かりました。

●5日目(3月15日)
15日、水道工事の業者が入り、水が回復しました。
ライフラインの復旧にともない本日より通常営業を再開することとなりました。
宿泊料金の支払いについては、被災者の方の状況を踏まえ、後払いでもよいとの本社指示に沿って営業しました。

K様はチェックイン時には後日振込みでお話をしましたが、チェックアウト時に現金でのお支払いを受けました。
M様には本日から料金が発生すること、また、今後のことについて後日、相談することにしました。

宿泊者の方達とお話をする時間も多くなり、今後のことについて一緒に考えていこうという雰囲気になってきました。引き受けてくれる親戚をまずあたってもらい、受け入れ先が決まった家族からチェックアウトしていただきました。
しかし、大半の方は「どうしよう、どうしよう」と迷っているばかりです。

本日、水が復旧したことでトイレの水タンク内においてフロートの外れにより水が止まらない客室が2部屋あることがわかりました。
客室チェックの盲点でした。破損ではなく、単に外れただけでしたのですぐに直しました。

●6日目(3月16日)
16日、宿泊者の協力もあり、食糧・水は差し入れでまかなうことができ、宿泊者が飢えに苦しむことはありませんでした。
テレビでは避難所に食糧が届いておらず、わずかな食糧を分かち合って食べる映像などが流れる中、こちらはまだ恵まれた生活をしていることに心が痛みました。

ガソリン不足は相変わらずで、毎日ガソリンスタンドに長蛇の列。販売するかしないかわからないスタンドに早朝から100台、200台と並んだり、5時間並んだすえ、手前で売り切れとなってしまったり、苦労が絶えません。
ガソリンが調達できないがために次の行き先が決まらず、こちらに留まっているという感じです。

●7日目(3月17日)
17日、社長より「支配人と宿泊者の安全を第一に考え、須賀川店の一時休止」の連絡をいただきました。「現在宿泊されている方々に状況を説明し、再び行き場をなくさないように」との指示のもと、宿泊者全員にラウンジに集合してもらい、安全なうちに避難していただくという社長の思いを伝えました。

「本日中に受け入れてもらえる親戚やアパート、避難所を探しましょう」と声をかけたところ、皆さん一斉に動き始めました。私達は不動産屋をピックアップし、必要な方に提供しました。

当時、4組の復旧作業に来ていた方と8組の避難者が宿泊していました。
復旧作業に来ていた方は帰宅、他のホテル、貸しマンションへと移動先が決まり、避難者においても親戚、アパート、警察の官舎、またM様においては埼玉アリーナの避難所へと落ち着く先が決まりました。

だた、いわきから避難中のT様だけは本日出産となりアパートを探す時間がありませんでした。

●8日目(3月18日)
18日、朝、6組の避難者が出発しました。
M様は前夜22時頃出発され、「本当に感謝しています。落ち着いたら須賀川に戻ってきて仕事を探し、必ずお金は払いますから」との言葉を残して行かれました。
他のファミリーとも抱き合い、涙を流すこととなりました。別れ際、「必ずまた遊びに来ますから」と言って手を振り出発されました。

市内で家屋が倒壊したF様からは、「旅籠屋に入ってきた時から運が向いてきた。どこのホテルも受け入れてもらえず、行き惑っている中、受け入れてもらうことができ、どんなに嬉しかったことか。旅籠屋さんの営業休止の話を不動産屋に伝えたら、アパートのリフォームに時間がかかると言っていたものが、一日で入居可能な状態にしてもらえた。助かりました。旅籠屋に縁を持てたことは、僕の一生の宝物です。」とのお言葉をいただきました。

昨日出産されたT様ですが、行き先も探す時間がないことから、いわきの家(20〜30km圏内)に戻ると申し出がありました。他の皆が出発する中、自分達だけが残っていることに引け目を感じたのでしょう。
こちらで行き場が決まるまでいていただいても構いませんと伝えましたが、私達が止めるのも聞かず出発されました。
ところが、出発後間もなくして、「考え直しました、助けてください。こちらでアパートを探します。不動産屋さんを教えてください。」との連絡があり、アパートを一緒に探すから戻って来ていただくよう伝えました。
戻ってきたTさんを車に乗せて、Fさんから教えていただいていた不動産屋に出向き、相談しました。
当初は「1ヶ月という短期での契約はしない」などとしぶっていたが、事情を察してか本日から入居可能な物件を世話してくれました。
Tさんの顔に安堵感が表れました。本当によかった。

