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「旅籠屋日記」は、会社の公式見解ではなく、当社の創業者で代表取締役を務めている
甲斐 真の日々の思いをつづった 個人的な日記あるいは随想です。
したがって、書き込みの内容についての責任は会社ではなく、個人に帰します。
ただし、その信条や個性が「旅籠屋」という事業を生み出し牽引する、
重要かつ不可欠な要素であると考え、
あえて「旅籠屋日記」という名称を用い、 「旅籠屋」のサイト内に置いています。
「旅籠屋」という会社やその事業が、
広く社会の中でどのような存在になることを目指しているのか、
その理念とコンセプト、背景にある感性の源泉を汲み取っていただければ幸いです。


こちらもご覧ください。

2020年6月2日 たどり着いた結論


6月に入った。
数か月で 約10億円の資金調達を果たし、平常心で事業を継続できる基本が確保できた。
先が見えなかった利用者の減少もGW頃に底を打ち、回復傾向が明らかになってきた。
壊滅的な影響を受けている宿泊業界で、すぐれて堅実な状況にあると言えると思う。
とりあえずは一安心である。
創業から25年、バブル崩壊や リーマンショックや東日本大震災など、大きな災禍をしのいできたが、今回もしぶとく乗り越えられそうな気がしてきている。
500年、1000年企業を目指しているのだから、この程度の逆風で吹き飛ばされるわけにはいかない。
そのためにも、ピンチはチャンス。
絶好の成長機会として活かしていこうと、業務の見直しに取り掛かっている。

さて、先日来考え続けているコロナの問題。
先日もあるテレビ番組を見て、なんとなく腑に落ちる考えにたどり着くことができた。
そのきっかけは、日本人の哲学者が紹介していたドイツのメルケル首相の3月18日のテレビ演説で語られた以下の言葉だ。

  日常生活における制約は、
  渡航や移動の自由が苦難の末に勝ち取られてきた権利であるという経験をしてきた私のような人間にとり、
  絶対的な必要性がなければ正当化し得えないものなのです。
  民主主義においては決して安易に決めてはならず、決められるのであればあくまで一時的なものにとどめるべきです。
  しかし、今は命を救うためには避けられないことなのです。

言うまでもなく 、この言葉の背景には東ドイツで生まれ育った彼女の切実な経験と歴史認識がある。
そして 、そこから導き出された人間の営みの根本についての哲学がある。
ドイツの人々はうらやましいなと思った。日本のリーダーにもこうした「哲学」を語ってほしいと思った。

間違いなく私の感性や考え方の根底には「個人の自由を大切にしたい、するべきだ」という強い思いがある。
「自由」といってもいろいろある。
日本国憲法の中だけでも、思想・良心の自由、信教の自由、学問の自由、集会の自由、結社の自由、表現の自由など
さまざまな「自由」が明記されている。
ただ、こうした自由の中でも、もっとも基本的で重要なものが「移動の自由」だ、と私も思う。
再び日本国憲法に戻れば、それは居住移動の自由、外国移住の自由、国籍離脱の自由などを含む。

以前にも紹介したが、旅籠屋の「総合ガイド」の冒頭に「気兼ねなく、好きな時に、好きな所に行ける自由」のことを掲げている。
つまり、宿泊施設、少なくとも「ファミリーロッジ旅籠屋」がもっとも大切にすべきことは、その自由を守ることだという信念がある。
そのために、分け隔てなく気軽に泊まれる、すなわち多様性を受け入れるというポリシーがある。
抽象的なきれいごとではない。
ファミリー・カップル・ビジネス・ペット連れなど目的や構成の違い、
年齢・性別・人種、身なりなどの外見や身体的な違い、
言語や文化的習慣などコミュニケーションに関わる違い、
非常識でわがままなクレーマーを含め、性格や考え方の違い、
いわゆる障害と呼ばれる差異を含むすべてに関わる多様性。
いずれも、予断・偏見・先入観にとらわれず多様性を受け入れるということは、それなりのリスクを引き受ける覚悟を持つということだ

ひるがえって、今回の外出自粛要請。
新型コロナウィルス感染の恐怖が強調されるが、少なくとも日本における感染状況を見る限り、
絶対的な必要性があるとは、到底思えない。
命か経済かではなく、感染拡大のリスクを抑えるために人間社会の根本を支える「移動の自由」を制限すべきかどうかという問題ではないか。

ゼロリスクを求めるのなら、そもそもインフラを支えるサービス業など成立しない。
戦争中にも行われなかったほどの移動制限を行う必要性を、この数か月の状況の中で、私は認めることができない。
そんな風潮や風評に流されることこそ、いさめるべきことだという反骨心が湧いてくる。
「自粛警察」の感情的糾弾を甘受し、「ファミリーロッジ旅籠屋」は平常通り営業を続ける。
他県ナンバーだからと石を投げられる人にも宿を提供し続ける。
そのリスクをとりたくないのなら、病院や交通機関や宿泊施設で働く人々は転職を考えるべきだ
職業選択の自由は、もちろんある。

2020年5月12日 示唆に富む言葉たち


嫌いなのに、半ば義務感で何十年も目を通し続けている朝日新聞、毎日毎日30分近くを費やしているので膨大な時間をとられているわけですが、
新型コロナに関する以下のようなインタビュー記事に出会うと嬉しくなります。

< 社会を覆う「正しさ」 >(5月8日、磯野 真穂さん)、<私の人生、不要不急?>(5月12日、養老 孟司さん)。

とても示唆に富んだ内容なのでぜひ一読いただきたいのですが、有料記事なのであえて要約させていただくと、およそ次のようなことが述べられています。

医療人類学者の磯野さんは、ゼロリスクを目指す「道徳的な正しさ」は、遠くの人にはエールを送りながら近くの人を排除する矛盾を生んでおり、
同時に 「安全な人や集団」と「危険な人や集団」を分ける「村八分」を招いていることを指摘し、リスクとの寛容な付き合い方を提言されています。

解剖学者の養老さんは、感染拡大抑止のなかで、「不要不急」かどうかということが判断基準として言われているが、人生は本来、不要不急ではないのか。
ヒトとウィルスは共生していくしかないことを含め、要は各人の問題であり一元的な価値基準で善悪が断じられることへの疑問を遠回しに述べられています。

緊急事態宣言が発出されて以降の自粛が功を奏し、ようやく感染拡大の勢いが弱まり、宣言解除や自粛要請の段階的縮小のニュースが増えてきました。
「旅籠屋」 は、手洗いの励行、マスクの着用、換気の徹底、消毒薬の常備、フロントへのスクリーンの設置など
感染防止に努めながら全店営業を継続してきましたが、4月・5月とも売上高は前年に比べて7割減、6月末の決算では、創業25年目にして初めての減収、
11年ぶりの赤字は免れない状況となっています(詳しくは、先日発表した「第3四半期報告書」や「決算短信」をご覧ください)。

休業しないことについては、「こんな時に営業を続けているのはけしからん!」という抗議の電話をいただくこともあったのですが、
その悔しさや迷いや矜持について、旅館経営者からの視点で率直な思いを述べられているエッセイに出会い、勇気づけられたりしました。
<コロナで揺らぐ、宿泊施設の存在意義>(4月28日、永山 久徳さん)

「旅籠屋」は、帰宅困難な医療関係者などの宿泊に活用いただいたり、テレワークのためにデイユース利用を受け入れたりして喜ばれているのですが、
事の本質は目先の社会的要請に合致して世の中の役に立っているかどうかではないように思うのです。
そうでなければ、パチンコ店やライブハウスなどの施設や、仕事以外で旅に出る人は自分勝手と責められ一方的に切り捨てられることになります。
新型コロナウィルスのリスクばかりが強調されますが、身の回りに感染症はいくつもありますし、ゼロリスクを言うなら車のような人殺しの道具には乗れないし、
「得体のしれない」他人と共存したり、文化も風習も異なる知らない土地への旅行などすべて排除すべきことになってしまいます。

世の中のムードにあわせていれば無難ですし、被害者としての立場に徹していれば気楽ですが、それは違うだろうという気がしてなりません。
自らの利益だけを考えるわがままを許すつもりは微塵もありませんし、感染拡大抑止に努めることは当然ですが、
そこから先は、一定のリスクを引き受けながら、互いに寛容な姿勢で、通常通りの生活や事業を続けていく、人間の社会はそんなものだと思うのです。
言い換えれば、多様性を受け入れることによってそれぞれの自由を守り通すということです。

