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2003年
2003.1/16
もうひとつの喜び
2003.1/26
金持ちになりたい
2003.3/28
春なんだ
2003.4/7
目を覚ませ
2003.4/11
農協に失望
2003.4/21
残念
2003.6/12
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大当たり
2003.7/16
つまらん
2003.10/7
感傷の秋
2003.10/13
読書の秋
2003.10/28
ダイエー優勝、おめでとう

2003年1月16日  もうひとつの喜び

年が改まってもう半月が過ぎた。去年は、ほぼ決まりかけていた新規出店の話しが最後の最後で白紙になってしまい、盛り下がって暮れたが、今年こそは飛躍の年にしたいと思う。

各店舗は、「鬼怒川店」「那須店」「秋田六郷店」が伸び悩むいっぽうで、2年目を迎えた「山中湖店」「沼田店」「水戸大洗店」が大躍進、昨夏オープンの「北上店」が大苦戦・・・空模様に例えれば「晴れ、所により薄曇り」という感じなのだが、数年前のように「明日の天気は明日になってみないとわからない」という状況ではないから、もう雨具の心配はいらない。というのも、利用いただければきっと気に入っていただけるという確信があるからだ。「旅行者が、気軽に安心して泊まれる、自由で経済的な宿泊施設の提供」という事業目的のひとつは着実に実現されつつある。

事業目的のひとつ? そう、じつは、「旅籠屋」には二つの目的があるのだ。創業以来のキャッチフレーズ「シンプルで自由な、旅と暮らしをサポートする」「暮らし」という言葉に込めたこと、それは「地域に調和する資産活用事業の創出と、堅実で自立した生活基盤の確保」ということだ。利用者ではなく、「旅籠屋」という施設を提供する(「旅籠屋」を誘致することによって遊休地を活用する)オーナーや、住み込んで運営業務一切を行う支配人夫婦の存在が、もうひとつの大切な目的なのだ。

10年前、友人に案内されてアメリカのMOTELを数多く見て回ったときに感銘を受けたのは、シンプルで合理的な宿泊施設のスタイルだけではない。じつはそのこと以上に、そこで働く人たちの有り様にに強い印象を受けたのだ。田舎町の郊外にポツンと建っているMOTELを訪ねると、その支配人の多くは移民の家族だったり、中高年の夫婦だったりする。おそらく彼らはニューヨークやシカゴに行ったこともなく、最先端のビジネスともアメリカンドリームとも無縁であるに違いない。しかし、彼らは、夫婦で、家族で一軒の宿を切り盛りしながら、誰に媚びることも、臆することもなく、マイペースで自分たちの人生を営んでいる。

日本は狭い。物理的に狭いというより、価値観の一元化が進んでしまって息苦しい。人間が過去から現在までの学校・勤め先・居住地などの表面的な属性で測られてしまう。例えば、サラリーマンに向かない人、都会に向かなかった人にとって日本は生き易い国ではない。脱サラとか脱都会といった言葉には、どこかしらに暗いイメージとそのイメージを払拭しようとする「から元気」の気負いがある。本来、どこで、どう生きようとそれは個人が自然体で選び取り受け入れていけば良いことなのに、目に見えない物差しが当てられてしまう。

最近知ったデータによると、アメリカには20室以下の小規模なMOTELが4万軒ほどあるらしい。その規模なら、多くは都会から離れた場所にあるだろう。アメリカの田舎を車で旅したことのある人なら思い出してもらえると思うが、人里離れた道路沿いに看板の灯を掲げて「自分サイズ」の暮らしを営んでいる家族がアメリカじゅうにいるのだ。「旅籠屋」の一軒一軒がそんなかけがえのない生活の場になれたら・・・私が夢見たのはそういう日本だ。

「旅籠屋」は現在7店舗。代行支配人を含め、8組のご夫婦に店舗の運営ををお願いしている。人選にあたって、基本的に学歴や職歴は関係ない。ご夫婦の仲がよく、誠実で実直な方、人柄第一である。だからというわけでもないが、さまざまな経歴を持った方々がいらっしゃる。「履歴書」上ではマイナスのこともあったりするが、人柄とは関係のないことだし、逆に豊かな人生経験のせいか、人間として素晴らしい方々ばかりだ。