目先の利益よりも安全を優先された社長の苦汁の決断により、宿泊者の皆様が早い段階でそれぞれの道を決断することができました。
行き場をなくして訪れた人々が、旅籠屋を閉めたことで再び行き場をなくすことなく送り出すことができました。
これで安心して店舗を閉めることができます。
今月末までの予約確認も済ませ、K部長に連絡しました。

以上が地震発生からの「須賀川店」の様子です。
この8日間、本社の方々や各店支配人、代行の皆様から暖かいお言葉やメールをいただき、何より私達の励みになりました。
本当にありがとうございました。
一日でも早く「須賀川店」に戻れる日を楽しみにしています。

2011年3月30日 営業再開

2日前、約半月ぶりに全店そろっての営業に戻した。
「仙台亘理店」は3/11〜23の13日間、「いわき勿来店」は3/17〜27の11日間、「須賀川店」は3/18〜27の10日間の一時休業。
1995年夏の1号店オープン以来、一日も欠かさずお客様を受け入れてきた時間が、途切れた。
原発事故の収束が見通せない状況だから、これからも何が起こるか楽観できない。
しかし、今は、とりあえず宿泊施設の使命が果たせることに、正直、安堵している。

3/11の地震発生から、20日間近くが過ぎた。
当初のパニック状態が少しずつ収まるにつれ、逆に長期にわたる不安が浮かび上がってくる。

「旅籠屋」にとっても、影響は少なくない。

被災地の近くの店舗だけでなく、広域でキャンセルが相次いでいる。
春休みの旅行を取りやめたご家族が少なくない。
リーマンショック後の不況のように、ビジネス出張も節減の対象になるかもしれない。
意外なところでは、すでに工事を進めている新店の建材資材の一部に納品の遅れが出ている。
夏には、大規模な計画停電も予想されている。

混乱の中でも規律を守る日本人に、世界から驚きと賞賛の声が寄せられているようだが、それは「右へならえ」で動きがちな特性にもつながる。
夏休み、みんながそろって旅行を自粛するムードになるのかもしれない。
オイルショックの時のように、政府やマスコミが「不要不急の時のマイカー旅行は控えましょう」などと言い出しそうな気もする。

語弊を恐れずに言いたい。

右腕が大怪我をしたからといって、寝たきりになって安静にしていることが良いとは思わない。
幸いなことに、無傷の左腕も、両脚もあるじゃないか。
手術の翌日から歩け歩けと言われるように、右腕を守りかばいながらも動きを止めず、血をめぐらせ、体力を維持していく。
痛みに負けず、しっかり食べて、前向きな気持ちを失わない。
そのように元気に毎日の暮らしを続けるからこそ、勤勉で、誠実で、優しく知的な個性をさらに輝かせることができるのだと思う。

そうした意味で、昨夜のサッカーのチャリティーマッチは素晴らしい挑戦だった。
「こんな時に不謹慎じゃないか」という後ろ向きの批判を恐れず、 「目立たないことが無難」という考えに逃げ込まず、
ひとりひとりが自分で考え、それぞれの持ち場で行動していけば良いのだ、という前向きのメッセージを発信してくれたと思う。

再開した店舗では、さっそく復旧関連の方々のご宿泊が増えている。
「佐野SA店」の場合、東北道が緊急車両専用となっていた間、遠くから救援・復興に向かう方々の中継宿泊施設として大いに活用された。高速道路内に宿泊施設があることの意義をあらためて実証できたと思う。
ほんとうに嬉しく、誇らしい。

特別なことは何もしない。
いつもどおり。
一灯照隅。

2011年4月26日 「ファミリーロッジ旅籠屋」の価値
震災の発生から、1ヵ月半の時間が過ぎた。
いろいろなことが起こり、いろいろなことを考えた。

以前、株主の方から、「ファミリーロッジ旅籠屋」の価値が見えない、という指摘を受けたことがある。
当時は抽象的な言葉でしか答えらず、あえて返事をしなかったが、今回3つのことをお話したいと思う。

