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バックナンバー

2000年
2000.1/2
ぶち壊された下町情緒
2000.1/30
はもにかラウンジ浅草
2000.2/13
五十肩、その後
2000.3/4
通信環境の整備
2000.4/15
はもらん浅草「発表会」
2000.5/2
ベンチャーの真実
2000.6/13
アメリカ
2000.7/20
最近、頭にきたこと
2000.9/4
トラブルこそノウハウだが
2000.10/11
ラジオ出演
2000.11/19
IRセミナー
2000.11/21
失望
2000.12/3
ストリート・ミュージシャン

2000年1月2日 ぶち壊された下町情緒
元日、浅草寺に初詣に出かけた。晴天無風、混雑もさほどではなく、気持ちのよい散歩を楽しんだが、ひとつだけ不愉快なことがあった。

雷門の前で、どこかのキリスト教の団体の街宣車ががなりたてていたからである。渋谷などの繁華街に行くといつものように出会う「神を信ずるものは救われます。悔い改めなさい・・・」という例のヤツである。
私は、無宗教というより反宗教という立場なので、宗教的信条で反発しているわけではないし、人の信仰をとやかく言うつもりもない。
しかし、元日、日本人がひとつの文化的習慣として初詣している神社や寺の門前で大音響で布教活動を行うのはいかがなものか。
例えば、クリスマスイブのミサが行われているヨーロッパかどこかの教会の前で、仏教徒が拡声器を使って読経するなどという場面を想像してほしい。
これは、宗教以前にその国や地域の人々の文化や暮らしに対する無神経で傲慢な振る舞いではないか。
あーうるせー。余計なお世話だ。よほど、中心にいる西洋人に近寄って苦情を言おうと思ったが、盲信している連中との議論で消耗するのはわかりきっているし、足早にその場を離れてしまった。あー、何も言わずに帰ってきた自分にも腹が立つ。
なんて、人の良い日本人。なんて、従順な日本人。すっかりぶち壊されてしまった浅草の下町情緒。来年は、ケンカする。
2000年1月30日 はもにかラウンジ浅草
この日記に何回も書いているが、私は、高校生の頃からブルースが好きで、とくにそこで演奏されるハモニカの音色がほんとに大好きだ
ハーモニカにも実にいろいろな種類があって、ブルースでは単音10穴(10 Holes)と呼ばれるもっともシンプルなタイプのものが多く使われるのだが、これは1本3000円前後で気楽に買えるし、小さくて軽いから誰でもどこでも楽しむことが出来る。
私も、20歳の頃、なんとなく1本買って我流で見様見真似で吹いてみたのだが、普通のフォークソングのような曲ならそう難しくはないけれど、これでブルースを演ろうとすると独特のテクニックや感性が必要で、それらしく吹けるようになるのは容易なことじゃない。
というわけで、買ってはみたもののすぐに挫折、それからは聴いて楽しむだけになっていた。ところが、なぜかある頃から、やっぱり自分でも演奏できたらなーという思いが強くなり、思い切って日本の10 Holesの草分けで第一人者である松田幸一さんの教室に通ってみることにした。何か、毎日の生活に変化や刺激を求める気持ちがあったのかもしれない。7年くらい前のことである。