「旅籠屋」の二つ目の目的。これは事業の成果として表に出ることではない。利用者にも関係ない。傲慢な言い方だと斜めに受け取られたりもする。肩書きで人間を見ない、当たり前のことをしているだけなのだが、曲解されるのも癪にさわるので、あまり言わないできた。しかし、これは間違いなく「旅籠屋」の存在意義そのものなのだ。

それにしても、「地域に調和する資産活用事業の創出」という部分も、そろそろたくさんの人に理解して欲しいぞ。死んでいる土地が生まれ変わりますよ。

2003年1月22日  金持ちになりたい

「忘年会」「新年会」とは縁のない私だが、正月に高校時代の友人たちと会うのは恒例。昨夜は仕事で知り合った知人とほぼ1年ぶりに3人で集まったが、もしかするとこれも恒例になるかもしれない。気の置けない人たちなので楽しい。5年10年後には、どんな話しをしているのだろう。「最近、旅籠屋日記が月記にもなっていない」とお叱り(?)をいただいたので、何か書いてみようか。

「最近アタマにきたこと」が話題になったが、そうそうひとつ言い忘れていた。毎日のようにかかってくる投資勧誘の電話。主として商品先物取引の誘いなのだが、これは不愉快だ。「運用する資産なんてありませんから」と断るのに「いぇいぇそんな謙遜を」と返してくるからアタマに血が上る。「小なりと言えども社長だから多少の金はあるのだろう」という「オヤジくさい常識」もイヤだが、ホント金のない現実に思いが行って情けなさで腹が立ってくる。人が忘れようとしていることに触れるなよ。

大企業で働いている高校のクラスメートと比べたら年収は半分以下かもしれないが、そんなことはどうでも良い。自分で会社を興し、やりたい仕事をしているのだから、銭金に換えられない満足感や充実感を得ているし、将来の楽しみもある。でも問題は今現在の絶対的な不足、どうしても毎月の家計が赤字になって、まったくゆとりがないことなのだ。

私は酒を飲まないし、打たないし(たまの宝くじとtotoくらい)、もちろん買わないからホント品行方正のつつましい暮らしぶりなのだが、故あって扶養控除がないせいか天引きされる税金や保険料が高くて手取り収入が低い。そこから生命保険料を払い、かつて会社の株を買ったときの借金を返し、加えて子供たちの学費がある。この春からは下の息子も大学進学なので、また国金の学資ローンの返済が増えることになる。何だか貧乏を自慢するみたいで品が悪いのだが、やっぱりたまにはバーンと無駄遣いできるゆとりは精神を健康に保つのに必要なゆとりじゃないだろうかと心底思う。あー長年の欲求不満でどんどん下品になっていく。

とは言え、私の部屋には通販で衝動買いした腹筋トレーナー(3種類もある)やスチームクリーナーやほとんど使っていないDTMソフトや飾り物のギターがあったりするから無駄遣いがないとは言えないのだけれど、それくらいは許してよ。これでも、年老いた両親と食事に行った時は私がご馳走すべきじゃないか、誕生日プレゼントくらいはずみたい、たまには海外旅行に繰り出したい、と心の底では思っていて、肩身の狭い思いをしているんですよ。少しは見栄を張りたい。

まぁしかし、金がないと言っても、幸い両親が健在で多少の蓄えもあるようだから、気持ちのどこかで甘えている部分がある。相撲の土俵の「徳俵」という感じ。昔々フリーターやって一人暮らししてた時の「切羽詰った貧乏」とは違う。しかし、この歳なら親の生活費を負担するのが筋じゃないの・・・って考えていたら気持ちが暗くなってきたので、この話しはもうおしまい。

まぁいいさ、そのうち、有り余るお金の使い道に悩む話でも書くさ。しかし、もしかするとそんな話しの方がずっとずっと暗い?