もう少し、考えます。

2020年5月8日 論点整理


「ファミリーロッジ旅籠屋」の「総合ガイド」の冒頭に旅は、自由。」と題して、以下のような文章を載せています。

 気兼ねなく、好きな時に、好きな所に行ける。
 当たり前のことのようですが、今世界中で、こんな自由に恵まれた人々がどれだけいるのでしょう。ほんの一部に違いありません。
 心と体の健康、ある程度の経済的ゆとり、車社会のインフラ、個人を大切にする平和で安全な社会。
 これらの条件がそろわないと得られないことだからです。
 50年前はどうだったのでしょう。50年後はどうなるのでしょう。
 長い長い歴史の中で、無数の人たちがあこがれ、願い、ようやく手にした夢のような時代と場所に私たちは生きています。

当社では、新入社員研修の中で、必ずこの文章を読み上げながら会社のポリシーを説明します。
しかし、「50年前はどうだったのでしょう。50年後はどうなるのでしょう」という問いかけに対し、つい数か月前までは「?」という反応が通常でした。
今あるものは昔から当たり前にあり、これからも続いていくはずだ、そのように考えてしまう人が多いのです。

過去を振り返ってみても、誰もが気軽に海外旅行に出かけられるようになったのは、つい数十年くらい前からのことなのです。
例えば、査証(ビザ)、つまり入国許可証。
ご存知の通り、本来、他の国へ渡航する際、その国が発行するビザの発給を事前に受けなければなりません。
これを省略してパスポートだけで他国に入国できるのは、ビザ免除の取り決めがなされている場合だけなのです。
私が初めてアメリカに行ったのは1987年12月のことでしたが、その時は、事前にアメリカ領事館にビザ発給の申請を行った記憶があります。
調べてみたら、日本人に対して90日以内の観光や商用旅行についてビザ免除が認められたのは、ちょうど1年後の1998年12月からのことだったようです。
ちなみに、1年ほど前、日本のパスポートが世界一強くなった、つまり、日本がビザなしで最も多くの国(約190か国)へ渡航できる国になった
というニュースが報じられていました。

そして、現在と未来についてです。
数か月前には想像もできなかったことですが、今、世界中の国々が鎖国状態で、原則他の国へ旅行することができなくなっています。
加えて、 国内でも県をまたぐ不要不急な旅行は自粛することが要請されいます。
「50年後」どころか、数か月も経たないうちに「気兼ねなく、好きな時に、好きな所に行ける」自由は失われてしまいました。

この不自由な状況については既視感があります。 1973年の第1次オイルショックの時のことです。
イスラエルとアラブ諸国による第4次中東戦争の影響で原油価格が急騰し、世界中がパニックになりました。
日本ではトイレットペーパーの買い占め騒ぎが有名ですが、それ以外にも以下のような出来事がありました。
 ・テレビ深夜放送の休止。
 ・デパートのエスカレーター運転中止。
 ・地下鉄照明の間引き。
 ・ネオンサインの早期消灯。
 ・野球のナイターの開始時間の繰り上げ。
これらは、節電による石油消費量の減少を直接ねらったことですが、あわせて、不要不急な娯楽は控えるべきだというキャンペーンがはられました。
その結果、起こったのが、以下のようなことです。
 ・ガソリンスタンドの日曜日休業。
 ・自動車メーカーによるモータースポーツからの撤退。
仕事なら良いが、マイカー旅行は自粛しよう、という呼びかけがメディアで叫ばれ、世論も同調、これを守らない人は自分勝手だと批判されました。
当時、大学生であった私は、こういう感情的な同調圧力に強い違和感を感じたことを覚えています。

このような状況がいつまで続いたのか、よく覚えていませんが、オイルショックが与えた影響はきわめて大きく、
経済は戦後初めてのマイナス成長となって高度経済成長が終焉、省エネ意識が高まっていきました。
すでに1960年代から公害問題など経済成長のひずみが顕著になり、「モーレツからビューティフルへ」というテレビCMが話題になったりしていたのですが、
多くの人の意識において楽天的な未来志向が冷め、根底から価値観が変化していったのはこのオイルショックが契機だったように思います。

話しは変わりますが、最近、高齢者がとかく否定的に語られることがあります。
自分たちの目先の利益ばかり考えて問題の解決を先延ばしにしてきた。そのツケを若い世代に背負わせている。
しかし、長く生きてきたことの財産もあります。それは、世の中のさまざまな様子を実際に体験してきたことです。

私は戦後生まれですが、それでも傷痍軍人や防空壕など、戦争の臭いを鮮明に覚えています。
そして、ほんとうに皆が貧しく、生きて行くのに必死だった様子。そのせいもあって公衆道徳に欠け、列を守らず、タバコやゴミを捨てる人が多かったこと。
国産品は粗悪で世界でバカにされていたこと、日本人は粗野で醜悪な「イエローモンキー」だと軽蔑されていたこと。
いっぽう、デモや騒乱が頻発し、先日の香港のような状況もあったこと、けっして政治や社会に無関心な時代ばかりではなかったのです。
中国人観光客の爆買いや東南アジア諸国のエネルギーあふれる様子は、 「エコノミックアニマル」と揶揄されていたかつての日本の姿です。
感染症の流行については、衛生状態がずっと劣悪だったし、情報も限られていたため、今回のコロナ禍ほどの騒ぎは記憶にありませんが、
小児麻痺(ポリオ)は身近でしたし、日本脳炎への警報もよく耳にしました。
あとは、1968年から1969年にかけて流行した香港風邪。調べてみたら、死者は世界で50〜100万人、日本でも2千人を超えたそうです。
未知のウィルスによるパンデミックですから、今回の新型コロナウィルスとまったく同じですが、死亡者は数倍も多かったわけです。

私を含め、 高齢者はこのように様々なことを体験しています。
ですから、新しい出来事に対しても耐性を持っているはずで、パニックにならず、冷静に判断して経験を活かさなければなりません。
若い人以上に感情的になったり、逆に個人的な達観に逃げ込んで無関心を装う人もいるようですが、それではいけません。
こんな時こそ、落ち着いて状況を俯瞰し、知恵を出すべきだと思うのです。

話しが本題から離れてしまいました。
考えなければならないのは、コロナ禍の中で、どう生きていくべきか、何を判断の基準にすべきかということでした。

生命の安全と個人の自由の選択を迫られれば誰でも前者を選ぶ、と誰かが言っていました。
ほんとうにそうでしょうか。
そもそも、こんな二者択一の設問に対して答えを求めることに問題があるように思います。
生きている限り病気や事故のリスクはあるし、社会生活を営む以上完全な個人の自由などというものもありません。
考えるべきことは、以下のことを短期と長期に分けて整理してみることではないかと思います。

1.感染拡大抑制の目的は、医療崩壊の防止なのか、感染者を少なくすることなのか、死亡者を最小限にすることなのか。
2.経済的なダメージを最小化するために最適な方法とは何か。
3.従業員(施設の運営者)と、お客様(宿泊者)の感染リスクはどう異なるのか。
4.会社を存続させ、ダメージを最小化する方法とは何か。
5.そもそも宿泊施設が存在する社会的意義とは何か。

すっかり回り道してしまいましたが、まだまだ考えます。

2020年5月6日 コロナ対策の基本戦略

じつに様々なニュースが飛び交っていますが、私が一番なるほどと思ったのは、感染医の高山義浩さんがfacebookに投稿していたこの分析です。

1番目は、都市封鎖を含めて徹底的に感染を限られた場所や地域に抑え込んで蔓延を防ぐ「封じ込め路線」、
その例として、中国、韓国、台湾、ベトナム、タイ、マレーシア、シンガポール、ニュージーランド、オーストラリア、アイスランド、ハワイ州が挙げられています。

2番目は、感染者が急増して医療崩壊が起きない程度に感染拡大のスピードを抑える「コントロール路線」、
その例として、イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、イタリア、日本が挙げられています。

3番目は、集団免疫による終息を信じ、最小限の感染抑制策しかとらずに感染拡大を容認する「拡大許容路線」、
その例は、スウェーデン、ブラジル、(方針変更前の)イギリスとオランダ。そしてアフリカなどの発展途上国もやむを得ずこの路線を採りつつあるようです。