私は自意識が強いのか、情けないほどの上がり性で、わずか数人のレッスンなのに、はじめの頃はブルブル手が震えるみたいなこともあった。それでも1年くらい通ううちに少しはブルースらしい雰囲気が出せるようになった。しかし、その後「旅籠屋・鬼怒川店」のオープンにともなって東京を離れてしまい、教室に通うことも困難になり、またハモニカを手にすることもなくなってしまった。
そして、1年半前。3年ぶりに東京に戻って、数ヶ月、吉田ユーシンさん教室に通って勘を取り戻そうとしたりしたのだが長続きしない。好きなのにひとりで練習する気分になかなかなれないのだ。職住一致だし、気分転換が難しいということもある。そんな煮え切らない状態が続いていたが、昨年、たまたま現在住んでいる台東区の主催で松田さんの「ブルースハープ教室」が開催されることを知り、懐かしさもあって即座に申し込むことにした。
教室といっても、全6回の短期講座。最後に浅草公会堂で河島英吾のコンサートの前座として発表会を行うというユニークな企画だった。台東区在住・在勤者対象の教室で約100人の受講生が集まったのだが、年配者が多く、大部分はハモニカ初心者、おそらくはブルースなんて聞いたこともない人も多かったと思う。そんなわけで、多少の経験がある私が発表会の中でのソロ演奏を指名され、わたし的には「とんでもない」ことになってしまった。
結果だけ言うと、異常な上がり性の私なのに、まぁまぁ何とかコンサートをぶち壊さない程度に演奏できた。みんなが励ましてくれたし、何より自分が長年重荷に感じていた不自由な性格から少し解放されたような気がして、とても嬉しかった。
こうして、昨年末、教室は終わってしまったが、なんとかこうした気分を持続できないか、人前でハモニカを吹いてみんなで楽しめるようになれないものか、そんなことを考えて、松田さんに「引き続きハモニカを教えてほしいという人も多いようですし、場所はウチのオフィスを使って、月に1度くらいのペースで教室をやってもらえませんか」と提案してみた。なぜか、ブルースのライブハウスは新宿・杉並・中野・世田谷など「山の手」に集中しており、ハモニカの教室も「下町」には皆無なのだ。私の実感として、ブルースには下町のほうが雰囲気としてマッチしていると思うのだが。
それはともかくとして、松田さんは私の提案に快諾くださり、その100名の方々に案内状を送ったのだが、なんと30名以上から申込みがあり、この狭いオフィスで2クラスに分けて「はもにかラウンジ浅草」がスタートすることになった。
毎月1回、3回レッスンして1回はウチのビルにあるドイツ風居酒屋で飲み食いしながら発表会をしようという企画なのだが、1/28、無事に第1回目が終わった。
今後の様子は、また、このサイトのどこかで紹介しようと思う。
2000年2月13日 五十肩、その後
昨年の春から右肩が五十肩になり、秋からは左肩も痛み始めて苦しんでいると書いた。嬉しいことに、その後全国各地から100通を超える励ましのメールをいただき、あらためてネットの持つ情報伝達力の大きさと広がりを感じている次第。