2003年3月28日  春なんだ

正月以来、なんだかんだと気ぜわしい。
子供の受験・アパート探し、引っ越し2件、そして、ハモニカの演奏会出演・・・などなど。
プライベートだけじゃない。
設計スタッフを迎え入れるための本社オフィスの模様替えや倉庫の整理。ようやく、新規出店が相次ぎそうな気配もあり、社外の設計スタッフに半ば常駐してもらうことになったのだ。
店舗の稼働は、ばらつきはあるが、総じて好調。代行要員のやりくりなどで本社の管理責任者は東奔西走している。
世の中に目を転じれば、もちろんアメリカのイラク侵略で大騒ぎ。北朝鮮情勢も不穏だ。
言いたいことはたくさんあるけれど、そんなこんなで、なんだか落ち着かない。そう、啓蟄、
春なんだ。忙しくなりそうだぜ。

2003年4月7日  目を覚ませ

いっこうに金欠病の症状が改善しないこともあって、今年も日本GPはテレビ観戦となった。ますます観客が少なくなったようで、それはもちろん私が責任を感じる話しじゃないけれど、ちょっと申し訳ない気がした。レースはいずれも白熱していて面白かったし、とくにMotoGPクラスには、久しぶりにKAWASAKIやDUCATIが戻ってきたので今シーズンは興味しんしんだ。

しかし、加藤大治郎選手の大クラッシュには衝撃を受けた。コース上でまったく動かないので、尋常なケガではないと思ったが、ヘリコプターで搬送されたあとの情報がない。ネット上を探し回ってようやくたどり着いた掲示板での書き込みによると24時間経過した現在も重体とのこと。事故直後は心臓が停止していたが、その後蘇生に成功し、体温や血圧は戻りつつあるが意識が戻っていないらしい。
まだ26歳で、10日ほど前に長女が生まれたばかりだというのに、
なんということだ。
レース、とくに2輪のロードレースには転倒事故がつきものだが、ライダーの命にかかわる事故だけは絶対に起こって欲しくない。「チーム旅籠屋」をサポートし始めて、必ずしもマスコミで報道されない重大事故が少なくないことを知り、また、生身のライダーたちを知り、この思いはますます強くなった。
大治郎、目を覚ませ!

一昨日、久しぶりに時間がとれたので、「東京モーターサイクルショー」を見に行ってきた。冬のような天候だったが、場内は大にぎわい、バイク好きがたくさんいることは嬉しかったが、メーカーのパンフレットを見て商品ラインナップが極端に少なくなっていることに驚いた。50ccのスクーター、アメリカン、大型スクーター、ほとんどそれだけだ。無骨なロードスポーツがすっかり姿を消しているのが寂しい。バイクに乗ることだけで白い目で見られた時代、だからこそ「肩で風を切って」走っている自分の姿に酔えた時代はすっかり遠くなってしまったようだ。それはそれで仕方のないことなのだが、こんな時代に「我が身一つ」で命がけでサーキットを駆け抜けている魂が消えてしまうのは絶対にイヤだ。
大治郎、目を覚ませ!

2003年4月11日 農協に失望

ありがたいことに、「早く旅籠屋をアチコチに増やしてください」というメールをいただくことが多い。もちろん、誰よりそうしたいし、手元に100億円というお金があれば、今すぐにでも日本全国に100軒の「旅籠屋」を誕生させる(需要は十二分にある)のだが、お金に余裕がないというのはほんとうに悔しい。機会損失もいいところだ。儲けるチャンスを失っているという意味だけでなく、多くの旅行者が不合理な費用と時間を負担せざるを得ない状況が続いているのが情けない。

5・6・7号店がそうであるように、現在「旅籠屋」は遊休地のオーナーに建物を建てていただき、これを当社が長期間借り受けてホテルの経営・運営を行うという形で出店している。「旅籠屋」は基本的に郊外立地なので、出店可能な遊休地は全国にあり、土地だけ貸したいという地主の方はそれこそ無数にいらっしゃるのだが、あらたに建築費を負担して活用をしようという方は限られてしまう。20年間の家賃保証で、追加の費用負担も実務負担もまったくないのだから、たいへん
堅実で安定した活用法だと自負しているのだが、世の中の雰囲気が臆病になっているせいか決断を先送りするケースが少なくない。