経済活動の抑制、すなわダメージの大きさで見れば1番>2番>3番
予測される死亡者の数で見れば、逆に、3番>2番>1番ということになるようです。
これは、すっかり有名になったジョンズ・ホプキンス大学によるシミュレーションでも示されていました。

もちろん、これら3つの路線=戦略には、以下のような前提条件があります。

ひとつは、感染者の大部分が無症状あるいは軽症で、致命率(致死率)が1.5〜3%以下にとどまること。
エボラ出血熱のように、致死率が50%を超えるような感染症の場合、3番目の路線を採ることは許容されないでしょう。

ふたつ目は、感染者は必ず抗体を持つようになり、その後は一定期間再感染することも、他の人へ感染させることもないだろうということ。
この点が未だ明確になっていないことが問題を複雑にしています。 3番目はもちろん、2番目の路線も、こういう期待を前提にしているのですから。

みっつ目は、いずれ、ワクチンや特効薬が開発されるに違いないと考えられていることです。
この期待が早期に実現しないとすれば、1番目の「封じ込め路線」は、いつまでも規制を緩めたり、鎖国を解くことが出来ず、
感染者が少ないだけに終息にもっとも長い期間を要し、経済的にも狭い範囲の内需に頼るしかなくダメージも大きくなります。
逆に、3番目は医療崩壊を甘受するわけですから際限なく死者が増え続け、社会全体が崩壊してしまうことになります。

PCR検査の数や規制の程度など、断片的な意見や批判が目立ちますが、こうして全体的な戦略を整理して眺めてみると、
医療体制の基礎体力、貿易依存度や内需経済の大きさ、国や自治体などの統治能力、人々の死生観や価値観など、
それぞれの国や地域で対応が異なるのは当然で、答えは一つではないことがわかります。

日本の場合、医療体制は充実しているものの、ICU病床や感染症対応力には脆弱な面があるようです。
経済面でいえば、もちろん貿易依存度は低くないのですが、一定の内需があり、ある程度は鎖国状態に耐えられるのかもしれません。
そうしてみると、2番目の「コントロール路線」を採っていることは、最適な選択だったように思えてきます。
しかし、これも、「集団免疫」の効果が発揮され、ワクチンや特効薬の開発が近い将来実現しないとジリ貧になってしまいます。
もちろん、そうでなければ、1番目の「封じ込め路線」も、3番目の「拡大許容路線」も結果は同じになってしまいます。

このように、現時点では、終息への道筋が見えないため、路線の優劣の判定もできませんし、 政府や自治体からの要請に対する対応も決めにくいのです。
しかし、個人としても、会社としても、今この時の方針を定めないわけにはいきません。

ところで、以上のこととは別の次元の判断基準はないのでしょうか。

その一つが、個人の自由を尊重するかどうかという問題です。
その面で考えると、、3番>2番>1番ということになります。

いきなり、感覚的な話しになりますが、私個人は、ここで紹介されているパリ在住の哲学者の心情に共感を覚えます。
でも、個人的な感覚ではいけません。
さらに考えてみます。
2020年5月5日 考えるチャンス

前回の日記から1か月近くが経った。
4月7日に緊急事態宣言が発出され、感染者は累計で15,000人を、死亡者も500人を超えた。

珍しく毎日欠かさずテレビのニュースを見て、ネットでさまざまな人の意見に触れている。
きょうも、NHKのBS1で、世界を代表する3人の有識者の提言を聞き、武漢のレポートを見た。
それぞれに一理あって、考えれば考えるほど迷ってしまう。

ひとりでも多くの命を救うのか、経済活動を維持してすべての人たちの生活を守るのか。
グローバリズムの機能停止と国家の復権は進歩なのか、後退なのか。
公共の秩序か、個人の自由か。独裁と民主主義は二者択一なのか。

これほど根源的な問いを突き付けられる状況は数十年ぶりのこと。
自分なりに考えを整理しないと、経営者として明確な方針を責任を持って示せない。
なぜ、店舗の営業を自粛しないのか。あえて社内懇話会を開催するのか。
というわけで、数日間、深く考え抜いてみようと思う。

というのも、先月は資金繰りの準備に努めて、10億円近くの資金確保の目途が立ち、心の余裕が生まれたからなのだ。
ここで思考停止に陥ってはいけない。
2020年4月12日 自粛と事業継続の狭間

新型コロナウィルスの感染拡大がなかなか収まらない。
数理分析にもとづく予想どおりであり、少なくとも数か月は自粛を緩める状況にはならないと覚悟している。
毎月の客室稼働率を公開しているが、2月後半から影響が顕著になり、3月は約1/3減少、4月は半減する見込みである。

昨年12月に老母を連れてドイツのクリスマスマーケットを訪ね、2月中旬にはエジプトのナイル川クルーズに出かけた。
今はすべて催行中止になってしまっている。
ぎりぎりのタイミングで幸運に恵まれたわけだが、半年前、世界中の国々が鎖国状態になるなんて、誰が想像したことだろう。
最近は国内旅行も自粛ムードで、私も15年来続けてきた「ハーモニカ教室」の合宿旅行が中止になり、楽しみにしていたバイクツーリングも延期した。
本社でも在宅勤務を認めているため、オフィスは閑散としている。
電車通勤の社員が集まる職場は、もっともクラスターになりやすい場所に違いない。

ただ、日本国内に限って言えば、新型コロナウィルスの感染者は現時点で累計7,000人足らず、死亡者数は100人を超えていない。
検査を絞っているため、実際の感染者はずっと多いに違いないが、
厚生労働省発表によれば、通常のインフルエンザの感染者(毎年10,000,000人)と死亡者数毎年(約10,000人)と比べてきわめて少ない。
こうしてみると、騒ぎ過ぎ、恐れ過ぎ、ここまで経済を委縮させることの合理性に疑問を感じてしまう、というのが私の率直な印象である。
予防法も治療法も確立されていない未知の病気であり、外国の状況を見ると、こうした見方は無責任な楽観論なのかもしれないが、
批判されることを承知で言えば、このままの状況が数か月も続けば、中小企業や自営業者の多くは倒れてしまう。
「病を治して病人を殺す」、それで良いのか。

とはいえ、経営者の務めとして、リスクに備えるため少しでも現預金を増やしておこうと金融機関に対し、積極的に融資の申し入れを行っている。
先々の心配とはいえ、資金繰りのことを考えるなんて、十数年ぶりのことだ。でも、 「備えあれば憂いなし」である。
20年前、旅籠屋にお金を貸してくれる銀行なんてなかった。
堅実経営が評価され、少しずつ信用力が増し、7年前からは代表者保証もなく、今では年0.5%未満の固定金利で融資いただけるようになっている。
ありがたいことだ。
とにかく、従業員の生活を守り、地域を支え、たくさんの利用者の必要に応え続けなければならない。

幸いなことに、店舗の支配人を含め、社内で感染者が出たという報告はない。
でも、みんな不安を抱え、心配している。
そんな中、今週は「長者原SA店」のオープン準備に皆で出かける。
そして、引き続き、東北各店の支配人を集め、恒例の「社内懇話会」を開催する。
延期してはどうか、との意見もあったが、ウィルスとの戦いは長期化し、常態化することを考えれば、重要な通常活動は維持継続するべきだと決断した。
マスクや手洗いはもちろん、室内でのミーティングは窓を開け放して行い、食事会も屋外で行う。
リスクを最小限に抑える努力をしながら、やるべき大切なことはやり続けるべきだと考えた。
結果としてこの判断が誤りであれば、経営者の責任が問われることになる。当然のことだ。

テレビも新聞もコロナの話ばかり。
いつのまにか、気が滅入って「コロナうつ」にかかりそうになる。
だから、昨日も今日も、いつものように隅田川テラスをひとりで走った。
先週から、ジョギングする人の数が目立って増えている。
こんな時こそ、体を動かし、汗をかいて、心の元気を保つ。

何百年も続く東京の老舗企業は、明治維新も、関東大震災も、戦争も乗り越えて今に至っている。
もっとも恐れるべきことは、いつも「心の中」にある。
2020年3月2日 新型コロナウィルスの大騒ぎ