というのは、もちろん真っ赤なうそで、友人知人さえも誰一人気にしてくれない。当たり前だ。私が五十肩のせいで、ワイシャツを着られないとか、風呂で背中を洗えないなんてことは、どうでも良い他人事なのである。だから「五十肩、その後」なんて誰の興味も引かないことだけど、ここは「日記」なのだから、自分のために書けばいいのだ。

結果だけ書くと、ずきずきぴりぴりと痛んでいた右肩も、発症から4ケ月が過ぎた今年1月をピークに痛みがどんどん治まってきている。右肩は昨秋から快方に向かいつつあるので、半年前と比べると大幅な改善である。
もちろん、まだ全快にはほど遠く、今でもひとりでワイシャツを着ることができないのは相変わらずだが、でも激痛で目覚めることはなくなったし、重症の肩こりからも解放された。
というわけで、きのう久しぶりにバイクで都内を走り回ったのだが、何のストレスも感じなかった。そのことだけで私は十分に幸せな気分になり、痛みのない暮らしに感謝した。
「健康がなにより」。ほんと、そうなんです。

2000年3月4日 通信環境の整備
チェーン店が3軒に増える。そこで課題となるのが、事業所間の通信環境の整備だ。
3年前にオリジナルの運営ソフトを開発して利用していることは、このコーナーで詳しく書いた。予約の受付・部屋割り・チェックイン・チェックアウトなどのフロント業務に加え、顧客管理や会計までを一体化したソフトで、現物を見た人は一様にその使い勝手の良さと必要十分な機能に驚く。このシステムこそが、事業の計数管理の基礎になっており、支配人の運営業務を支えている。ソフトハウスに依頼して開発に1年を要したが、市販品にはないスグレモノができたと自負している。
これまでは「鬼怒川店」と「本社」の1対1の関係だったので、データベースのオリジナルを「鬼怒川店」のPCに置き、毎日そのデータをダイヤルアップで電話回線をとおして本社に送りバックアップをとる、という方法で対応できたが、店舗が複数になればそうはいかない。例えば顧客データひとつとっても、店舗ごとに持つのでは内容の整合性がとれない。同じ顧客のデータが複数の店舗で更新されることがあるからだ。
というわけで、さまざまなシステムを検討してきたが、本社にデータベースサーバーを置き、各店舗のフロントのPCをクライアントとする方式がもっともシンプルだ。問題は、こうしたシステムにするには全体を常時接続しておく通信線の費用と必要十分な通信速度の確保だ。
単独の専用開設で本社と各店舗間をつなぐ方法も検討したが、これは高い。それに店舗が増えるに伴い、本社側の回線もどんどん増えていくことになる。インターネット利用は経済的だが、セキュリティと通信速度の面で難しい。結果的に採用したのはフレームリレーというネットワークを利用したシステムだ。
詳しいことはよくわからないが、これだと通信費も割安でWAN環境が成立する。DDIに申込みを済ませ、電話屋さんで電話加入権を購入、手続き関係は終わった。続いて、信頼性の高いデータベースサーバーマシンとフレームリレー対応のルーターを購入して、「鬼怒川店」と「本社」間でのテスト運用という順番になる。
会社を設立したとき、PCは1台だけだった。「鬼怒川店」がオープンして、フロント用のPCを用意して2台の間でLANを組んだ。「本社」オフィスを構えた時、「鬼怒川店」との間でダイアルアップだがルーターを設置してWANの環境をつくった。そして、いよいよ本格的な広域のネットワークの構築だ。
ますます複雑になっていくし、お金もかかる。でも、便利な世の中になったものだ。
2000年4月15日 はもらん浅草「発表会」
1月から本社オフィスでスタートした「はもにかラウンジ浅草」。きょうは3ケ月に1度の発表会だった。

 

講師の松田幸一さん、ゲストのヒロ西村さん、受講生の皆さんなど約40人。飲み食いしながらおおいに盛り上がった。皆さん楽しそうで、それが何よりだった。
今年に入ってからというもの、「那須店」や「秋田六郷店」の開業準備などで多忙をきわめており、ほとんどハモニカの練習をする時間もなく、今回も私自身の演奏はまったくの不出来で口惜しい。
仕事がこんなに忙しいのに、ハモニカ教室の裏方や8耐プロジェクトまで抱えてしまい、欲張りすぎだった見通しが甘かった、と思うことも確かにある。どちらも他の大勢の人たちに関係することだから手を抜けない。一日が40時間あれば私のクローン人間が3人くらい居れば、と切実に思う。
しかし、人生なんてこんなもんだ。忙しさは重なるものだ。忙しいからといって、仕事だけにのめりこんでいるとどこかで心のバランスが崩れてくる。自分の好きなこと、意欲を感じられる世界を複数持っていることはとても良いことだと思う。ただ、こうした忙しさのしわ寄せは、結局私自身の睡眠時間に影響してくる。体調管理は間違いなく不十分だ。5月いっぱいで「秋田六郷店」が終われば6月には余裕ができるだろう。数年ぶりにゆっくり旅行でもして、心身ともにリフレッシュしようか。