というわけで、「北上店」のオーナーのような方は貴重な存在なのだが、その方に
「私と同様、市街化区域内に非営農地を持っていて、税負担が重い遊休地を活用したいと考えている人は全国にたくさんいるはずだから、農協にこうした活用法をひろくPRしてもらってはどう?」という提案をいただいた。1年近く前のことだ。さっそく、昨年5月、全国農業協同組合中央会JA全中の地域振興部に連絡をとって、事業説明に伺った。幸いとても興味を示していただいたが、「こうしたことは全農の方が適当なのです」というわけで、翌月、同じ建物の中にある全国農業組合連合会(JA全農)生産資材部を訪ね、再度プレゼンをさせていただいた。こちらでも同様にとても興味を示していただいたのだが、「具体的なことは東京支所が担当していますので」というわけで、半月後、またまた同じ建物の中にあるJA全農東京支所の担当部署を訪ね3回目の説明を行った。「面白いですね。具体的な案件があったら連絡します」というところまでようやくたどり着いたというわけだ。
しかし、この話しは残念ながらそれっきり何の反応もない。せめて、アパートやマンション以外にもこういう活用法がある情報だけでも伝えてほしい、と思ったのだが、大きな役所みたいな組織だし、これ以上催促するわけにも行かない。

そんなことを前述の「北上店」のオーナーに愚痴ったところ、
「それなら、農家の多くが購読している新聞に取り上げてもらってはどう?」という助言をいただいた。気を取り直して日本農業新聞のデスクを訪ね、4回目の説明。すでに、10月。

ここまで来れば、賢明な皆さんにはその後の状況は書かなくても察していただけると思う。残念ながら、改めての取材はなく、1行の記事にもなっていない。

どんなビジネスであれ、売り込みはたいへんだ。結果がすべてなのだから、一方的にこうした相手の「無理解」を嘆くのは経営者としてはほめられたことではない。
よく分かってます。だから、今まで書かなかったんです。
しかし、最近、現在最終段階に入りつつある出店交渉の中である地主さんから言われたことで、とうとう私も書かずにいられない心境になった。その地主さんは「旅籠屋」を建てて土地活用する決断をされたのだが建築費の融資相談に行った農協で
「どうせラブホテルじゃないですか」と言われて断られたそうなのだ。

地元の町役場は「町の活性化になることですからぜひ出店してくださいよ」と大歓迎なのに、あー
農協って何なの?。
もちろん地主さんは、他の金融機関に相談されているので、きっと計画は実現すると信じているが、
私はもう
農協には心底失望している。

2003年4月21日 残念

4/7に書いた加藤大治郎、昏睡状態が2週間続いていましたが、20日未明、とうとう逝ってしまいました。
鍛え抜かれた鋼のような体だったのに、とうとう力尽きて灯が消えたという印象です。
わかりやすく言えば首の骨が折れているような状態だったらしく、意識が戻ったとしても最悪の後遺症が残るという見方もありましたから、これで良かったのかもしれないという思いもあります。
しかし、輝きの頂点を迎えようとした時期に、むごいことです。残念です。冥福を祈ります。合掌・・・

2003年6月12日  勇気ある経営大賞

東京商工会議所で、今年から「勇気ある経営大賞」という顕彰制度がスタートした。「独自の技術・技能や経営手法によって、新たな製品・サービスを生み出した革新的、創造的な中小企業を顕彰し、その活動を支援。後に続く企業に目標と希望を与え、中小企業に内在する無限の可能性を引き出し、産業の再生に貢献。」というのが制度の主旨。

「これなら、旅籠屋も該当するぞ」と意気込んで数日かけて資料をまとめ、今年の初めに勇んで応募した。10社ほどの入賞企業に与えられる賞金も魅力だったが、何より「ファミリーロッジ旅籠屋」という事業のPRや「旅籠屋」という会社の社会的信用力の増大につながればというのが目的だった。