ひとつめの価値、それは空室のある限り、すべての方の宿泊を受け入れたということ。
我々は予断・偏見・先入観にとらわれずにお客様を受け入れることを大切にしている。その姿勢を貫くことが個人の自由や多様性を守ることなのだという信念がある。さらに言えば、日本がこうした個人の自由や多様性に寛容な社会になって欲しいという願いがある。
平時は、こんなことを言ってもなかなか理解してもらえない。あるいは、当たり前のことだと見過ごされてしまうが、ペット同宿を受け入れたり、利用頻度は低くてもバリアフリールームを設けたり、というのは同じ思いからである。
地震直後、30店舗のうち10店舗で、停電や断水が発生した。真っ暗で暖房も給湯も困難、水が出ないのでトイレも流せない。それでも、被災地に近い店舗には家を失った方々が訪ねてこられる。数日遅れて、原発周辺からの方々も増えてくる。宿としての最低限の機能も提供できないので、無償で受け入れるよう指示した。福島ナンバーの車を忌避するなど、考えもしないことだった。
放射能汚染に限らず、新型の伝染病が流行したり、テロや「異常な」犯罪が頻発したりすると、宿泊拒否の話しが聞こえてくる。宿泊施設は、社会の空気にさらされている。風評に惑わされがちな感情と科学的な理性とのせめぎあいの場所にある。
宿泊特化の宿には、ユニークで特別なサービスなどない。だから、否定的な風評にさらされれば、たちまち利用者は引いてしまう。「真偽や是非はともかく、あえて評判の悪い宿に泊まることもないだろう」というのが、大方の本音なのだ。だから、宿の側は空気に逆らわないように保守的になる。
こうした中でスタンスを守るのは、実は想像されるよりはるかに困難なことだ。大きな手間とリスクを引き受ける覚悟を求められているということなのだ。

ふたつめの価値、それはホームページ上で、宿泊者の安否情報を最優先で伝えようとしたということ。
宿泊施設は、ほんの一部とはいえ、利用者にとってのかけがえのない人生の時間や空間を提供している。だから、泊まられる方々の安全やプライバシーを守ることが最大の責務である。そして留守宅には無事の帰りを待つ家族や友人や同僚がいる。
過去と同じく、今回も地震発生直後に行なったのは店舗へ連絡し、けが人の有無を確認し、その情報を真っ先にトップページに掲載することだった。
他の宿泊施設のホームページを見たが、翌朝まで更新されない施設が多かった。そして、予約受付の可否や、通常営業しているかどうかの情報が中心だった。
電話の通じない地域が多かったし、一番大切にすべき気持ちやメッセージが抜けている気がした。
余談だが、「ファミリーロッジ旅籠屋」の建物が地震に強いことをあらためて確認できた。せいぜい一部に細かなクラックが生じた程度である。地面が波打って、駐車場の一部が20cmほども陥没した店舗もあったが、建物はまったく無事である。遮音性能向上の工夫が、結果として堅牢な構造を実現しているようだ。
とにかく、人も建物も無事でほんとうに良かった。

みっつめの価値、それはぎりぎりまで踏みとどまり営業し続けたということ。
残念ながら、「仙台亘理店」(ライフラインがすべて途絶し、来館者もほぼ皆無だった)、「いわき勿来店」「須賀川店」(福島原発が不測の事態を招く危険性が高い時期があった)の3店舗が一時閉鎖を余儀なくさせられたが、いずれも10日ほど後に営業を再開した。
頻繁に起こる余震や、停電や断水が続きガソリンや食料も手に入らない不自由な生活、そして放射能汚染の目に見えない恐怖。支配人の不安や疲労は察して余りある。こうした状況の中であえて支配人に現場復帰を求めたのは損得ではなく使命感だった。
避難であれ、支援であれ、復旧であれ、復興であれ、人が動き活動するためには泊まる場所が必要なのだ。こうした時期に被災地へ赴く人たちには強い意志と責任感がある。こういう時だからこそ店を開けて宿泊施設としての責務を果たしたい。こうした使命感への理解がなければ、支配人達が復帰してくれることはなかったと思う。

以上3つのことは、考えてみたら当たり前のことばかりだ。
照明は必要以上に明るくしない、使い捨てのアメニティグッズは置かない、安心してお泊りいただくこと以上のサービスはしない、不採算店であっても撤退しない。こうした普段からこだわっていることを含め、いずれも地味なことで、普段はセールスポイントになるようなことではない。そのくせ、守ろうとすると事業経営の面ではマイナス面もある。
でも根っこはひとつなのである。
ポイントカードによる顧客の囲い込み、割安感を維持するための料金見直し、ターゲットをしぼった広告戦略、朝軽食メニューの充実、さまざまなご提案をいただく。ありがたいことだし、そういうアイデアを機敏に取り入れることが経営者に求められる才覚のひとつなのだろうとも思う。
しかし、どこか気乗りしない、小手先のテクニックを弄するのはさもしいと感じてしまう。
根っこは同じである。