2000年5月2日 ベンチャーの真実
先日、ある人に「ゴールデンウィークはいつからお休みですか?」と尋ねられた。なんとなくムッとしてしまい休みなんか、ありませんよと答えた。「那須店」のオープン準備やら何やらで、フラストレーションがたまっていたのだ。簡潔すぎる答えを半ば冗談ととられたようだ。似たような質問を繰り返されたので、さらに語気強く言ってしまった。「自分で商売をやっているんですから、24時間、365日、休みなんてないですよ」。
言う必要のないこと、言っても理解してもらえないことを口に出してしまった。時候の挨拶程度の問いかけに、こんな過剰反応をしてしまうこと、それこそがここ数ヶ月の疲労の蓄積の証しだ。
最近、上も下も「ベンチャー、ベンチャー」と騒いでいる。新しいアイデアやビジネスが生れることは、世の中に活力を与えることだから、もちろん良い。既成の組織や生き方に安住せず自己責任で自分の世界を開拓していこうとするベンチャースピリットも素晴らしい。とくにこの日本においては。
しかし、これは総体的なマクロの話しであり、個別のミクロの場面を見れば、ベンチャーなんてけっして夢のような世界ではない。これらがゴチャゴチャになり、無数のバブルを生んでいるように感じられる。
そのことを詳しく述べる時間の余裕はまだないので、端的な言い方しかできないが、ベンチャービジネスを興す当人は孤独である。強制されなくても、睡魔に負けるまでは仕事をしてしまう。食事中も、入浴中も、いつも心のどこかで仕事の段取りのチェックをしている。
だから、「ベンチャー」に憧れ自己目的化しているような人は、おそらく挫折するだろうと思う。当然の困難に直面したとき、その困難そのものよりも、ちっとも幸せな気分になれないことに気づいて、意欲を失ってしまうだろう。悪魔との取り引き。心安らかな時間を売って得られたものの頼りなさに愕然とするだろう。
ベンチャースピリットにも耐久力の強弱がある。モチベーションの強弱と言ってもよい。既存のルールや仕組みの中で悪戦苦闘した結果としての起業なら、単なる憧れではない。世の中の現実にも無知ではないし、困難を乗り越える知恵や道具も携えているだろう。何より、バラ色の成功なんて夢見ていないから、自分なりの充足感をステップにして歩き続けていける。
ベンチャーなんて甘くない、なんて、どこにでもいるようなオヤジみたいな言い方はしたくない。世の中甘くないなんて言い方もしたくない。何もしないで愚痴だけこぼしているような連中よりは、ずっと人生に対して誠実な生き方だと思うからだ。

会社を設立して6年、ようやく「旅籠屋」が事業として成立する見通しが見えてきたに過ぎない私が偉そうに言うのも気が引けるが、20代のアントレプレナー達に言いたい。自分の本音を聞け、自分の本性を見よ、と。潰れて欲しくない。
「那須店」がオープンして早1週間。ゴールデンウィークはほぼ満室。ほんとうに忙しかったが、今つかの間の安堵感を味わっている。世の中はオフモード。電話も来客も減り、ようやく溜まる一方だった仕事の山に取り掛かれる。ゆっくり仕事ができる。心安らか、と言っても仕事に集中できる幸せだ。でも、けっして苦痛じゃない。苦痛じゃないから、私には出来る。

2000年6月13日 アメリカ

アメリカの大学に進んだ息子が1年目を終えて戻ってきている。大学生たちの無軌道ぶりなど、ともに生活してみなければわからない話しをたくさん聞いた。
そうか、そんなに無茶苦茶なのか・・・

私が子どもの頃、ようやく普及し始めた白黒テレビの中には、大きなソファでくつろいでいる上品なパパと、ハイヒールで料理するママと、土曜の夜にボーイフレンドの車でデートに出かけるブロンドの髪の女の子たちがいた。50年代から60年代にかけてのアメリカ、あのホームドラマのイメージは、甘酸っぱい音楽と一緒になって、私のアメリカ観の原点になっている。
その後、ケネディ暗殺があり、ベトナム戦争やヒッピーやウッドストックがあり、その印象はどんどん変っていった。私自身も「おとな」になり、政治や経済のリアルな面でアメリカを見るようになった。音楽の面ではブルースと出会い、夢見るような甘いポップスは、幼稚なものにしか聞こえなくなった。

そんなアメリカに行ったのは、30歳近くになってからのこと。憧れなど失っていたはずなのに、初めての海外旅行だったせいか、まじかに見る異人さんは香水の匂いがして、体型が別の生き物のようで、そばにいるだけで緊張してしまった。町に漂っている雰囲気も日本とは随分違っていた。何もかもが新鮮で、刺激に満ちていて、自由でパワフルで躍動的な印象を受けた。子どもの頃とは別の意味で、また私はアメリカに惹きつけられた。