応募から数ヶ月、ようやく5月になって第1次、第2次審査の結果についての連絡があり
「応募187社の中で、25社に残っているので、第3次の実地審査に伺いたい」との要請を受けた。この実地審査で10社程度に絞り込まれ、それがほぼ入賞企業となるらしい。密かに期待していたので、本社スタッフ一同大喜び。5月下旬の実地審査も終え、ここ数日はその結果を待ちながら、何度も郵便受けをのぞきに行くという毎日が続いていた。
そして、きょう・・・待ちきれずに電話で問い合せたところ、残念ながら
選外との返事。あ〜がっかり。ほんとにがっかり。具体的な事業は東京都以外で展開しているのがいけなかったのかなぁ、やっぱり赤字企業だからかなぁ、宿泊業と言うことで先入観を持たれたのかなぁ・・・。もちろん、選考の過程はわからないことだ。
旅籠屋は、多くの旅行者に従来なかった利便性を提供し、車社会に必須のインフラを整備していく先導役になる企業なので、制度の主旨にはぴったりの会社だと思ったんだけど・・・。

窓の外と同じく、きょうは本社の雰囲気もすっかり暗く沈んでしまっている。しかし、別にこれで会社の値打ちが下がるわけじゃないし、気を取り直して頑張ろう(と、自分に言い聞かせよう)。
あ〜、しかし、どんな企業が選ばれたんだろうなぁ。「強く推す選考委員も居たので、ぜひ次回も応募してください」と言われたけど、気分的にそれはないよね。それにしても、
あ〜残念。

2003年7月15日 大当たり

えーい、書いちまえ。
20日ほど前、待望の8号「浦佐店」の契約調印の帰り、関越自動車道で派手な交通事故を起こしてしまった。
土砂降りの雨、水しぶきをまきあげるタンクローリーを追い越した直後、突然タイヤのグリップがなくなり、中央分離帯や路側帯のガードロープにぶつかりながら高速道路上でアイスダンスを踊った。典型的なハイドロプレーニング現象というやつだ。スリップしている間にタンクローリーと衝突したためか車は修理不可能の全損状態になってしまったが、同乗のTさんも、ローリーの運転手にもケガはなく、私がちょっとした切り傷と左手人差し指の骨折を負っただけで済んだ。このように人的被害は最小限だったが、路上で止まってしまった私の車を避けようとしたトラックがこれまた派手にスリップして路側帯につっこんだこともあって路上には車のパーツが散乱。翌日の新聞によると、関越の上りはその後1時間半も全面通行止めになったらしい(皆さん、ほんとうにごめんなさい・・・)。

事故を起こしといて言うのも説得力がないが、バイクで何回も痛い思いをしたから、私は普段からとても安全運転。車間はたっぷりとるし、急発信・急ブレーキなんて無縁だ。今回もスピードはもちろん100km以下。では、なぜ?
冷静に考えて思い当たるのは、タイヤの摩耗が進んでいたことだ。昨秋の車検の時にも交換を勧められていたのに替えなかった。走行距離7万kmで無交換は、やっぱり無茶でした。

教訓1・・・
赤字でも、タイヤをケチルな、金使え。
教訓2・・・雨の日の、「スリップ注意」は、うそじゃない。

会社に戻ってきてから「社長に万一のことがあったら、どうするんです」とボコボコに叱られたけれど、
おっしゃるとおり。反省しています・・・

以前、1年以上にわたって悩まされた「五十肩」の時も困ったが、今回も人差し指が使えないのはまったく不自由。パソコンは右手の一本指打法なので問題ないが、洗面所でも、風呂でも片手ではなんともならない。あさってで3週間になるので、ぐるぐる巻きの包帯と副木が外れ、着脱可能なキャップになるらしい。そろそろ動かし始めないと指全体が固くなってしまうそうだ。第2関節の骨が少しつぶれて割れたような状態なので完全に元に戻ることは難しいらしいが、日常生活に不自由がなければ良い。しかし、なんとかギターが弾けるくらいには治って欲しいぞ。

なお、車はほぼ減価償却が終わっており、任意保険やJAFのおかげもあって会社への実害はごく少額で済んだ。良かった。

2003年7月16日 つまらん

新規出店を促進させるため、先日、あるリース会社を訪問した。会計士や証券会社から「不動産リースも可能らしいよ」と紹介されたので勇んで出かけたのだが、結果は「決算報告書や事業計画書の内容を見て与信枠を検討します」という返事だった。