少なくともロードサイドホテルは旅行者のベースであって、アミューズメント施設ではない。雄弁に語る外向きの演出や集客の策よりも、いつでも安心して宿泊できる宿が存在し続けているという確かさを中心に考えたい。
このようなことが「ファミリーロッジ旅籠屋」の価値であり、「らしさ」なのだということをこの機会に再評価いただければという願いがある。そして、社内ではしっかり共有して欲しいという強い思いがある。

震災の発生から、1ヵ月半の時間が過ぎた。
さまざまの難しい判断があり、さまざまの行動があった。
感情の力があり、意志の力があった。
しかし、根底で支えていたのは誇りだったと思う。
誇りを真摯に守り続ければ、品格につながると思う。
そういう会社を目指したい。

2011年8月30日 初の配当、初の役員賞与
節電に協力しようというわけで、今年、本社はいっせいに夏休みをとった。
店舗がもっとも忙しく大変な時期に、という後ろめたさもなくはなかったが、それぞれ役割が違うのだし、そんな表面的で形式的な気遣いは無責任の裏返しだと割り切った。休み中といえども、問題があれば対応する。本社機能を停止するというわけではない。

6月末が決算日なので、例年7月に入ると会計監査が始まり、複雑な決算手続きに忙殺される。
四半期決算もそうだが、だらだらと長引かせたくはない。遅くとも1ヶ月前後で公表したい。
規定では45日以内にリリースということになっているようだが、見る方だって、2ヶ月近くも前に終わった「過去の状況」では興ざめだろう。

会計監査というのは、一言で言えば「あら捜し」のようなものである。会計基準そのものが朝令暮改だったり、異常に複雑だったり、合理性を欠く部分が多いこともあり、監査の過程で監査法人の公認会計士と議論することも少なくない。
企業の状態を適正に表示するために、誤りや不正がないかをチェックする、この点に異論はないが、以前書いた「ファイナンスリース」の処理など、多くの人がにわかに理解できないような基準を持ち込むのは一部専門家の自己満足ではないかと思ったりもする。

そんなこんなで、ほんとうに面倒くさい1ヶ月が続くのだが、否定的にとらえているわけではない。年に一度の「会社の健康診断」のようなものだ。胃に潰瘍の痕が見つかったり、血圧の高さが指摘されたりするが、その方が良い。自覚症状がないので健康だと思っていたら手遅れの病気だったなんて許されない。会計監査はグリーンシートに登録したことによる「義務」なのだが、ありがたい「権利」とさえ言いたいところだ。

さて、こうして8月5日に「第17期決算速報」をリリースし、その数日後には「株主総会の招集通知」を納品した。
そこには、初めての議案がふたつある。 ひとつは配当金の支払い。もうひとつは役員賞与の支払いだ。
昨年の減資によって累積損失がなくなり、黒字決算が継続できたことで具体化できたことだが、会社設立から17年かかった。

黒字とはいえ、利益は1千万円ほどだから、内部留保すべきだという迷いも意見も当然あったが、慎重に考えていたらキリがない。
配当は1株1,000円で6,245,00円、役員賞与は経常利益の10%で1,800,000円。初めて報われる。感無量である。
黒字を着実に増やして、これをずっと継続したいものだ。
2011年9月9日 旅籠屋の生命線
本日、予定通り定時株主総会を開催し、初めての配当実施の件も承認可決された。
振込先を登録されていない方々には、領収証を郵送し、これを所定の金融機関の窓口に持参いただき、現金を受け取っていただくことになる。所定の金融機関は、三菱UFJ信託銀行、りそな銀行、三井住友銀行の3行である。
これらの銀行には、事前に配当金支払事務委託依頼を行ったわけだが、じつは別の銀行に断られた経緯がある。
三菱東京UFJ銀行である。

グリーンシートに登録して以来、当社の株式事務代行は三菱UFJ信託銀行にお願いしているが、信託銀行は支店の数が限られているため、全国に支店網を持っている都市銀行も加えたほうがよいということで、系列の三菱東京UFJ銀行に問い合わせたわけだ。

当社が口座を持っているのは東京本店営業部なのだが、担当者はいかにも面倒くさそうに「窓口業務を含め、事務受付を行っていないので、受けられません。別の支店に問い合わせてください。その支店が受付を行うかどうかは支店の判断です」と繰り返すばかり。
まさか断られるとは思っていなかったし、納得できる説明ではなかったので、翌日上席の方と電話で話しをした。