それから20年近く、仕事を含め、何度もアメリカに行った。モーテルをお手本にしたロードサイドホテル事業を手がけるようにもなった。合理的だけど不合理。新しいけれど保守的。親切だけれど不親切。豊かだけれど貧しい。少しずつ多様なアメリカを知るようになった。

この1週間、車で「鬼怒川店」「那須店」「秋田六郷店」を泊まり歩いた。その道中、ずっと山下達郎や竹内まりあの曲を聞いていたのだが、彼らの曲はずっと昔の夢のアメリカの音に聞こえる。忘れていた懐かしさがこみ上げてくる。しかし、その気持ちが収まる場所を見つけられない。
あのホームドラマは一時期だけの蜃気楼だったのか。いや、そもそもブラウン管の中の幻想だったのか。甘いポップスもCMソングのようなものだったのかもしれない。もちろん、私の10代や20代はあの世界とは無縁なままに過ぎた。
しかし、豊かで、美しくて、楽天的で、みんなが未来への希望を共有している雰囲気。それは、かけがえのない「若さ」や「青春」のイメージと重なって、「いつか行けたかもしれない場所」として心の拠り所になっていた気がする。

息子から聞いた粗野で、傲慢で、自堕落な若者たちの実態。結局はすべて「あらかじめ失われた恋人たち」だったのか?
なんとなくつまらないぞ。夢を見させてくれないアメリカなんてつまらないぞ。

2000年7月20日 最近、頭にきたこと
「那須店」と「秋田六郷店」のオープンから一息つく間もなく、急遽決まった「鬼怒川店」の改修工事と決算の処理に忙殺されている。前者は昨日予定どおり工事が完了したが、後者はまだ作業半ばというところだ。
昨秋の公募増資をきっかけに精度の高い会計処理を行う義務と責任が生じて事務が煩雑になっているということに加え、これをベースに今後の事業計画を策定するための戦略的な分析と判断に時間を要するということなのだ。
というわけで、相変わらずゆっくり日記を書く余裕もないが、最近ちょっと頭にきたことがあるので、書き留めておきたい。

先日、私個人として学資ローンの申込みに銀行に行ったときのことだ。当面必要な額だけを臨機応変に自由に利用したいのなら「カードローン」の方が適しているとのことで、200万円の枠で申し込み手続きを行ったのだが、数日後、見事に断られてしまった。
毎月の役員報酬の振り込みと公共料金の支払いなど、すべてこの銀行の口座を利用しているし、もちろん過去にブラックリストに乗るようなことは何もしていない。たしかに経営者とは言っても会社未だに赤字だし、私個人の年収は同年代の大企業サラリーマンよりはかなり少ないと思うが、それにしても、たかだか200万円の信用も与えられないのかと愕然とした。
後日、別の都市銀行の担当者にこの話しをしたところ、「審査は別のセクションで機械的に行うので、個別に要素を加味して判断するのは難しいのですよ。勤続10年以上のサラリーマンなら通る可能性が高かったのでしょうが・・・」ということだった。

審査基準の判定を単純化して、手間暇のコストを節約しなければならない事情はわかる。しかし、それは、リスクをとるかどうかの判断を省略していることでもある。リテールバンクを標榜する銀行の実態を垣間見た気がした。ないものねだりをするつもりはない。しかし、正直なところ、ひじょうに不愉快だった。

銀行で腹の立った記憶といえば、6年前にも忘れられないことがあった。15年を越えるサラリーマン生活にピリオドを打ち、株式会社 旅籠屋本店を設立しようとしていた時のことだ。資本金として集めた現金をどこかの銀行に振り込み「保管証明書」を発行してもらい登記所に提出する必要があるのだが、サラリーマン時代一貫して給与振り込み先にしていた銀行で門前払いをくらってしまった。