「つまらん、お前の話はつまらん」という金鳥のテレビCFのセリフが頭に浮かんだ。そんな型どおりのことなら、プレゼンするんじゃなかった。

自分でも申し訳ないと思うくらい、私はお役所に行くとすぐに頭に血が上る。話しをする前からケンカ腰になっているみたいだ。前世で役人にいじめられたのかもしれない。
役所に限らず「そういう決まりになっていますから」とか「そんな前例はありませんから」などと言われると瞬間的にアドレナリンが体中に分泌される。担当者が悪いんじゃない、ないものねだりなんだよ。短気は損気、もっとねばり強く・・・と頭ではわかっているのだが、黙っていられなくなる。

こういう自己中心的な性格もアントレプレナーの必須要件、確かにそんな気もするが、最近ますますこらえ性がなくなっているようで気になる。会社設立から9年が過ぎ、多少知名度も上がってきたせいで知らず知らずのうちにプライドだけが高くなり、ひたむきさを失いつつあるのかもしれない。

2003年10月7日 感傷の秋
とうとう梅雨の明けなかった8月、残暑の9月が去り、10月になった。気温が下がり、さわやかな風が吹き、空気が澄んできて、夜が早くなった。
秋だ。

草木が芽吹く春が一番好きな季節だが、秋も悪くない。しかし、気をつけていないと、メランコリックな気分に悩まされる。思春期の少年たちの父親よりも年くってるくせに、何が「感傷の秋」だと笑われそうだが、たぶん、生理的にそういう体質なのだろう。日照時間のせいか、気候のせいか、毎年この季節になると妙に物憂い気分にとりつかれる。こんな夜は、徒然に日記でも書いてみる。

9月19日・・・株主総会の日だった。例年10名前後の参加があるのだが、今年は6名と少なかった。6月末の決算日からの2ヵ月半、年々複雑になる一方の決算処理に随分と時間をとられた。税別会計や経過勘定など、会計処理を厳密にしようとすると手間がかかる。ようやく数字がまとまったら、決算速報・決算短信・会社内容説明書の作成、並行して総会招集通知などの作成もある。社内の作業スタッフは私一人だから負担が大きいが、業績は着実に進展しているし、何一つ隠し事のない会社だから、まっすぐな気持ちで取り組める。来年は設立10周年、初の黒字達成で、ささやかに祝いたい。

9月21日・・・はるばる浜名湖畔までB'zの屋外ライブを見に行った。折からの台風で道中は暴風雨だったが、コンサート途中から雨も上がった。5万人の聴衆、大規模なステージ、巨大なPAシステム、屋外ならではの花火の演出。それなりに楽しくはあったが、ひりひりするように緊張感や興奮は味わえなかった。みんな良い子だ。ロックもバイクも、今やエンターテイメントであり、レジャーのひとつ。

9月27日・・・久しぶりに整形外科に行った。6月末の交通事故から3ヶ月。指の怪我の最終チェック。もちろん、骨は固まっているが、レントゲン写真を見ると、関節が少しつぶれて、ギザギザになっている。しばらく力を入れていると曲がるのだが、油の切れた蝶番のようで元通りの動きからはほど遠い。医者は「ギターは無理かもしれませんね」と言う。憧れのストラトキャスターを買って「そのうち練習しよう」と思っているうちに、こんなことになってしまった。いっそ、弦を張り替えてサウスポーに転向しようかとも思ったが、それはやめて、どこまで回復するか見届けてやるつもり。

10月3日・・・パシフィコ横浜に「旅行博」を見に行った。アメリカのモーテルチェーンのブースにも寄ったが、「旅籠屋」のことはまったく知られていなかった。少し、悔しい、さびしい。この展示会は初めての見学だったが、メインは世界各地の観光スポットのPR。「ロシアの釣りツアー」など、旅行会社のパンフ棚では見かけない情報がいっぱいだった。世界中に行ってみたい、ほんとうにそんな気になった。いつか、戻りの予定を立てずに、何年もの旅に出たい。