新型コロナウィルスのニュースで、連日大騒ぎである。
海外からの宿泊者が2%前後ときわめて少ないため、直接の影響は小さいのだが、それでも国内旅行を控える動きも顕著になっており、全国の店舗でキャンセルが相次いでいる。
昨年夏に毎週のように襲来した台風の影響に加え、こうした外的な要因による旅行客の減少は悩ましい。
しかし、これは、我々にはどうしようもないことであり、一喜一憂することなく、いつもと同じように客室を整え、全てのお客様を笑顔でお迎えすればよいと割り切っている。
それにしても、日本人は、横並びの自粛に走る人が多いような印象を受ける。

26年前、旅籠屋の創業を計画していた時に受けたアドバイスを思い出す。
「アメリカのMOTELのような宿泊施設を日本に? たしかに、アメリカにはあんなにたくさんあるのに、日本にはありませんよね。喜ぶ人はいるかもしれませんね。
でも、ビジネスとしては、うまくいかないかもしれませんよ。だって、ガソリンスタンド、コンビニ、ファーストフード、ファミリーレストラン、ショッピングセンターなど、
ロードサイドで誕生したビジネスはすべて日本に導入され、これだけ巨大になったでしょ。うまくいくなら、どこかの企業が、とっくに始めているはずだと思いませんか?」
日本人的な発想である。みんながやってるなら安心、誰もやっていないならやめとこう。 乱暴に言えば、アメリカ人は反対かもしれない。
誰もやっていないなら、やってみよう。みんなやってるなら、やめとこう。

政府は一斉に学校の休校や規模の大きなイベントの自粛を求めている。これに対する反対意見も多いようだが、オリンピックの中止や延期を避けるという目的もあるのだろうし、これについてここで批判するつもりはない。
私が違和感を持つのは、個人個人が風評に惑わされ、半ば恐怖に駆られて判断力を失って感情的になっていることだ。
店頭からは マスクや消毒薬だけでなく、ティッシュペーパーやトイレットペーパーや紙おむつまでもが消えている。再びの光景である。

自粛を求めるのは禁止する法的な根拠がないからなのだが、これに従う自治体や企業、そして個人が相次いでいる。
みんな、 「何かあったらどうするんですか? 責任をとれるのですか?」と言われるのを恐れているのである。
正論を言っているつもりかもしれないが、本音はそこにある。反論を封じ、異論を避ける。
考えてみたら、そんな言い方は無茶苦茶である。卑怯である。

生きている限り、何らかのリスクを負って生きている。大勢の人間がひしめき合って生きている現代社会はリスクの上にしか成り立たない。
いや、現代社会に限らない。古今東西、生きるということはそういうことだ。
昔放映されていた損害保険会社のテレビCMを思い出す。YOUTUBEに残っていた。これである

新型コロナウィルスは、感染力が低くないようだ。でも、重症化する可能性も低そうだ。
かつて流行した新型インフルエンザと比較しても、過度に危険視する必要はないのではないか、それが、現時点での客観的かつ科学的な見方のように思う。
自主的に通勤や通学を控えたり、用品を備蓄したりすることを否定しない。自己判断でどうぞというだけだ。
私の場合、睡眠と休養をとるように心掛け、できるだけ人ごみを避けたりするだけで、あとは日常どおり。
ただし、宿泊業を営む立場としては、一般の人以上のリスクを引き受けてでも、ぎりぎりまで店舗の通常営業を維持し続けるよう覚悟を決めている。
医療関係者や自治体関係者など公益性のある仕事に従事している人間はもちろん、誰だって自分の持ち場を守る、
社会人としての責任やプライドって、こういう時のためにあるんじゃないか、と私は思う。
その意味で、勝浦の「ホテル三日月」の人たちには心からの敬意を抱いている。
いろいろ批判されている「ダイヤモンド・プリンセス」のスタッフに対しても同じだ。もちろん、船長は最後まで船にとどまったはずだ。
当然のことを行うことは、なかなか難しい。みんな、ヒステリックに魔女狩りしている。自分第一なのはわかるけど、人のせいにばかりするのはやめないか。
自分たちの身を守ることを冷静に考え、静かに行動すれば良いのだ。

さ ぁ、必要以上に、ワイドショーやニュースを見ないようにしましょう。
治療法がない以上、検査だって、受けたって仕方ない。
無用な心配をせずに、心を落ち着けて体調を整えるように心がければいいんです。

2019年12月26日 ラグビーから学んだこと


12月に入ったと思ったら、今年もあと数日。ほんとうに師走の時の流れははやい。
今年も、、「月刊 ホテル旅館」(柴田書店発行)の1月号に寄稿させていただく機会をいただいた。その原稿を以下に転記します。

年頭所感 「2020年の展望と課題」    ラグビーから学んだこと

毎年同じ書き出しになりますが、日本にもアメリカのMOTELのような車旅行者が誰でも気軽に利用できる宿泊施設をと願い「ファミリーロッジ旅籠屋」を誕生させて25年、全国各地70ヶ所以上に直営店を展開するに至りました。春には4番目の高速道路内店舗も実現する予定です。日本初で唯一のMOTELチェーンとして、少しずつ実績を築いてこれたことはとても嬉しく誇らしいことです。
昨年の本欄で、「流れにもムードにも乗りません」と題して、そのユニークな特徴を紹介させていただきました。
 1.リピーターが60%以上。
 2.予約サイトへの依存率は15%未満。
 3.支払いはあえて現金のみ。
 4.出店は需要の小さなエリア中心。
 5.海外居住者がわずか1〜2%。
 6.人間性本位で支配人ペアを採用。
 7.収益や効率の最大化を追求しない。
これらは、創業時から掲げている「シンプルで自由な、旅と暮らしをサポートする」というモットーにしたがって歩んできた結果と言えます。

昨年の秋、ラグビーワールドカップが開催され日本中が熱狂しました。
日本代表の快進撃やゲームの面白さだけではなく、背後にある基本的精神に心動かされた面があったように思います。
清々しい風が吹き抜けた気分になりましたが、ラグビー憲章というものがあり「品位、情熱、結束、規律、尊重」という言葉がうたわれていることを知って納得しました。普遍性のある理念や哲学が明確に示され、試合以外の部分でも一貫して体現される、だからこそ多くの人に伝わったのでしょう。翻って当社の場合、創業前から掲げている理念は以下のようなものです。

●2つの事業目的。
 1.旅行者が、気軽に安心して泊まれる自由で経済的な宿泊施設の提供
 2.地域に調和する資産活用事業の創出と堅実で自立した生活基盤の確保
●4つのコンセプト
 1.素泊まり・・・宿泊特化の宿
 2.街道沿い・・・ドライブに便利な宿
 3.小規模運営・・・家族運営の宿
 4.チェーン展開・・・どこでも安心の宿
●4つのポリシー
 1.求められないサービスはしないのがサービスと割り切る。
 2.快適にお泊りいただくという基本は譲らない。
 3.あらゆる面でシンプルであることの合理性を追求する。
 4.周囲への調和と環境負荷の低減を図る。

これらは、創業前にアメリカを旅しながら感じたMOTELの本質と日本で展開することの社会的意義を考え抜いて導き出したことです。その後、数多くの困難があり、分かれ道があり、迷いもありましたが、根底にある強い願いと掲げた言葉により、ぶれずに進んでくることができたように思います。コンセプトやポリシーに一定の耐久性が、言い換えれば普遍性があったということだと自負しています。
しかし、事業を続けながら気づかされたこと、新たに考えなければならなくなったことはたくさんあります。

●車社会のインフラとして全国展開を進めれば需要の小さい地方への出店が増えてくる。また、建築費の高騰により土地活用の利回りが低下しており、出店が困難になる可能性がある。こうした収益性の問題をどう考えるか。
● 店舗が増えるに伴い、質を標準化し、維持していくことが困難になる。また、多様な支配人社員に運営を委ねることによるリスクも高くなる。こうした人的な問題をどう解決していくのか。
●少子高齢化と車離れもあり国内のマイカー旅行は減少する見通しであり、不安定なインバウンド客に依存せず安定的に宿泊施設を維持継続していくことは可能か。
●オーバーツーリズムの問題を含め、そもそも地域社会の維持と観光はどのように調和するべきか、「世界観光倫理憲章」で提起されている課題を含め何を指針とすべきなのか。
●残念ながら、日本では当社と同様の業態のMOTEL事業を担う会社が存在しない。切磋琢磨して事業を深化させ、広く社会に問題提起していくには同業他社の存在が欠かせないと思うが、その欠落をどう埋めていくのか。
●シンプルで自由な旅をサポートするMOTELのような宿泊施設は500年も1000年も続けていく価値と可能性があると考えるが、事業の承継や継続性をどのように実現していくのか。