担当者いわく「個人事業から法人なりする場合なら可能なのですが・・・」。「宿泊事業のように、初期の設備投資の必要な事業の場合、個人事業を経由して法人設立という方が不自然ではないか。そもそも、借入れの申込みではなく、預けたお金の保管照明を求めているだけなのだから貴行には何のリスクもないではないか」と主張したが、再検討の機会は与えられなかった。

前者は三和銀行・浅草支店、後者は第一勧業銀行・西麻布支店でのことである。
ベンチャー企業の経営者なら誰しも銀行であれ、取引先であれ、顧客であれ、周囲に軽んじられ信じてもらえない悔しさを経験している。そういう時に門前払いにせず真摯に対応してくれる相手の存在はほんとうに嬉しいものだ。そういう企業や個人とともに成長していきたい、いつか恩返しをしたいというのは自然な感情だ。
企業の経営者として、判断は冷静かつ合理的でなければならない。感情に流されるのは好ましいことではない。それを承知で言うが、少なくとも私は一定の合理性を逸脱しない範囲内で、そういう人たちと仕事をしていきたい。それが、損得では計れないベンチャースピリットではないのか。そして、こうしたマインドが企業の発展と矛盾するようになった時、それが起業家の引き時なのだと考えている。興すことと育てることは、モチベーションの異なることだ。
いずれにせよ、私はふたつの苦い経験を忘れることはない。仕方のないことだと水に流すほどお人好しでもクールでもない。必要最小限のつきあい以上の関係は、将来にわたってない。

2000年9月4日 トラブルこそノウハウだが
「旅籠屋」が3軒になって初めての夏休み。おかげさまで、8月の客室稼働率は「鬼怒川店」が95%、「那須店」が94%と、月末の2日間を除いてほぼ満室。「秋田六郷店」も43%と健闘した。1ケ月の売上も1,500万円を超え、前年度の売上高の1/3以上を稼ぎ出した。しかし、こう忙しいと各店の支配人は心身ともにクタクタである。私も「鬼怒川店」「那須店」に3日間ずつ手伝いに行ったのだが、久しぶりに汗だくになって走り回った。
それにしても、こんな忙しい時なのに、というか、こんな時に限って予期せぬトラブルが発生する。

ひとつめのトラブルは、8月5日。「那須店」の脇に立つ電柱に落雷があって、WANのシステムが機能しなくなった。電話線を経由して異常な電気が流れ込んだらしく、本社のサーバーとの間でデータをやりとりするルーター、電話やドアホンをコントロールするターミナルボックス、そしてさらにパソコンやモニターの電源ユニットまでも破壊し、フロントシステムはもちろん電話もつながらなくなってしまった。電話については翌朝にNTTが臨時のTAを設置してくれて通じるようになったのだが、フロントシステムが使えないので、空室状況もわからずチェックイン・アウトの作業もままならない。慌ててルーターとターミナルボックスの新品を購入し、翌々日に「那須店」に駆けつけ復旧作業を始めたのだが、とりあえず支配人所有のノートパソコンを代用できるようにするのにの2日を要してしまった。私のような素人にとって、データ送信のためのルーターの設定は難解にすぎる。ちなみに、完全復旧は、パソコンの修理とモニターの交換を待つことになったため、さらに半月の時間を要することになった。

ふたつめのトラブルは、8月16日。当社のホームページの中身が収めてあるレンタルサーバーの交換にともない、「ゲストブック」への書き込みなどサーバー側にしか保存していないデータの一部分が消えてしまったこと。これは前からバックアップを取っておくようにとのアナウンスがあったのに私が作業を怠っていたために起こったことで人為的なミスである。

みっつめのトラブルは、8月26日。私が常用しているノートパソコンのハードディスクが突然クラッシュしてしまい、そこにしか保存していなかった過去7年間のすべてのメールや最近作成した文書のデータなどがすべて失われてしまったことだ。ハード自体は即日交換してもらったが、データの読み込みは不可能とのことで、取り返しのつかない事態になってしまった。この1週間、OSを含めすべてのソフトをインストールし直し、さまざまな周辺機器が使えるよう設定をし直したが、これだけでもたいへんな作業になってしまった。