頭をよぎったのは、17年前、会社設立の際に、資本金の保管証明書の発行を断られた悔しい記憶である。
(2000年7月20日の日記に「最近、頭にきたこと」と題してその経緯を書いているので、参照ください。こちらです。)

法的に義務付けられたことではないとはいえ、経済活動のインフラを支える企業として、原則無条件に受託する社会的責任があるのではないか、というのが私の言い分で、上席の方も「個人的には理解できますし、申し訳ないと思いますが」と言っていただいたものの、「総合的な判断として、お受けできないのです」ということだった。

17年前、第一勧業銀行に保管証明書の発行を断られたあと、大嫌いなコネを使って三和銀行に引き受けてもらったのだが、考えてみたらそれは現在の三菱東京UFJ銀行ではないか。その事実を申し上げたら、「再度、協議してみます」とのことだった。
しかし、数時間後「昔のことで当時の書類も破棄されており、結論は同じでした」という返答があり、話しはそこで終わってしまった。

一部の大企業に特化するという方針なのだろう。
保管証明書の発行も配当金支払事務の受託も、反社の問題を含めトラブルに巻き込まれるリスクを負いたくないということなのだろう。
そうした理由を正直に明かすこと自体が批判の対象になるということで「総合的判断」としか答えないのだろう。

情けないなぁ。残念だなぁ。日本を代表するリーディングカンパニーなのだから、尚更である。
銀行としての社会的使命感は、どこで置き去りにされてしまったのだろう。
風評やいわれなき批判には胸を張って仕事をする姿勢は、どこで失なわれてしまったのだろう。

17年前の一件以来、当社はみずほ銀行との取引はいっさい行っていない。
今後、 三菱東京UFJ銀行との取引もすべて行わないことにした。
自動引き落とし先の変更がすべて終わったら口座も解約する。私個人の口座も閉じることにした。

こんなことをしても、先方には痛くも痒くもないことだろう。
だから、自己満足にすぎないこともわかっている。
腹いせでそうするわけではない。ケンカするつもりも毛頭ない。
ただ、このままにしてしまうと、なにひとつ状況が変わらない。
理由も明らかにせず、取引を拒むということに対して、当社としては預金口座を解約するということでしか異議申し立てをする方法がないというのも情けない限りだが、万に一つの可能性であっても、声なき声が届いて欲しいという願いを込めてのことである。

「仕方ないよ」と諦めず、世の中の大勢や「当たり前」に流されずこだわりを持ち続けることがベンチャー企業の存在意義だというのが当社の信念である。
借入の際の経営者の個人保証の撤廃についても、粘り強く「慣例」の見直しを求め続け、ようやく突破口が空けられそうな状況が見えてきている。
旅籠屋のためだけに言っているのでは断じてない。当社が先例となることによって、後ろに道ができる。思考停止の停滞に風を送り込むことができる。そう期待し、願ってのことである。

先例のない事業を興してきたこと、小企業でありながら信頼を得てきたこと。
この信念と姿勢が旅籠屋の生命線である。
2011年11月19日 我が家の111111
2011年11月11日、婚姻届けや記念切符を買い求める人々のニュースが報じられていたが、
我が家では、愛犬が5回目の入院から戻るという、不安と喜びで心落ち着かない日となった。

最初の入院は、9月25日、歯茎にできた腫瘍のための検査入院だった。
病理検査のために軽い全身麻酔で細胞をとるだけのはずが、翌日から体調が激変し、2度目の入院。
さらに腹部からの出血と高熱により、半月に及ぶ3回目の入院。
腫瘍の治療どころか、下腹部、胸、両前足の皮下脂肪が壊死して血と膿が流れ続ける異常事態となり、死を目前に緊急輸血で命をつなぎ、必死の治療が続けられた。
毎朝毎晩、好物の料理を持参してわずかな散歩と食事を与える病院通いの毎日が始まる。

ところが10日後、最悪の状況を脱したかに見えた矢先に、今度は右後ろ脚の股関節脱臼。
これはもう元には戻らないと聞かされ、絶望的な気持ちになった。
この頃が、最悪の時期だったかもしれない。

数日後、病院にいるよりも家で介護する方が良いという判断で、退院。
獣医さんが毎日のように往診してくれ、壊死して開いてしまっている胸や肘の部分を麻酔無しで何回かに分けて縫い合わてくれる。
少しずつではあるが、傷口は狭まり、出血も減って、生気が戻るのがわかる。
しかし、ここまでは当面の危機的症状を抑えるだけで、抜本的な治療は何も始まっていない。