ラグビーワールドカップを見ながら、あらためて普遍性のある理念や哲学とこれを共有し体現していくことの重要性を再認識しました。
お気づきかもしれませんが、先に紹介した当社の理念は、切り口も次元もまちまちで断片の羅列という面を否定できません。
創業から25周年を迎え、今一度深く考えて見直しを図り、「旅籠屋憲章」とでもいうべき言葉を明確に示さなければと考えているところです。
2019年10月18日 ラグビーWカップ

9月20日に開幕した「第9回 ラグビーワールドカップ」の熱戦が続いている。
日本戦に限らず、テレビで放映される試合をすべて観戦し、自分でも驚くほど盛り上がっている。

昔々、高校に入ってすぐ、私は数か月間だけラグビー部に所属していたことがある。
ところが、根性主義の時代のこと、試合はもちろんミニゲームにも参加できず ただ走らされるばかりの練習に嫌気がさして退部したので、細かいルールもわからないまま、トップリーグも見に行ったことがない。
いわゆる 「にわかファン」のひとりである。

でも、ラグビーには私の心を震わせる何かがあって、昔、国立競技場をにぎわせた早明戦や早慶戦を見に行って大声をあげたり、その後も日本代表の「善戦」に心躍らせたり、4年前のイングランド大会で南アフリカを破った「スポーツ史上最大の番狂わせ」は中継を見ながら泣きそうなほど感動した。
だから、今回の大会はとても楽しみにしていたのだが、まさか日本が予選リーグを全勝で勝ち抜けるななんて想像もしていなかった。
開幕のロシア戦、アイルランド戦、サモア戦、スコットランド戦、どれもこのまま離されて負けるのかなぁ、逆転されるのかなぁ、半分腰を引いて応援していたのだが、こんな結果になるなんて、嬉しすぎる。

しかし、各国の試合や関連のニュースを見ながら、こみあげてくる感動の源泉は、日本代表の活躍だけではなく、このスポーツが本質的に持っている別の部分にあることに気づかされた。

ルールであるとはいえ、不利な判定に対し感情的になるプレイヤーがいないのはなぜ?
一方的な負け試合なのに、最後の最後までふてくされることなく全力でプレイするのはなぜ?
ノーサイドの直後、さっきまで格闘していた相手と笑顔で称えあうことができるのはなぜ?
試合後、なぜ相手チームのロッカーまで出向いてラフプレイを詫びにいき、それに拍手で応えるのはなぜ?
試合が中止になったのに、現地に残り、ボランティア活動に参加するのはなぜ?
何年も苦しい練習を続けてきたのに「自然災害の現実に比べれば、ラグビーなんてささいなこと」と言えるのはなぜ?
応援しているファンが相手チームの国歌を歌い、試合後、穏やかに相手の試合ぶりをほめることができるのはなぜ?

今回は解説にまわっている五郎丸選手が4年前の南アフリカ戦を振り返り、次のようなことを話していた。
「あの劇的な勝利の後、我々は歓喜のあまり選手同士で喜びを爆発させていました。
しかし、すぐに南アフリカの選手が近づいてきて、勝利をたたえてくれたのです。
その瞬間、ラグビーが実現しようとしていること、求めていることは別のところにあることに気づかされ恥ずかしくなりました。」

ラグビー憲章 を読んで、すべてのことが腑に落ちた。
そこには、 このスポーツの根底にある理念や哲学、大切にすべき精神が、次の5つの言葉に集約されて明記されている。

品位(Integrity)。
情熱(Passion)。
結束(Solidarity)。
規律(Discipline)。
尊重(Respect)。

もちろん、ウルグアイ選手の泥酔暴行事件や、スコットランド協会の「日本戦を中止すれば法的手段に訴える」という、残念な例外もあった。
ちなみに、後者については、ヨーロッパの人たちは、台風や地震や津波の恐ろしさを経験したことがないのだな、と思った。
つくづく、日本に住む我々は、大昔からこうした自然の脅威にさらされ、耐えることによって、生きてきたのだなぁ、と思った。

こんなラグビーの世界に惹かれていると、ついついサッカーと比べてしまう。
審判を欺くこともテクニックのうちと考え、大げさに倒れたり、演技したりする選手。
試合中も試合後もレフェリングに文句を言う、選手や監督。
相手をののしり、軽蔑を隠そうとしないサポーターの言動。

ラグビーは上流階級の恵まれた人たちのスポーツで、サッカーは庶民のスポーツだから、という説明を聞いたことがある。
でも、きれいごとであれ、「人間、捨てたもんじゃないなぁ」と思わせてくれる世界を引きずり下ろす必要はない。
こんな理念や精神が浸透していけば、世の中はもっと美しく生きる価値のある世界になっていくかもしれないと夢想するのを冷笑する必要もない。

私は、こんなやせ我慢や理想主義が好きだ。

この1週間、風邪気味で微熱が続いている。
でも、なんとしても、この週末、準決勝の4試合を全力で観戦する。
こんな素晴らしい機会を見逃すわけにはいかない。

日本、頑張れ。そして、どの国の選手もみんな頑張れ。
そして、気高い人間の心を見せてくれ。

2019年8月12日 イギリス、バイクツーリング 8日目

●8日目・・・6月26日

飛行機の便は夕方なので、昼過ぎまで自由時間。
大好きな街歩きの時間。
まずは、ホテル近くのパディントン駅へ。
入口脇の壁に大きな絵が何枚も飾られている。
犬連れの家族がイギリス各地を旅してまわっているシーンが描かれているが、とても可愛くてほっこりしてしまった。
行かれる方は、ぜひ見てください。

 

駅の構内、ホームの横に、有名なパディントンベアーの像や絵がさりげなく飾られている。
前に来た時に見かけたのだが、今回もこれを探して構内をうろうろ。
改札口がないので、自由に列車の脇まで行ったり来たり出来る。

 

続いて、駅の北東方向に歩いて有名なアビーロードの横断歩道へ。
途中迷ってしまい1時間以上かかってしまった。
途中で黒人のお兄ちゃんに尋ねたら親切に教えてくれた。
彼が笑いながら言ってたとおり、周囲には観光客がいっぱい。
50年も経つのに世界中から人を引き付けるなんて、ビートルズはすごい。



ホテルに戻る途中、ロンドンでもっとも美しいと言われているリージェントパークへ。
ここも2度目だが、広々とした緑の空間は、人もまばらで素晴らしい雰囲気。
町中の喧騒から離れ、車の音もなく、くつろげる。
犬がリードなしで散歩したり自由に走り回ったりしている。
私が住んでいる浅草界隈にも、こんな公園があったら、どんなにいいだろう。
上野公園も人が多すぎるし、犬を遊ばせるなんて無理。

 

最後に、無料公開という案内に魅かれ、貴族の館へ。
Wallace Collection。
外観やアプローチの雰囲気は、大英博物館に似てるような。
館内には、集められた武具や絵画、陶磁器などが、あふれんばかりに展示されている。
大英帝国の栄華と富の蓄積にあらためて驚かされる。
絵画の中には、レンブラントの自画像もさりげなく飾られていた。
ものすごい値がつくだろうにと、下世話なことを考えてしまった。

 

以上で、今回の旅は、ほぼ終了。

あれから1ヶ月半も経ってしまったが、やはりバイクの旅は、一般的な観光旅行よりもはるかに思い出が濃い。
歳も歳だし、気力体力のあるうちにと思って半ば衝動的に申し込んだが、行って良かった。

何よりも、日本とはまったく異なるイングランドの地形や風景を感じることができた。
同じ島国で、面積は日本の方がずっと広いけれど、使える土地の広さは逆だと思った。
2,000km以上も走ったが、トンネルは一度もくぐらなかったような気がする。
それだけ、高低差がなかったということだ。
日本の自然の変化の豊かさをあらためて感じた。
高速道路を作る費用と手間と技術、おそらく日本は世界一ではないだろうか。