「旅籠屋」の経営や運営は、パソコンやネットの活用なくして成り立たない。一連のトラブルは、そのことをあらためて思い知らせてくれた。それは、システムにトラブルがあると業務に重大な支障が生じるということであり、またその危険性は常に存在するということなのである。
後ろ向きに嘆いても仕方ない。トラブルこそ未来への教訓。こういう経験こそがノウハウなのだ・・・とため息まじりに言ってみる。

2000年10月11日 ラジオ出演
ひょんなことから、「FMさがみ」(83.9MHz)という神奈川県のローカルラジオ局の取材を受けた。
社会を支える重圧で疲れている40代以上が夢を取り戻し、楽しんで、みんなで元気になろう、という主旨の「中年ネットワーク」というプログラム。毎週日曜日24時から30分放送されている中高年の応援番組だ。
ユニークなのは、この番組を提供しているオーテックという会社。不登校、引きこもり、高校中退者等の社会復帰を支援するフリースクールを主宰し、あわせてその親たちを対象にさまざまの活動を続けている。「見ないふり、知らないふりをして、思考停止で逃げ回る」人の多いご時世に逆らって地道な活動を続けていることに、素直に敬意を表したいと思う。この会社のサイトをぜひご覧いただきたい。 

さて、インタビューの方だが、問われるままに、ぺらぺらとしゃべった。聴き直してみると、はからずも「旅籠屋の主人、半生を語る」みたいな内容になっていた。録音データをいただいたので、どうぞ聴いてみてください。
前編(10月1日放送分)
後編(10月8日放送分)のふたつ、いずれもリアル・オーディオのファイルでそれぞれ4.4MBあります。
自分の持っている自己顕示欲や幼児性を、私は、否定しない。だって、大なり小なり、みんなそういう気持ちを持ってるんじゃないの。
というわけで、照れくさいけれど、聴いて欲しい。正直言って、そんな気持ちであります。
2000年11月19日 IRセミナー

先日、「IR実践セミナー」なるものに参加した。株式公開を計画している企業を対象に、IRの意味や具体的な方法について、多彩な分野の専門家がレクチャーしてくれるセミナーだ。昼食をはさんで1日8時間、3日間の講習は、かなりきついものだったが、当社の場合、すでにVIMEX市場に登録し、一定のIR活動をおこなっているため、理解しやすく参考になることが少なくなかった。

そこで、あらためて再認識させられたことがある。それは、いったん株式を公開してしまうと企業の経営者はもはや自由に発言をすることが許されない、ということだ。

「旅籠屋」という新しいスタイルの宿を1人でも多くの人に知ってほしい、そういう願いからこのホームページを開設し、同時に「旅籠屋日記」というコーナーもスタートさせた。もう4年近く前のことである。そして、1年前までは難しいことは何も考えず、気分次第で考えていること、感じていることを書いてきたのだが、今はそうもいかない。例えば、こんな人に会ったとか、こんな場所に行ったとか、こんな企業の人と話をしたなどということは、それがどんなに面白い話でもそのまま表に出すことができない。投資家の方々にとって、それが事業の動向を占う重要な情報になってしまうからだ。

ならば、仕事に関係のないことを書けばよいようなものだが、私の日常生活のほとんどが仕事を中心に回っていて、どこへ行っても、誰と話をしていても仕事と結び付けて考えてしまうから、仕事からまったく離れた日記なんて、逆に書く意欲が湧きにくいのだ。

IRの基本は、「隠さないこと」「うそをつかないこと」「タイムリーに語ること」なのだそうだ。自慢ではないが、「旅籠屋」について、私は何一つ隠し立てするようなことはないし、時に無邪気すぎるほど会社の状況をオープンにしてきた。ところが、ホームページでの情報発信は必ずしも全員の目に触れるわけではないから、ここだけで情報発信するというのはフェアでないということになるらしい。