そして2週間、今度は陰部からの出血がひどくなり、各所の炎症は子宮が元凶ではないかとの疑いが濃厚になり、専門施設でCT検査。
予想通り、子宮・卵巣・脾臓の一部に異常が見つかり、急遽、摘出手術を行うことになる。4回目の入院。あわせて、歯茎の腫瘍切除手術も行う。
これで、3つのうち2つの原因にメスを入れたことになる。

幸い術後の経過が良く、翌日には退院。
たしかに、元凶を取り除いたおかげで、下腹部や胸・両肘の傷口も目に見えて治まっていく。
ところが、1週間後、脱臼している後ろ脚の痛みのせいか、歩こうとしなくなる。 このままでは、筋肉が萎え、腰にも異常が出てくる危険性があるらしい。 もっと先になってからと思っていたが、ここで、とうとう右後ろ脚大腿骨の骨頭切除手術を決断する。
大型犬では賛否両論あるらしいが、「骨同士の接触による痛みがなくなり、筋肉の回復によってかなりの程度自由な歩行が可能になる」という医師の強い勧めに従うことにした。
そして、11月10日、5回目の入院で、骨頭切除手術。
翌日、どんな姿で戻ってくるか不安でならなかったが、ちゃんと右脚を地面について歩いてくる。嬉しそうに尻尾を振りながらすり寄ってくる。
「痛い思いをするのは、これで終わったからね」と言いながら、抱きしめる。

そしてきょうで、丸8日が過ぎた。
食欲旺盛、寝てばかりいたのにすぐに起き上がり散歩に行きたがる。 ソファにも上ろうとする。
明らかに痛みが減っているのだろう。普通の生活に戻ろうとしている。
このまま少しずつ関節周りの筋肉を戻していけば、半年ほどで走れるほどに回復する可能性もあるという。
走れなくてもいいから、ストレスなく自由に歩き回れるようになれば、それが彼女にとって何よりのことに違いない。生活の質が保たれる。
今6歳。大型犬の寿命は短いが、それでもまだ半分。この先、1日でも長く生き生きと暮らしてほしいと祈るばかりだ。

今、ソファの脇で穏やかに眠っている。
それだけで、嬉しくてならない。

この2ヶ月、仕事もほんとうに忙しく、膝の故障もあってランニングも間が空いてしまっている。
吐き出したい思いも溜まっているのだが、心身ともに余裕のない毎日だった。
しかし、ようやく愛犬の病気もようやく快方に向かい、心も少しラクになってきた。
やりたいこと、やるべきことは山のようにあり、際限ないのだが、そろそろ、立ち止まってこの日記に書き付けていこうと思う。

2011年12月5日 小さな一歩
以前にも書いたことだが、1年半ほど前から、取引先金融機関に対し、「今後は借入の際の社長の個人保証条件を外して欲しい」と要請してきた。
十数年前、初めてプロパー融資を行っていただいた信用金庫や、初めて融資いただいたメガバンクには恩義を感じており、真っ先にお願いしてみたのだが、「先例がない」という理由で断られてしまった。取引年数も長く、当社の状況もよくご存知のはずなのに残念なことだった。やはり、金融機関は保守的で、相変わらず横並び体質なのかもしれないと思った。
しかし、諦めるわけにはいかない。設立当初の企業や同族経営の会社ならば一定の合理性があるが、株式会社として社会性と継続性を重視する企業にとって、社長の個人保証は健全な発展の阻害要因となる。不合理な慣習に挑戦するのは当社のDNAであり、存在価値に関わることだからである。「それでは、今後のお付き合いは難しくなります」と意地を張ってきた。幸い、運転資金に困ることはない。

こうして状況が変わらないまま1年が過ぎた。

ところが、今秋「勇気ある経営大賞」の優秀賞受賞のおかげでいくつかの金融機関から「新規の取引を」というお誘いをいただき、同じ条件を提示したところ、ひとつの銀行から「問題ありませんよ」という回答をいただいた。最初は半信半疑だったが、初めての取引にも関わらず、物的人的担保もなく、金利条件も変わらずにすでに融資が実行された。

小さな一歩かもしれないが、ベンチャー企業としての役割を果たせたという意味で、正直嬉しい。

先に書いた三菱東京UFJ銀行の口座もとうに解約した。
これは、何のために企業があり、社会的意義や責任というものをどう考えるかという根本問題なのだ。
 

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「旅籠屋主人のベンチャー日記」 (雑誌「戦略経営者」連載)はこちら

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