そして、田舎町の景色の違い。
どこへ行っても、石造りの素敵な建物とセンスの良い庭が並んでいて、 無秩序な日本の街並みが情けなく思える。
でも、何日も同じような風景を見ていると、単調な気がしてくる。
新しいものに飛びつかない頑固さと、それを許さない無言の圧力のようなものもあるのかもしれない。
それに比べ、雑多ではあるけれど、日本の地方の街や村は無邪気なスッピン。
もう少し統一的な美的感覚を持ってほしいと思うが、見られることなど意識していない無防備な正直さにあふれている。
好きではないが、これもありなのかもしれないと、少しだけ思った。

それにしても、歴史や伝統を重んじる性向は、間違いなく文化的な雰囲気を醸成する。
厳然と継承されている貴族階級の存在が、保守的な安定を支えているのかもしれない。
それは一種のプライドなのか、排他的なアイデンティティなのか。
EUからの離脱問題のニュースが騒がしいが、現地ではなんの兆候も感じられなかった。

古い歴史を持つ島国という意味では似ている日本とイギリス。
でも、両者の国民性は対極にあるようで、イギリスには独特なこだわりを捨てないでほしいと思う。
前のめりのグローバリズムのスピードの方が異常なのだ。

一言でいうと、さりげなくもとことん人間くさいイギリス、住みたくはないけれど、気に入りました。
また、訪ねる機会はあるのだろうか。

2019年8月5日 イギリス、バイクツーリング 7日目

●7日目・・・6月26日

きょうは、バイクツーリング最終日。
レンタルバイクの店まで戻るのだが、途中、街並みの美しさで有名なコッツウォルズ地方を抜けていく楽しみなコース。



古くから羊毛の交易で栄えた地域らしいが、時代の波に取り残され、原風景が残ったということ。
日本でも同じ。
昔「妻籠」に行った時、宿の人に「見捨てられた場所だから残っただけですよ」と言われたことがある。
都会人のノスタルジーと地元の人たちの視点は違う。

そんなことはともかく、丘を抜けていくと、蜂蜜色の石造りの建物が目立ってくる。やさしい外観。
最初に立ち寄ったのは、Chipping Campden。

素晴らしい天気で、お伽の国のよう。
茅葺の家もある。



細かく手が入れられているけれど、人工的ではなく自然な雰囲気。
いわゆるイングリッシュガーデンと呼ばれる家々の庭を眺めながら、街中を散策。
壁を飾るハンギングバスケットの植え込みも、ほんとうに上手で美しい。
日本と異なる地形や気候、自然や緑との付き合い方のベースにある感覚が明らかに違うのだろう。
こういうものはひとつの文化だし、うわべだけ真似てもダメ。
日本で時々見かけるプラスチックの鉢をそのまま見せている家など皆無だ。

 


続いて、Bourton-On-the-Water という街に立ち寄る。
ここは、以前にも来たことがあるが、その時は雨が降っていて寒かった。
今回は、最高の青空が迎えてくれた。



街中を流れるソ水深の浅い、人工の水路。
以前、ニュージーランドのクライストチャーチという街に行った時、底の浅い船で水路を巡ったことを思い出した。
たしか、パンティングとか言う舟遊び。
水鳥がゆっくり泳いでいて素晴らしい雰囲気。

 


1時間ほど散策した後、ロンドン方面に進み、午後には郊外のレンタルバイク屋さんにバイクを戻す。
結局、今回のは6日間で3回も立ちコケしてしまい、バイクを傷つけてしまったので、修理代がどれくらい請求されるかと心配。
でも、金額は、じっくりチェックして後日連絡が来ることになった。
なんだか気が重くなるが、仕方ない。
アメリカのツーリングの時のように、全額保証の保険があったらよいのにと思う。

とにもかくにも、怪我もなく無事戻ってこれたし、ずっとさわやかな晴天に恵まれたことに感謝。
店主に「なにとぞ、よろしく」という気持ちを込めて握手し、タクシーに分乗して、Gatwick空港へ。
直通の電車に乗り替えて、ロンドンのPaddingtonへ。



ホテルは駅の近くの建物。 ここもエレベーター無し。もう慣れてきた。

下は、ホテルのすぐ近くのビル。
壁一面に花を植えたバスケットが飾られているが、水やりはどうするのだろう?



夕食は添乗員さんお勧めのワインバーへ。
店内の雰囲気も料理もとてもよかった。
大陸は40℃を超える熱波が来ているらしいが、ロンドンの夜は肌寒いくらいだった。



2019年8月5日 イギリス、バイクツーリング 6日目

●6日目・・・6月26日



旅も後半。
きょうは早起きしてブリテン島に戻り、ひたすら高速道路を南下し、シェイクスピアの生誕地で有名な街へ。



フェリーはすいていて、船内でゆっくり昼食をとる。
海を見ると、海の中に無数の風力発電。
これが良いのか悪いのかはともかく、知らないうちに世界は変化しているのだなぁと思う。
我々がメディアを通して得ている情報なんてほんの一部。
来てみないと気づかないことがいっぱいある。



途中で立ち寄ったSA、ここにもMOTEL。
「Travelodge」も「DaysInn」も、アメリカ中にあるチェーンだが、前者はイギリスに500軒、後者は40軒ほどあるらしい。
SA内といっても、広い芝生の中に建っていて、なかなか良い雰囲気。



昼過ぎからずっと高速道路を走り続け、夕方6時過ぎに、Stratford-Upon-Avonに到着。
ここは、世界一の店舗数を誇るMotelチェーン「Best Western」を名乗っているが、元々は古くからある宿なのだろう。
集客のために、チェーンに加盟しているのに違いない。



歩いて数分のところに、シェイクスピアの生家。 500年以上も残っているのがすごい。
残念ながら見学時間は終わっており、内部は見られなかった。



道の反対側の写真。左側手前が生家。
500年前はどんな通りだったのだろう。
もちろん、電柱も電線もない。



2時間ほど、街中を散歩したが、旧市街地は観光客向けのこぎれいなショップばかり。
ここは、ピーターラビットのお店。閉店前に来たかった。

世界中、有名な観光地は、どこも観光客向けのお店が軒を連ねている。
自然なことだし、かわいらしくて期待通りなのだが、作られた虚像のような感じもして、少ししらける。
オーバーツーリズムの問題にもつながる、難しい自問自答。

散歩の途中、裏通りで日本食の食堂を発見。
たこ焼きとラーメンを注文したが、ラーメンはひどかった。
日本人がやっている店ではないらしいので仕方ないが、これが日本料理と思われるのは残念。
近くのテーブルでは、白人カップルが寿司を食べていたが、3ダースくらいの握りをひとりで平らげていた。
うーん、質より量のこの感じにも違和感。

2019年8月4日 イギリス、バイクツーリング 5日目

●5日目・・・6月25日



今日は、終日マン島に滞在。
全員自由行動だが、4台は添乗員に先導してもらいながら、TTレースのコースを一周。
ホテルから少し斜面を上がった地点が、スタート・ゴールのメインスタンドのある場所。



すぐ右を走る一般道路と並行して、ここだけ専用のピットレーンのようになっている。
表彰台の上から撮影した動画はこちら。うまく再生できるだろうか。

オートバイやレースに興味のない人も、「マン島TTレース」という言葉を耳にしたことがあるかもしれない。
終戦から10年も経たない1954年、当時世界的にはまだ無名だったホンダの本田宗一郎が、ヨーロッパ視察の途中にこのレースを観戦し、
帰国後、まったく無謀な「出場宣言」を発表し、数年後に優勝したことは伝説的なエピソードだ。
この経緯については、こちらをご覧ください。当時の日本人と日本企業の志の高さと強さを感じることができます。

ごく簡単に紹介すると、このレースのスタートは100年以上も昔の1907年。
以来、レギュレーションやコースが変更されながら今も続き、今年も5月、1週間にわたり開催された。
特徴は、専用のサーキットではなく、島内の一般道路がコースになっていることで、これまでに観客を含め300人近くの事故死が発生している。
戦後始まった2輪の世界選手権においても、主要なレースの一つになっていたが、このようにあまりに危険だということもあって、
メーカーやトップライダーは参加を忌避するようになり、1976年以降は独自の単独レースとして、特異な存在であり続けている。
詳しくはこちらをご覧ください

ただし、言葉や文章では伝わらない。
ぜひとも、こちらの映像をご覧ください上の写真の場所も出てきます。6分あまりの記録映像です。
ご安心ください。事故のシーンはでてきません。



コースの途中の集落。
1周、約60kmのコースの2/3くらいはこのような普通の民家の間を走る。
ここを200km/h以上のスピードで競争するなんて、正気の沙汰ではない。
もうしばらく走るとコースは市街地を抜けて、ゆるやか丘へ。
少し暗くなり、雲行きが怪しくなってきた。