10月5日・・・息子のバンドのライブを見に行った。みんな、思ったより、ずっと上手だった。あまり自己主張しない彼が「プロのミュージシャンになりたい」と言う。自分も、若い頃、一時期そう夢見たことがある。才能と運に恵まれるのなら、背中を押してやりたい。表現者として生きていく人生は悪くない。でも、何より得難いのは「持続するパッション」。人生の多くはドラマと無縁の平板な日常のダラダラ坂。実感から言えば、退路を断つような人生は勧められない。ピュアな気持ちを買ってやりたい、という気持ちとの板ばさみ。

10月7日・・・新店舗の話し。建物建築費の見積りがなかなか想定額に収まらない。住宅メーカーにいた経験から推察するに、積算部の担当者が過去の常識から抜け出せないのではないか。材工一式、現場経費、出精値引なんていうやりかたを続けていては、いつまで経っても建設業界は生まれ変われない。みんなわかっているのに体質を変えられない。そろそろ腕力と決断力のある工務店経営者とめぐり合えないものか。

更け行く〜秋の夜〜。珍しく、日記らしい日記が書けた。なぜか、今夜は心穏やか。
2003年10月13日 読書の秋
待望の3連休だったが、どうも風邪を引いたらしく、テレビを観る(F1、ラグビー、サッカー、MotoGP)以外はほとんど寝ていた。いくら眠ってもすっきりしないのだ、きょうは、かなりよくなったけれど、生憎の雨なので、珍しく本を読んでいる。雑誌を除くと、滅多に本を読まないのだが、先日買った「会社はこれからどうなるのか」は、なかなか面白い。東大の経済学部の教授が執筆した本だが、インタビューを元にしているせいか、とてもわかりやすい。経営者の端くれとして、自分の経験や立場に引き付けて読めるので、どんどん興味が湧いてくる。
10代の頃は、難解な哲学書などをむさぼるように読んでいた。残念ながら集中力や理解力の低下は否定できないが、当時の読書姿勢は生きている。「単なる知識にせず、自分の問題として、考え抜く」ということだ。言い換えれば、「自分をいじめる」ということ。
最近、直接間接に「旅籠屋」について、批判や疑問をぶつけられることがある。総じて日本人はディベートの訓練が出来ていないから、すぐに感情的になってしまう。ネット上の匿名の意見交換の難しさもある。個人的には、弁解したいこと、反論したいことはあるが、経営者としては「沈黙」するしかない。こうして会社のホームページに個人的な「日記」を掲載していることがギリギリの線だ。
真摯に受け止め、言葉ではなく、実際の会社の活動で応えていく、そう自分に言い聞かせてます。所詮、切実さが違うもの

(誤解のないよう、最後の言葉について主旨を補足しておきます・・・公開の場で批判される側の我々にとっては、ひとつひとつの指摘が深刻かつ重たい意味を持ちます。加えて、すでに取り返しのつかない汚点になっていたり、一朝一夕に解決できない問題であったりすると、その批判が正しいものであればあるほど、もどかしく感じます。この二つの意味で、彼我の立場の相違を理解いただきたいと思います。無視したり、軽んじたり、できないから切実なのです)。
2003年10月28日 ダイエー優勝、おめでとう
西鉄ライオンズが消滅してから、巨人嫌いは続いているけれど、とくに贔屓の野球チームというものは無くなってしまった。しかし、今回の日本シリーズ、一応福岡県出身の私としては自然にダイエーを応援する気持ちが湧き上がってきて一生懸命声援を送った。やったね、日本一おめでとう!

東京育ちの人と話していると、九州を全部一緒くたに見ているのを感じるけれど、とんでもないことだ。私は北九州の出身だから、「博多とだって文化圏が違うんだよ」と言っても理解してもらえない。東京だって、浅草と中野じゃ違うだろうに困ったものだ。

12歳の終わりに東京に引っ越してきた私には、地方出身者と東京育ちの人の気分の両方が理解できる部分がある。方言を笑われたくなくて神経質になっていた気持ちも覚えているし、中心地にいる心のゆとりみたいなものもわかる。劣等感と優越感。しかし、それも遠い昔の話し。もはや東京と地方の違いなんて、ほとんど無くなってしまっているのかもしれない。

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「旅籠屋主人のベンチャー日記」 (雑誌「戦略経営者」連載)はこちら

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