私にとって「旅籠屋」は単にお金儲けの手段としてのビジネスではない。自分自身がこれまでの人生で感じてきたこと、好ましく思うこと、嫌いなこと、すなわち夢や理想を実現したいという気持ちがモチベーションの基本にある。とりわけ、ベンチャー企業にとって、経営者のこうした想いこそが企業の活力やビジョンの源泉のひとつになっているのは自然なことであり、その志が企業の存在価値を決める重要な鍵になるのだと思う。だからこそ、株主や投資家の方は経営者がどういう性格で、どういう感受性の持ち主かということに大きな関心を持つのだろう。

あー困った。感じたことをもっと自由に書きたいのに、それができない。つまらない。ほんとうは、公式発表される「結果」よりも、その「過程」こそワクワクするようなドラマがあるのに・・・って、こういう発言も控えたほうがよさそうだ。
鮮度は多少落ちるかもしれないが、「アンフェア」にならないように注意しながら、血の通った話しをしていこう。

2000年11月21日 失望

今回の政局ドラマ、なにか大きなことが起きるのではないか、とワクワクしながらテレビを見ていたが、私的には最悪の結果に終わってしまった。なんだかんだと言いながら、結局永田町の人たちって、浪花節と権謀術策のグチャグチャの世界で行動を決めることがよくわかりました。古い体質に決別!なんて言ってた加藤さんには、その政策はともかく、合理的な思考方法にもとずいて行動しようとする姿勢に期待していたのに、まったく失望してしまった。欠席を決めた後の派内の集まりで「山崎さんと私のふたりだけは賛成する。皆さんは残ってください」なんて言ってる姿は滑稽そのものだった。「大将ひとりでは行かせない」という型どおりの引止めとウソ涙。20年前のスポコンドラマ・・・正視に耐えなかった。
権謀術策なら、とことん鉄面皮の策士の方がわかりやすくていい。政治信条に殉じるという潔さを演じとおして欲しかった。だいたいアメリカの大統領候補だったら、人前で涙を流しただけで失格の烙印を押されてしまうというのに、あー甘い、甘い、情けない。
これで、ますます日本が嫌いになる若い連中が増えるのだろう。旧来の浪花節的な日本人思考とは一線を画し、しかも幼児性の抜けた「おとな」の政治家は居ないのかね。
マッカーサーが言ってから50年以上も経ったのに、日本人の精神年齢は未だ小学生並なんだろうか。

2000年12月3日 ストリート・ミュージシャン

先日、もし宝くじがあたったらどうしようという話しで盛り上がった。マンションを買うという人、海外旅行に行くという人、私もすっかりその気になって考えたけれど、真っ先に浮かんだのは旅籠屋の株を買って、その資金で新しい店舗をオープンさせたいっていうこと。どうしてもすべての思考が「旅籠屋」中心になってしまう。というわけで、さっそくお金を出し合って年末ジャンボを買ったんだけど、ほんと、当たってくれないかなぁ。
いつも現実に追いかけられているから、夢を思い描くのは楽しい。もう一度生まれ変われたら、サッカー選手兼ミュージシャンになりたいって言ったら「女の子に騒がれたいという下心が丸見えだ」とバカにされたが、それは誤解だ。サッカー選手といっても別に一流選手でなくても良いから、自由自在にボールを扱えてドリブルやパスができたらどんなに楽しいだろうって思うのだ。しかし、これは年齢的にもう叶わぬ夢だ。しかし、もうひとつのミュージシャンならまだ可能性がゼロというわけでもない。これも、プロになるという必要はなくて、要は何か楽器をマスターして、自在に演奏できることにあこがれているのだから練習すればできるかもしれない。
例えば、大好きなブルースハープ。これなら、少しは吹けるし、その気になって練習すれば、ストリートミュージシャンとしてデビューできるかもしれない。きょうも、歩行者天国の路上で、若いハーピストがひとりで吹いてた。とても、輝いて見えた。
誰か、ブルース大好きなギター弾きで、休みの日にストリートでやってみようか、なんて夢見ている人、いませんか。半分マジです。


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バックナンバー(過去の日記)です


「旅籠屋主人のベンチャー日記」 (雑誌「戦略経営者」連載)はこちら

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