丘のコースに入ってくると、濃い霧。 前のバイクのテールランプを頼りに、走る。
途中、もっとも標高が高いあたりのコース脇に立てられた、伝説のライダージョイ・ダンロップの銅像を見に行く。
マン島TTレースの最多勝利を誇る彼は、2000年、エストニアでの公道レースで事故死。享年48歳。
その後、彼の弟や息子たちがマン島TTレースに参戦している。
ホンダのレーシングマシンにまたがりコースを見下ろしている彼の表情は、やさしく微笑んでいる。
深刻な表情でないのが、いい。
ちなみに、この像の建立費用を負担したのは、彼にヘルメットを提供していた日本のARAI。
粋なことをしたものだ。



なんとか、コースを一周して、ダグラスの街へ戻る。
ゆっくり2時間近くかけて走ったが、レースでは60kmを20分以内で1周するらしい。
もう1周する他のメンバーと別れ、ホテルに戻り、午後は、ゆっくり街中を散策。
公式Tシャツを製造販売している店のここが本店。
名前も「TT SHIRTS」、シャレている。
お約束のお土産を購入。



街の中心部はこんな感じ。ここでも、電柱や電線は見えない。
TTレースの旗やバイクが飾られていて、レースが観光イベントの中心になっていることが伺える。
2〜3時間ぶらぶら散歩して、早めに就寝。
あすから、 旅も後半だ。

2019年7月31日 イギリス、バイクツーリング 4日目

●4日目・・・6月24日



今日はいよいよマン島へ渡る日。
少し遅めにウィンダミアのホテルを発って、Heyshamという港町のフェリー乗り場へ。
有名な三本足のマークが出迎えてくれる。
このマークを見て、NHKの大河ドラマ「いだてん」を思い出す人もいるかもしれない。
私は「いだてん」の放映開始の時から、「あれっ? これってマン島のマークじゃないの?」と不思議に思ってました。
なにか関係があるのでしょうか?



それはともかく、マン島の複雑な歴史と立場については、Wikipediaをご覧ください
島内でしか通用しない独自の通貨があったりして、中央集権が進んでいる我々日本人には、驚きです。



駐車場で乗船待ちをしていたら、1926年製のベントレー。
もうじき100歳! 現役で走ってるのがすごい。
こういう所も、イギリスの懐の深さ、乗り物文化の確かさ。
なんだか、素敵だなぁ。

マン島へは4時間弱の船旅。
ほぼ満席で団体客がうるさいし、退屈。
上のデッキに出てみたら、すぐ目の前をカモメが並走していて、その大きさにびっくり。
下に戻ったら、ペット連れ優先室があって、犬が何匹も足元に寝ていた。
我が愛犬と同じゴールデンリトリーバーも居て、思わず手を振ってしまった。
お店でも列車でも見かけることが多く、犬連れで旅行することが広く受け入れられているのがとてもうらやましい。



揺れることもなく、19時頃、無事にマン島の中心地Douglasのホテルに到着。
空堀に面した地階があって、間口の狭い建物。
イギリスの市街地で一般的なつくりだ。
それなりに古いのだろう。難点はエレベーターがないところ。
ここは、客室が4階だったので、狭く急な階段を使っての荷物の上げ下ろしがほんとうに大変だった。



夕食は、今夜もフィッシュ&チップス。
十分においしかったけれど、一皿をふたりで、ちょうどよい。


2019年7月19日 イギリス、バイクツーリング 3日目

●3日目・・・6月23日

じつは、 バイクツーリングの初日、ガソリンスタンドの近くで、さっそく立ちコケしてしまった。
走っている時は何の問題もないのだが、停止して足を着こうとした時につま先立ちになってしまい、バランスを崩して車重を支えきれなくなってしまう。
後ろのシートにカミさんを乗せていたので、怖い思いをさせてしまった。
身長の低さを嘆きたくなるが、スムースな減速と停止やシートから降りての取り回しの下手さ加減は私のせいだ。情けない。
結局、きょうから彼女は添乗する4輪の伴走車に同乗させてもらうことにした。申し訳ない。



今日は、前半は高速道路を北上し、後半は一般道路を走って、イングランド北部の景勝地「湖水地方」を巡る。
ロンドンの環状高速を離れてからリーズという町までは、ずっとM1という高速道路。
1号という名前が付いているので、日本の東名高速のような最大の幹線道路なのだろう。
通行量が多いが、 片側3〜4車線と広く、走りやすい。制限速度は70マイル=112km。ほとんどの車は100〜130kmで淡々と走っている感じ。
割り込みやあおり運転はなく、マナーは良い。1/4〜1/3は日本車、嬉しい。
おもしろいのは市街地が近くなって渋滞が発生するようなエリアになると、時間と区間を限定して路肩の走行を認めていること。
日本でも、渋滞時に限って2輪の路肩走行を認めるようにしようというアイデアがあるが、ぜひ実現してほしい。
最初に立ち寄ったSAには、もちろん宿泊施設。



走りやすいが単調な高速道路を降りて、ようやく一般道路に入る。
すぐに、SETTLEという町の小さな鉄道の駅に立ち寄る。
あまりの美しさ、かわいらしさに感動してしまった。
飾られている草花を含め、心を込めて大切にしていることが伝わってくる。


 

ご承知の通り、イギリスは鉄道発祥の地。車に押されて衰退しているのは日本と同じだろうが、鉄道マニアがボランティアで走らせている路線も多いらしい。
鉄道が、輸送という機能だけでなく文化として受け継がれ、大切にされ、定着している。
このあたりに、イギリスの文化的な深さや成熟した味を感じる。
日本では、経済的合理性だけで、線路や道や建物が捨てられていくことが多い。
やりきれない。うらやましい。あこがれてしまう。見習いたい。



田舎道を走り、いくつもの小さな町や村を過ぎると次第に家が少なくなり、荒涼とした風景がひろがってくる。
ヨークシャーデイルと呼ばれる地域だそうだ。
ここまで500km以上イングランドを南北に縦断してきたわけだが、島国とはいえ、日本とは景色が大きく異なる。
高い山がなく、見渡す限りなだらかな丘が続く。部分的に残る林を除くと牧草地。そこでは羊や牛や馬がのんびり草を食んでいる。
水田がないため、ゆるやかな斜面ばかりだ。




ヨークシャーデイルを過ぎると、湖水地方。
この辺りは明らかに氷河が作り出した地形に違いない。谷間には細長い湖が点在している。
ツーリングを楽しむ数多くのバイクとすれ違い、追い抜かれる。 人気の観光地らしい。
30分ほど待ってもひとりが集合場所に到着しないが、残りのメンバーで、今日の宿泊場所 Windermereのホテルに向かう。



ここは、湖水地方の中心地。たくさんの観光客でにぎわっている。
まだ外は明るいので、街を散策。
遅れていたメンバーは迷子になっていたらしく、無事に到着。良かった。




どの街もそうだが、電柱や電線が目に入らない。
地下に埋設されていない場合も、電線は建物の裏側に目立たないように通っている。
このあたりの美意識も見習いたいところ。
さぁ、あしたは憧れのマン島に渡る。

2019年7月18日 イギリス、バイクツーリング 1〜2日目

「木更津港店」や「大阪枚方店」のオープン準備、決算手続きなどに追われている時期だが、半年以上前に予約したこともあり、6月下旬、10日近くも休みをとり、強引にイギリスに行ってきた。「イングランド北部 湖水地方とマン島 9日間」というバイクツーリングである。

海外でのバイクツーリングは2度目。前回は、ちょうど3年前の6月中旬に行った「アメリカ大西部周遊とルート66 8日間」。
40年以上バイクに乗り続けているし何とかなるだろうと甘く考えて申し込んだのだが、ハーレーに乗るのは初めてで、乗車姿勢も操作方法も違うし、何より車重が400kgもあり、初日から立ちコケしてしまった。恐怖心さえ感じてしまい、グループから離れ、出発地のラスベガスでみんなが帰ってくるのを待つことにしようかと本気で考えたくらいなのだが、なんとか気を取り直し一日一日必死で旅を続け、1,700kmの行程を走りきることができた。

毎日40℃を超える気候で、後ろに乗るカミさんも大変だったと思うが、ギラギラ照り付ける太陽を感じ、乾いた風を受けながら雄大な風景に包まれる感覚は、観光バスツアーではけっして味わえないもの。何より、自分でアクセルを開け続けない限り進んでいかないのだから、能動的な意志を問われる旅であり、バイクツーリングならではの深みを生む。苦楽を共にする仲間とも、運命共同体のような心のつながりが生まれ、忘れられない色濃い思い出となった。

今回のイギリスツーリングも、3年前の記憶が後押しして決めたこと。気力体力があるうちにと思って決断した。ロンドンには過去2回行ったことがあるが、映画などで見るイギリスの田舎の風景を体感してみたいと思った。昔から関心のあったマン島TTレースの舞台を訪ねられるというのも魅力だった。

ところが、出発の40日前の5月11日、ひさしぶりにぎっくり腰になってしまい、無理に山歩きをして悪化させてしまったこともあり、完治しないまま当日を迎えることになった。 何とかなるだろう。

以下、私なりに感じたことを中心に、旅のあれこれをまとめてみるので、よろしかったらお付き合いください。
全体の行程は、以下の通り。7泊9日の旅である。


●1日目・・・6月21日

早朝に成田空港に集合。添乗員を含め、総勢9名。バイクは6台。自分が最年長に違いないと想像していたが、なんと70歳以上が3人もいる。
まわりから見ると老人ツアーである。

飛行機は大韓航空なので、ソウル郊外の仁川空港で乗り継いでロンドンに向かう。
この空港は、東アジア有数のハブ空港らしく、さすがに規模が大きく、施設も立派。
空港内では、昔の武人のような装束の人たちが剣舞などを演じて回っている。なかなか見ごたえがあり、しばらく見入ってしまった。
国の表玄関で自国の歴史や文化を紹介するこうした試みはアリだと感じた。余裕があれば、日本でも、全国の空港でデモンストレーションをやってみれば良いのに、と思った。そういえば、ハワイに行くと、フラダンスで迎えてくれる。
日本人は積極的にアピールすることが苦手なのか、必要ないと思っているのか、こんな所で負けていると感じた。



仁川空港からロンドンのヒースロー空港までは11時間以上。
入国審査に時間をとられると心配していたが、最近自動化されたようで、申請書類もなく、機械にパスポートをかざして写真を撮られて終わり。
列に並んでいた時間を含め、15分程度で完了した。
ところが、そのあと、迎えの車が遅れ、宿に到着したのは午後9時近く。
ロンドン郊外にあるもうひとつの空港、Gatwick空港そばの小さなホテル、ちょうど夏至の頃なので、この時間でも外は明るい。



●2日目・・・6月22日

時差の関係で早朝に目覚めたら、快晴の青空。
先週は雨が続いていたので案じていたが、晴れると湿度も低く、空気がさわやか。
下の写真はホテル前の街並み。緑が多く、鳥たちが飛び交い、あちこちからさえずりが聞こえる。街は静かでいい感じ。
そうか、今日は土曜日なんだ。



タクシーに分乗して30分以上走り、レンタルバイクのお店に到着。
トライアンフ2台、BMW2台、モトグッチ1台、私は手前に写っているホンダCBF600。
もっともシート高が低いことを期待しての選択だったが、またがってみるとつま先立ちに近い。4気筒で重量があり、これが悲劇を繰り返すことになる。



なんとか走り出して、しばらくは伴走する4輪に続いて田舎道を走る。
左側通行なので走りやすいが、日本のような信号のある交差点が少なく、ほとんどがRoundaboutと呼ばれるロータリー。
さっそく高速道路に乗るロータリーで車列が分断され、最後尾を走っていた私ともう1台は、先行する人たちを見失ってしまった。
M24というロンドン環状高速を西へ向かうはずが、どうも逆の東に走っているらしい。
路側帯に停車して添乗員に電話したところ、次の集合場所であるSAで待っているから、どこかでUターンしてきてくれとのこと。



ここで説明しておかなければならないのだが、イギリスの高速道路は大部分が無料。アメリカと同じだ。知らなかった。
ただ、アメリカの高速は、市街地を離れると信号はないものの一般道路とあまり区別がつかない感じで、気軽に出入りすることができるが、イギリスの場合は日本と同じく閉鎖された空間になっており、インターで一般幹線道路に乗り換えるジャンクションがあるだけで、いわゆる出口というものが見当たらない。
この違い、うまく伝わるだろうか。
日本のように出口を見つけて外に出て入り直せば逆方向に走れると思ったが、それが出来ず延々と逆方向に走り続けてしまった。
ようやく状況を理解し、ジャンクションから一般道路に出て、ロータリーを使って逆向きに拘束に入り直すのに30分以上かかってしまった。
上のマップの点線が無駄に往復した部分だ。
というわけで、集合場所のSAに着いたら、みんなは待ちきれずに出発した後。交代でトイレを済ませ、ちょっとだけ施設を覗いてみた。



ここでまたアメリカとの違い。
同じ無料でも、アメリカの高速には、トイレやベンチだけ設けてあるRest Areaはあるが、日本のような飲食物販やガソリンスタンドがそろっているService Areaに該当する施設にお目にかかったことはない。私の知る限りの話なので、まったくないとは断言できないが、あったとしてもごく一部だけなのではないかと思う。
要するに、食事をとったり、買い物をしたり、給油したければ、気軽に高速を出て、一般道路脇の施設を利用すれば事足りるという感じだ。宿泊施設も同様、 MOTELは無数にある。

ところが、イギリスの高速は厳格に閉じているので、日本と同じような施設がある。サービスエリアという名前ではなく、Serviceseという名前で道路脇に表示が出ている。
上の写真は最初に立ち寄ったCobihamというSAの施設内の写真。日本とよく似ている。しかし、決定的に違うのは、必ず宿泊施設があること。
今回の旅行中、数か所のSAに立ち寄ったが、例外なくMOTELかHOTELがあった。
下は、最初にCobihamというSA内にあったDays Inn。アメリカ中にある有名なMOTELチェーンだ。パンフレットを見たら、イギリスだけでなんと600軒以上もある。



イギリスの高速道路はMotoe Wayと呼ばれ、M1とかM25のように番号が付いている。一般道路はAという記号と数字が付いている。
ちなみに、 日本やアメリカの場合、高速道路関連の表示は緑色に統一されているが、イギリスでは白地の看板で他との区別がつきにくく、慣れないと見過ごしてしまいがち。ロータリーの標識もそうだが、アルファベットだけで書かれている内容を一瞬で読み取るのは難しい。
漢字を使う日本のありがたみを痛感する。
下は、バイクのレースで有名なドニントンパークに隣接するSAにあったTravelodge。これもアメリカ中にある有名なMOTELだ。
途中、シルバーストーンやミルトンキーンズなどの地名標識が目に入る。イングランドはモータースポーツファンにはワクワクするような場所なのだ。



そんなこんなで300km以上を走り、夕方6時頃に今日の宿泊地、ノッティンガムに到着。
歴史のある街のようで、お城を中心に赤レンガの建物が連なる落ち着いた品の良い雰囲気。



早めに着いたので、街中を散歩し、イングランドで一番古い(1189年開業、元はInn)というパブで夕食。
店の名前がすごい。「エルサレムへの道」。十字軍の宿だったのか?
みんなは地ビール、飲食に興味のない私はコーラにフィッシュ&チップス。
意外においしかった。



2019年6月20日 「キャッシュレス化」について
また、半年も空いてしまった。あと10日で決算日、今期も終わりだ。

ところで、先日5月18日の朝日新聞に以下のような拙文が掲載された。



3年前、「民泊」についての意見が掲載されたことがあり、その後、「旅館業法」の改正に当社からの要望が反映される成果につなかった。
しかし、今回は何の反応もない。
「キャッシュレス化」の狙いのひとつは、地下経済の資金洗浄や脱税の防止にあるようだが、この点はあまり語られない。メディアもほとんど伝えない。
お金の使い方というプライバシー情報のかたまりが可視化されることへの気味悪さも問題視されることは少ない。
「自分は、人に知られて困ることはない。神経質になっているのはやましいことがある人でしょ?」なんて無邪気に構えている人ばかりなのか。
最初の原稿では、そんなことにも触れていたが、スペースの関係で削られてしまった。
みんな、なんとなく流されるだけで、ほんとにいいんですか?
 
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